
2000年7月31日~8月15日
公演日程
8月2日(水)19:30~ ロンドン公演
Forum Hotel, 97 Cromwell Road, SW7 4DN TEL:0793-200-6793
Tickets: 」10
出演 桂小春団治、桂福矢(日本語のみ)
8月3日(木)19:00~ ロンドン公演
Daiwa Foundation Japan House,13 Cornwall Terrace, NW1 4QF
TEL:020-7486-4348
要整理券
出演 桂小春団治「お玉牛」(英語字幕スーパー)
落語解説(同時通訳)
8月7日(月)~12日(土)13:15~ エジンバラフェスティバル参加公演
Edinburgh Fringe-Venue 152: Augustine's, George IV Bridge
TEL:0131-225-6575
Tickets: 」6
出演 桂小春団治「お玉牛」(英語字幕スーパー)
大和日英基金助成公演
7月31日(月)11:50、関空出発
飛行機は最新設備導入機で、エコノミークラスにまで全部液晶モニターが前に付いている。
肘掛けのところにリモコンがあって、それをづるづる引き出すといろいろ画面が変えられる。
映画は6~7本。「ミッション・トゥー・マズ」「リプリー」「クッキー・フォーチュン」
「どら平太」など好きなものが選べる。
ほかに独自の番組などもあるけど、ナビゲーションシステムもあって、
世界地図上に今飛んでるところが表示され、どこにいるのかよくわかる。
ハバロフスクやモスクワ、コペンハーゲン。
そんな表示とともに飛行機の絵が赤い奇跡を描いて目的地に飛んでいく。
現在の高度、スピード、目的地までの距離、出発地の時間、
到着地の時間、到着予定時間までも表示される。
目的地までの距離は「8436km」なんてでるけど、5秒ほどたつと「8434km」と、
確実に減っていく。(あたりまえか)
機外カメラも切り替えられて、シベリア上空にさしかかったとき
「シベリアの大地はどんな具合やろう」とか地面を眺めていた。
このリモコンはテレビだけでなくゲームのコントローラーにもなる。
ゲームを選ぶと簡単なゲームが5~6種類できる。
そしてこのリモコンのすごいところは、電話もできる!
テレビやゲームの操作面の裏側が電話の受話器面になっていて、
数字の並んだボタンや液晶画面が並び、横にスリットがある。
このスリットにクレジットカードを入れてスライドすれば情報を読みとって電話がかけられる。
飛行機の上から。
12時間あまり退屈しなかった。
本(「ハンニバル」羊たちの沈黙の続編ね)も少し読んだ。
ヒースローに着いたはいいけど、迎えにくるはずのプロデューサー、マイケルが来てなくて少し待った。
なぜかというと我々(スタッフの遠藤君と僕)が早く出てきたのだと思う。
何せ入国審査だけで税関素通り。
ロンドンは暑かった。
この2~3日で気温が上がり、日中最高28度ぐらいまで上がるそうな。
夜は上着がいるほど涼しい。
夜はロンドンで働いているいとこの聡君にポルトガル料理屋さんに連れて行ってもらった。
魚介類が多くて、とても日本人の口に合う料理。
キッコーマンのしょう油も出てくる。
マイケルに聞くとロンドンでもポルトガル料理は珍しいそうな。
おいしゅうございました。
それから飲みに行こうと思ったけど、飲み屋はみんな11:00閉店でアウト。
仕方がないので解散し、12:00頃部屋に帰った。
8月1日(火) ロンドン公演会場下見
朝から携帯ショップに行く。
レンタルするより買う方が安いようなので、
買いました。£40(£10の通話料付き)
今日は地下鉄の1日乗車券で方々回った。
昼頃、今回お世話になったJALの伊賀さんを訪ねた。
JALロンドン支店の近所の日本料理屋で会食。
お勧めにより上にぎりを注文したら量が英国人サイズなので多い。
マッタケの土瓶蒸しも付いてきた。今年初物。
伊賀さんは大阪出身の気のいいおっちゃん。
食事中、公演の合間にどこか観光に行きますかと聞かれたので、
最近できた世界最大の大観覧車に乗りたいというと、大人気で予約が必要。
予約がなんと2ヶ月待ち!とか言う。ほんまかいな。
昼から3日に公演する大和日英基金と2日のフォーラムホテルを下見。
適当な高さの台やテーブルがない。
あれやこれや試してみる。汗だく。
下見中伊賀さんから携帯に電話があり、よかったら夜ご一緒しませんかとのこと。
夕方約束の時間を少し遅れていくとオフィスがもう閉まっていた。
受付に行くとメッセージがあって近所のパブにいるとのこと。
パブデビュー。
立ったまま空きっ腹にビール3杯。
パブで飲むときは何も食べないのが英国スタイルらしい。
後タクシーで日本料理屋さんへ。
そこで日本酒や焼酎を飲んだけど、パブの空きっ腹ビールと
睡眠不足で飲みながら睡魔が襲ってきた。
その後カジノへ。
ブラックジャックで£100負けてしまった。
さすがに眠かった。タクシーの中でもうつらうつら。
部屋に帰ってシャワーも浴びずバッタリ。

8月2日(水) 鳴り物班到着、ロンドン公演
朝6:20、鳴り物班の桂福矢、マルコ(住田益子)ロンドン到着。
マルコは我々と同じ宿が取られず少し離れたホテルになった。
朝食後マルコと別れて我々は自分たちの宿へ。
メールやHPの更新にかかる。
スタッフの遠藤君と2人で向かい合わせでノートパソコンを開き、二人で黙々とキーを打つ。
(遠藤君は仕事などのメールが多いみたい)
キーを打ちながら遠藤君が「僕ら全然テレビ見てませんね」と言った。
そうや、この部屋テレビあったんや。
テレビの存在を忘れるくらい部屋にいるときはパソコンに向かってる。
作業中マイケルから携帯に電話。
今日の公演先のホテルが落語会入り口でお金を徴収してはいけないと言い出したという。
有料でできる会場を探した結果、割高だけどホテルの宴会場になったのだが、
向こうは前売りとかならいいが、現場で金を集めることはだめだという。
なんとかごまかすしかない。
昼食後時間があったのでロンドンらしいところに行こうと言うことになって、
仕事が残っているマイケルを残して4人でビッグベンに行った。
考えたら僕と遠藤君は観光らしきものをまだしていない。
タクシーの中でビッグベンの話をしていたら、案の定福矢はビッグベンを知らなかった。
青空にそびえ立つビッグベンの前で記念撮影大会。
テムズ川を渡って対岸へ。
テムズ川は広いけどかなり濁ってて流れが速い。
この汚れは大和川以上。
この日もマイケルは観覧車の予約に何軒か電話してくれたけどやはり一杯だったよう。
とにかく近くで見ようと観覧車の乗り場へ行ってみる。
切符売り場で遠藤君が係りの人に聞くと待ちは1週間ほどだという。
2ヶ月待ちと聞いていたけど1週間ならエジンバラから戻ってきて英国最終日なら乗れるのでは!
予約受付の列に並び14日の朝のチケットをゲット。
切符売り場を出ると雨が降ってきた。さっきまで晴れてたのに・・・
激しく降り出したので近所のホテルの軒先に避難。
前でタクシーを降りた人がいたのでそのまま乗り込み宿に戻った。
鳴り物や衣装を持ってフォーラムホテルへ。
宴会場は前日、担当のマリアと打ち合わせしていたので、
ちゃんといすも並べられて高座も組まれていたが、
机2つをひっつけてほぼ正方形の形に組まないといけないのに、横に一直線に並べている。
これでは記者会見の会場のよう。
やはり落語という芸が想像できないようだ。
入場料は廊下では集めず、会場内でこっそり徴収する手はず。
マイケルはホテルの人間に見つからないように会場のドアの窓に紙まで貼っていた。
舞台袖を机を4つ立てて作り、そこに高座と同色のテーブルクロスをかけると、
ロンドンのホテルの宴会場とは思えないような立派な寄席が誕生した。
会場を決めたのが2週間ほど前で、宣伝も口コミのみだったのでお客さんは70人ほどだったけど、
いとこの聡君の奥さんの誘いで日銀のロンドン支店長も来てくれてたそうな。
独演会にもよく来てくれてる木地本さんがヨーロッパ旅行中、子供を連れて来てくれた。
子供のこりんちゃんはピンクの浴衣姿で、独演会の時と同じように最前列でけらけらとよく笑ってくれた。
ネタは福矢が「動物園」僕が「ちりとてちん」と中入り後「職業病」。
終演後、聡君の奥さんも楽屋に来てくれて、花束をもらった。
部屋に荷物を置いてから、中華料理を食べ、0:30頃にベッドにもぐり込んだ。

ヒースロー空港に到着した太鼓の桂福矢と三味線のマルコ(住田益子)

ビッグベンの前で
8月3日(木) 英語字幕「お玉牛」イギリスデビュー
今日の朝食は近所でサンドイッチを買って部屋で食べた。
毎日何をどこで食べるかが海外では大きなテーマの一つ。
朝食が終われば、昼食の算段を考え、昼食が終われば夕食の作戦を立て、
夕食が終われば次の日の朝食を相談する。
サンドイッチの店は先日近所を散策していたときに見つけた店で、好きな具を選んで作ってもらうシステム。
それぞれ好きな具をオーダーして部屋へ持ち帰って食べた。
これが一番安上がりでうまい。
朝食後みんなはシャワーを浴びて街へ繰り出したが、
僕とマイケルは字幕のチェックとエジンバラでの演出方法について会議。
昼食時にみんなと宿の近くのサウスケンジントン駅周辺で合流。
昼食はイタリアン。
3時過ぎ、今日の公演先の大和日英基金に到着。
会場の設営にかかる。
大和日英基金はシャーロックホームズ博物館や、マダム・タッソーの蝋人形館の近所で、
リージェントパークの横にある。
先日の下見で段取りは決まっていたので設営はすぐにすみ、本番まで時間があると思っていたけど、
字幕を映すビデオプロジェクターや、字幕の手直し、内容確認に手間取り、開演ぎりぎりまで作業は続いた。
今日はお客さんの半分以上が外国の方だそうで、全員が招待客。
マイケルの同時通訳で鳴り物の説明をして、いよいよ英語字幕落語のイギリスデビュー。
会場にぎっしり詰まった70人ほどのお客さんを相手に「お玉牛」を演じる。
字幕と仕草の両方を見られるよう、かなり意識してゆっくりとしゃべった。
扇子・手拭いの仕草の説明や、はめ物の説明などのあと本ネタへ。
みんなニコニコして聞いてくれている。
英語で訳しきれない表現や、イメージの違いがあったりもするだろうけど、
牛に夜這いをかける仕草の部分では、字幕を読むタイムラグなしで笑いが返ってくる。
かなりいい感触。
終演後階下の会場で懇親会。
ワイン片手に衣装のまま招待客と談笑した。
BBCのプロデューサーや、画家、日本大使館の文化担当の方、いろんな文化的な方が来ていた。
日本人向け雑誌のインタビューも受けた。
外国の方はみんな表情がとても豊かだと言う。
字幕を見なくても、表情だけでも理解できてとてもおもしろかったと言ってくれた。
大和で今回お世話になった担当の河村知子さんも、
こういう催しにしては非日本人の比率がびっくりするほど多く、みんな喜んでいた。
是非来年もという話になり、日本大使館の方からも来年から再来年にかけて、大きなイベントがあるので
スケジュールは取れるかと聞かれた。
来年につながる実りの多い公演だった。

ロンドンの大和日英基金で。

終演後のレセプションではいろんな人から声を掛けられる。
8月4日(金) 日本大使館訪問
朝、ドライヤーを使おうとしたらスイッチを入れたとたんにゴーっと火を噴いた。
前日ドライヤーを使っていて変圧器がいかれたので、直接変換プラグにさして
使おうとしたら中の電線が真っ赤になって、今にもロケットのように飛びそうなぐらい火が出た。電圧や電流が日本より高いためだと思う。
2度ほどは変圧器を使ってちゃんとできたのに。
このおかげで変換プラグもいかれてしまった。
字幕用のパソコンをつなぐのに必要な道具で、福矢のもあるけれども一つでは心細い。
エジンバラに売っているかどうかもわからないので、ロンドンで仕入れておくことにする。
今日は公演がないのでトラファルガー広場を見物した後、日本大使館へ。
昨日大和に来てくれた日本大使館の勝亦(かつまた)さんを訪ねた。
日本大使館はグリーンパーク沿いの大使館がいくつも建ち並ぶ一帯にあり、
これぞ大使館でございというような、らしい、立派な建物に日の丸がはためいていた。
中に入って、防弾ガラスとおぼしき受付で来意を告げ、アポを取っていたので、
すぐIDカードが作られ、横の応接スペースへ。
しばらくして一等書記官の勝亦氏が登場。
来年から再来年にかけて英国各地で行われる日本文化イベント「JAPAN 2001」の説明を受ける。
来年も英国に来るつもりだし、是非とも参加したいと告げると、
できる限りの協力をしますと心強いお言葉。
30分ほど会談し、昼食後大英博物館へ。
福矢は「ダイエーハクブツカン」と聞いて、中内功がやっていると思ったみたい。
博物館は改装中でいたる所で工事をしていた。
とにかく広いそうなので、目的のミイラまでささーっと見物。
いよいよエジプトのエリアに入った。
山ほどミイラがあったと聞いていてけど少なかった。
どこかの博物館に貸し出しているのかしら。
福矢は大英博物館にえらはまり。
最終日のロンドンで、時間があったらまた来たいという。
博物館を出た後、近所にあるロンドンの秋葉原みたいな電気街で変換プラグを仕入れる。
変圧器はやはり日本でしか売っていないよう。
夜はロンドン公演の打ち上げということで、大英博物館の近所で見つけた、
阿倍野出身のオーナーがやっているその名も「ABENO」と言う
お好み焼き屋さんで、座長主催のなかび打ち上げ。
ロンドン公演では大変世話になったいとこの聡君も呼んで、鉄板焼きとお好みで
宴会した。
マイケルは仕事の段取りで欠席。
その後、聡君に日本の駐在員のたまり場ともいえるカラオケラウンジに連れて行ってもらい、歌いまくり。
明日はいよいよエジンバラ。

トラファルガー広場で広場で。僕とマルコと福矢。

大英博物館のミイラ。
8月5日(土) エジンバラ到着
5日の朝荷造りしてキングスクロス駅から、エジンバラへ列車の旅。
5人分のそれぞれのスーツケースに大太鼓・座布団・もうせんの入った大きなバッグ。
締太鼓やケーブル類の入ったスーツケースなど荷物が多い。
これだけの荷物、列車ではどこに置いておこうか不安になる。
予約してある切符を取りに行き、列車に向かいながらマイケルは切符を見てなんか怪しいと言う。
何が怪しいかわからないまま列車へ。
荷物の心配はすぐに解消した。
荷物専用列車が最後尾に付いていて、飛行機のように荷物に番号の入ったタグを付けて、引換券をくれる。
出発時刻変更をちゃんと連絡してあるにもかかわらず、席がちゃんと取れてないよう。
仕方なく自由席に5人分を確保。
指定車両とか自由車両というのはなく、ファーストとその他に列車は分かれていて、
座席のヘッドレストのところに指定された人の名前を書いた紙が付いている。
その紙が付いていない席が自由席。
列車が動き出した。
ロンドンを出てしばらくすると、黄色いじゅうたんを敷き詰めたような麦畑が広がる。
窓の外を眺めている間、頭の中では「世界の車窓から」のテーマソングがずっと流れていた。
いくつかの駅に止まり、向かい合わせに4人座れる席が空いたのでそちらに移動。
4人がけの席は間にテーブルが付いている。
トランプしやすい。(別にせぇへんけど・・・)
列車の中でマイケルは頻繁に携帯で電話して、何か怒っている様子。
聞けばエジンバラで配布するチラシを頼んでいた印刷屋に5000枚は配布業者に送ったが、
我々の手配り用の5000枚が行方不明だという。
土曜日でオフィスは2時まで。
責任者もいない。
観客動員に響くのでチラシがないのはつらい。
4時間15分でエジンバラに到着。
ガイドブックには「スコットランドの冬は7月に終わり、8月に始まる」とか書いてあったり、
会う人ごとにセーターやコートを持っていった方がいいと脅されていたけど、
ロンドンよりは気温が低いが、Tシャツに上着を羽織っただけでいけそう。
周りを見るとフリースの上着や、レザーコート、ノースリーブに短パンと、みんな格好がバラバラ。
暑いのか寒いのかわからない。
タクシー乗り場を見ると、列車が着いたばかりなので長蛇の列。
ふつうの道でタクシーを捕まえることにする。
重い荷物を担いで長い階段をヒーヒー言いながら荷物を運びあげる。
この国は改札という物がないようで、知らない間に外に出ていた。
我々の宿は夏休みの間だけ貸し出している学生の下宿屋で、4LDKと聞いていた。
古い大きな集合住宅の1階の共用玄関を開け3階へ。
中に入って驚いた。
広い!。しかもメゾネット。
1階は約20畳のリビングにセミダブルのベッドルームが一つ、ウォークインクロゼット。
廊下を通って、バスルームにランドリールーム。
2階に上がるとツインルームと広いセミダブルの部屋、折り畳みベッドに布団の部屋。
キッチンにバスルーム。
部屋割りをして、すぐに劇場に向かう。
オウガスティンは教会の中にあるホールで、客席約100。
高座は一辺1.2mの正方形の天板にアルミでできた足をつける。
組み方にとまどいながらも何とか完成。
字幕用プロジェクターのセッティングにかかる。
あ、PCとのコネクターの形状が違う!!
15ピンのRGBコネクターと言っていたのに古い型のプロジェクターだったよう。
マイケルはすぐにPCショップに行きコネクターを調達してきたけど、今度はPCの画像がどうしてもでない。
レンタル屋に連絡して明日協議することになった。
時間変更を伝えていたのにちゃんとしていなかった駅員やら、
チラシがどこにあるかわからないとあっさり言い放つ印刷屋やら、
これで大丈夫と古いプロジェクターを送ってよこすレンタル屋(しかもスクリーンは届かず)やら、
英国人はいい加減なやつが多いと思っていたら、劇場のスタッフはよく働く。
そろいのTシャツを来て、プロジェクターの具合が悪いと言えば
みんな集まってきてあれやこれややってくれるし、照明をセッティングするときもいやな顔ひとつせず、
脚立を担いでこっちの細かい注文に沿うよう努力してくれる。
照明セッティングの途中で時間切れとなり、当日の朝セッティングすることになった。
荷物を置きに帰り、夕食へ。
辻々でキルトを着たバグパイプの演奏家がいてスコットランドに来たなぁと言う実感がわく。
裏通りに入るとバグパイプの演奏家に人々がビールを振る舞って騒いでいる。
マルコがそれを見て阿波踊りもこんな感じだという。
タイ料理を食べて、パブで一杯ひっかけ、部屋に帰った。

エディンバラで借りたフラットのリビングで。

エディンバラのパブで。左からスタッフの遠藤君、三味線のマルコと僕。
8月6日(日) フリンジ・レセプション
ビデオプロジェクターはレンタル屋ではなく、
結婚式などの撮影をしているカメラマンから借りたらしい。
朝9時に我々の宿舎に来るはずがいっこうに来ない。
マイケルは何度か留守電にメーッセージを残すが、連絡はない。
朝食はマルコと福矢が買い出しに行き、サンドイッチやマクドのモーニングセットなどを買ってきた。
日曜で店があまり開いてなかったよう。
10時頃にカメラマンやっと登場。
マイケルと二人でなにやら作業していたがやはりだめで、自宅に持ち帰って別の機械を通して試すことになった。
マイケルと遠藤君がプロジェクターと僕のパソコンを持ってカメラマン宅へ。
途中で携帯に連絡が入ったが、やはりだめなよう。
ケーブルが断線しているかもしれないので、別のケーブルを持って僕もタクシーで駆けつけた。
プロジェクターはPCからの信号は受け付けないが、VTR端子からならいける。
PCの信号をVTRに変換して出力することになった。
ビデオの編集機にPCをつなぎ編集機をプロジェクターにつなぐ。
でも画像は出ない。
PCの設定を変えないといけないよう。
マイケルがヘルプを見ながら設定を変えると・・・・
画像が出た!!
これで何とか字幕が出せる。助かったぁ。
時間はすでに2時を回っていた。
福矢とマルコは昼食もとらずに我々の帰りを待ってくれていた。
イタリア料理を食べてフリンジオフィスへ。
印刷屋のミスで我々が配布する予定のチラシが届かず、マイケルが古いデザインのチラシを元にコピーして、
とにかく500枚チラシを作った。
フリンジオフィス(本部事務所)前で福矢・マルコ・遠藤がチラシ配布開始。
僕とマイケルは日本人がたくさん公演している劇場前でチラシ配布。
マイケルによると、日本人の公演を見に来る人は日本に興味のある人なので、効果が大きいそう。
500枚はすぐに配布終了。
みんなよく受け取ってくれる。
梅田や難波でチラシまいてもほとんど取ってもらえないだろうに、
ここは仕事がしやすいし、おまけに受け取ったチラシをよく読んでくれる。
人を見てちゃんと手渡しさえすれば効果はあるかも。
宣伝費に金をかけられない我々にとって、観客動員のほとんどはこのチラシ作戦にかかっている。
だからちゃんとしたチラシがないのは痛い。
夜はフリンジ参加者が集まってのレセプション。
招待状が3枚しかないので僕とマイケル、それに彩りとしてマルコの3名が参加。
僕とマルコは着物姿。
町はずれに断崖絶壁の山があって、その手前にモダンで巨大なテント風のホールが横たわっていた。
そこが会場のダイナミック・アース。
入り口でラジオのインタビューを受け、マイケルが代わって全部今回の公演について話してくれた。
いきなりラジオが来てさいさきがいいと思っていたら、
「ラジオはあんまり効果あらへんねん」とマイケルがいう。
中に入ると、ステージでなにやらパフォーマンスが行われていて、みんなドリンクを片手に見ていた。
パフォーマンスはタップやスタンダップコメディー、リモコンの人形を使った腹話術、
ライオンキングのようなコスチュームでのパフォーマンスなど色々。
招待とはいえドリンク類は有料で、カウンターで金を払ってビールを買う。
会場内はフリンジ参加の世界中のアーティストと、新聞記者達らしい。
ほとんどがジーンズとかの軽装だけど、宣伝のために衣装を着て参加している人間もいる。
かくいう僕たちもそうなのだけど・・・・・。
ショーを見ていると、マイケルが女性と話している。
近づいて話に加わると、その女性もストーリーテラーだそうだ。
(今回落語はストーリーテーリングと言う風に紹介している)
その女性はこの日から初日だったようで、先週ニューヨークで公演したときは、
300席満員だったけど、今日はお客が0だったという。
これがフリンジだ。
僕たちの公演するオウガスティンでこの日公演した劇団は10人ほどの客だったようだ。
大阪でフリンジ経験者数人から話が聞けたけど、みんなに入りは期待してはいけないと言われた。
大宣伝をうてば少しは入るかもしれないけど、みんな10人20人の客を前に公演を続けている。
明日の我々の初日は何人入るだろうか。
マイケルによるとイギリスでは出演者より客の数が少ないときは公演を中止してもいいそうだ。
でも落語は出演者が1人だから0なら公演中止。(あたりまえか)。

エディンバラの街角で

フリンジレセプションの招待所を手に着物に着替えて。
8月7日(月) エジンバラ公演初日
いよいよエジンバラ公演初日。
朝、簡単に鳴り物解説の段取りを確認して、
マイケルはチラシを取りにフリンジオフィスに。
我々は会場のオーガスティンスタジオに直接入った。
オーガスティンは我々の宿舎から車で5分ほどのところにある
ジョージ・4・ブリッジ沿いの教会で、1階のチャペルも110人入る劇場になっていて、
その地下が我々の公演会場オーガスティンスタジオ。
こちらも100人ほど入る。
幸い僕らの公演の前は空いていて、11時からセッティングができる。
開演は13:15。2時間ちょっとで舞台の設営、照明、プロジェクター、ケーブル、
パソコン、ビデオカメラ、鳴り物などのセッティングをしなければならない。
スクリーン(と言っても、ただの白く塗ったベニヤ板だけど)もちゃんと届いていた。
ステージの正面、すぐ前に円柱が立っているので(なんちゅう劇場や)
下手側を完全に捨てて、高座を上手にしつらえ、劇場を半分に考えて使うことにする。
みんなであれやこれやと作業をしているうちに開演30分前になっていた。
僕たちは着物に着替えて会場前で、客引きのため三味線・太鼓で「しころ」を演奏。
結局チラシは届かず、会場入り口にも落語会のことを書かれた物は何一つない。
いくら表で宣伝してもチラシがないと何をしているのかわからない。
つらいなぁ。
開演間際に舞台袖に。
やがてステージの照明が消えて公演が始まった。
一番太鼓、二番太鼓、などを舞台袖でならしながら字幕で解説していくのだが、
福矢は気もそぞろで、マルコも出ばやし解説の途中で三味線の糸が切れて、
ギャグで演奏する「イエローサブマリン」がちゃんと弾けず、
涙目で「お兄さんどうしましょ」と振り返る。
すぐに「糸張り直し」と指示し、客席に向かって「糸が切れました」「ジャスト ウエイト」と叫ぶ。
これもご愛敬。
すぐに調子を合わせて弾き始めた。今度はちゃんと弾けた。
これで少しは落ち着いたよう。
僕もマクラの部分でネタをとばしてしまった。
普段なら少々ネタをとばしてもわからないが、字幕があるのでとばすと、
字幕も2~3枚慌ててとばすことになるのですぐばれる。
全員が舞い上がっていたのだと思う。
客席は日本人が3人ほどで、外国人が10数人。
外国人が多い。
でも、ちゃんと笑ってくれる。
お客は少ないけどちゃんと通じている。
これならいけると思う。
夕方、やっとチラシが到着。
3人着物に着替えてチラシまきにでかける。
目標はコメディーシアター前の客。
「しころ」を演奏して、チラシをまく。
帰りがけは三味線を弾きながらチラシをまきながら帰った。
着物姿で三味線の演奏。注目度抜群。
チラシがよくはける。
夜9時を回ってもこちらはまだ明るい。
なんやかや仕事をしてるうちに夕食がいつも遅くなってしまう。
夜はマルコと福矢の手料理。
昼間から福矢とマルコは大張り切りで買い出しやら仕込みをしていた。
僕たちを驚かすんだと、キッチンのドアには「立入禁止」やら「火元責任者桂福矢」などと
書かれた紙が貼られ、中に入れない。
支度ができてキッチンに招き入れられた。
ドアの「立ち入り禁止」ははずされて「HENA PASTA」と書かれてある。
(福矢は仲間内では「へなちょこ」と呼ばれている)
テーブルクロスがかけられ(こんな物どこにあったんだろう?)、キャンドルまで灯っている。
夕食はパスタとサラダとソーセージ。
近所で買った安ワインで初日を祝った。

着物姿でエディンバラの街でチラシ配り。

福矢マルコの手料理で初日打ち上げ。
8月8日(火) 日経新聞密着取材
いつものように早朝シャワーを浴びてメールを書いたりHPの更新をする。
すっかり朝の日課になった。
ちょっと時間があったので2度目の洗濯をする。
我々の宿舎にはランドリールームがあって、横に回る全自動洗濯機がある。
1時間ほどで洗濯して脱水してくれる。
どこに干すかというと、ランドリールームだからそこに干す。
天井に木でできた竿だけのような物が4本ぶら下がっている。
ロープをゆるめるとスルスルと降りてくる。
干してまたロープを引いて天井に干す。
昨日と同じように11時に劇場に行き、設営開始。
今日からプロジェクターは照明のバトンにつるし、上からスクリーンに照射する。
作業をしているところに日経新聞の富田さんが到着。
大阪からわざわざ我々の取材のために来てくれた。
今日の入りも17,8人。
ロンドンにも見に来てくれた木地本さん親子がエジンバラにも来てくれ、
こりんちゃんはロンドンと同じように浴衣で、開演前には我々のチラシ配りも手伝ってくれた。
夜は昨日と同じアッセンブリ劇場前でコメディーを見に来た客にそろいの浴衣姿でチラシまき。
コメディーは19:15と20:30の回を目指してまいているので、合間にエジンバラ城の近くで、
パフォーマー達が大道芸を繰り広げているにぎやかなハイ・ストリートに移動。
チラシをまいているとカフェテラスの日本人を発見。
声をかけると、フリンジに参加している舞踊家だった。
「どうです、客は入ってますか」と聞かれたので、16、17人ぐらいですと答えると、いいですねぇと言う。
聞くと毎日10人以下だと言う。
去年は最高50人ぐらい入ったのに今年は少ないと嘆いていた。
僕たちの劇場、オウガスティンのスタッフもフリンジの平均入場者は6人だと言っていた。
よほど話題にならないと入らないのがフリンジのようで、去年入っても今年は入らない。
そういう厳しさもフリンジなのだ。
チラシまきの途中でエジンバラに住むれい子さんから携帯に電話が入った。
れい子さんはネットで知り合った人からの紹介でいろいろ協力してくださる。
マルコや遠藤君達と別れて福矢と訪問する。
れい子さんはこちらの方と結婚してエジンバラに10数年住んでいるそうな。
いろんなところに宣伝してくださるということで、チラシをたくさん渡す。
見ず知らずの人間なのにとても親切にしてくださる。ありがたいことだ。
夕食はキッチンで見つけた炊飯器で米を炊き、福矢とマルコがオムライスを作ってくれた。
日経の富田さんもご招待。
また大量に飲んでしまった。
福矢達はゴミをどうしていいのかわからないので、ちゃんと分別してゴミ袋に入れていた。
みると大量の缶ビール、ウイスキーやワインの瓶、ミネラルウオーターなどのペットボトルが
それぞれの袋に詰まってた。
皆よう飲むなぁ。

エディンバラ、オーガスティン協会で。

エディンバラの街角で出会ったパグパイプ奏者と。
8月9日(水) スコットランド産業開発公社表敬訪問
10時、僕と遠藤、マイケルの3人は近所のスコットランド産業開発公社を表敬訪問した。
実は公演以外に、今回僕は港区の八幡屋商店街の特使としてもこのエジンバラに来ている。
大阪市には「一商店街 一国運動」と言うのがあって、商店街がいろんな国を応援して
その国と友好を深めるというもので、八幡屋商店街は英国を応援していた。
そこで英国で上方落語の公演とはおもろいと、八幡屋商店街がエジンバラ公演を応援してくれている。
小雨が降る中、傘をさして色紋付きで訪問。
専務理事のスケジュールが取れず、代わりにペニー・マッカラムという女性と会談。
八幡屋商店街からの親書を手渡し、友好の印に商店街からの扇子、大阪市からの記念品、
そして僕の手拭いなどを手渡した。
開発公社から直接会場入り。
今日の入りは30数人。確実にお客さんが増えている。
昨日お宅におじゃましたれい子さんがご主人と息子さんと3人で見に来てくれた。
公演が終わって宿舎に荷物を運び、遅い昼食をとりに出かける。
マイケルは劇場の前で別れ、いつも一人で仕事をしている。
僕と福矢、マルコ、遠藤、それに日経新聞の富田さんとで中華料理屋へ。
久しぶりのしょうゆ味。
あれやこれやと頼んで満腹。
デザートのバナナの天ぷらはみんなも気に入ったよう。
夕方どっしりと中華料理を食べたので夕食はなしにして、みんなてんでばらばらにすごす。
遠藤とマルコは近所のバーへ行き、僕らは簡単なおつまみで一杯やった。
夜、2日しか宿がとれなかった富田さんが我々の宿舎にお泊まり。
リビングのソファーベッドに寝床を作る。
先日参加したレセプション「ガーラ」に我々が帰ってから、ボーイ・ジョ-ジが来て飛び入りで歌ったそうだ。
会場のステージ前にロールスロイスを乗り付け、30分ほど歌ったらしい。
もう少しいればよかった。
実はもう一つ大きな物を見逃していて、我々がエジンバラに到着した日に1万人のパグパイプパレードがあったらしい。
もう少し早く着いていればなぁ。

スコットランド産業開発公社のペニー・マッカラムさんに大阪市からの親書を手渡す。
8月10日(木) 新聞とテレビの取材を受ける
今日は朝から通信社の取材が入った。
新聞社や雑誌社にニュースを配信している、日本でいえば共同通信みたいなところの取材だ。
近所のホテルでインタビューの後、劇場で写真撮影ということで、衣装のまま大太鼓・締太鼓
をごろごろ引きながらホテルに向かう。
ホテルの前に記者とカメラマンが待っていて、劇場でインタビューもするとなった。
すぐに車で劇場に移動し、30分ほどインタビューの後、高座の上で写真撮影。
あれやこれやカメラマンの指示でポーズを取って撮影終了。
休む間もなくケーブルテレビの取材が来た。
地元のケーブルテレビだけど、フリンジの期間、BBCに素材を提供しているそうで、
うまくいけば全国ネットにのることができる。
扇子や手拭いの仕草の部分やマクラをかいつまんで演じた。
しばらく休憩のあと、本番。
直前にザ・タイムズの記者が来ていることがわかった。
タイムズは由緒ある新聞だそうで、記事になると大きい。
きょうも30人ほどの入り。
夕方、領事館へ舘石領事を訪ねる。
日本から電話で協力をお願いすると、何もできないけどと言いながら
こちらがFAXしたチラシをコピーして方々に発送してくれた。
昨日もそのチラシを見て日本の方が見に来てくれた。
舘石領事は気さくで明るい人。
会談後今夜パブでもとなり、コメディーシアター、アッセンブリ前でのチラシ配りがあるので、
アッセンブリの近所のパブで飲むことになった。
我々は揃いの上方落語協会の浴衣のまま、舘石領事とともにパブへ。
巨大なパブで一角のテーブルに椅子をかき集めビールを飲む。
ここでイギリス名物フィッシュ&チップスとハギスを食べる。
フィッシュ&チップスは鱈のフライとポテトのフライで、英国に来たら
一度は食べないといけないと思っていたけど、機会がなくこの日初めて食べることになった。
ハギスは豚の内臓と小麦を混ぜて腸詰めにしたものだそうで、ここでは腸詰めにせず
中身をそのまま出していた。
イギリス経験者に英国は食い物がまずいといわれまくり、
食事はイタリアンや中華、和食、タイ料理、ハンバーガーとイギリス的な食べ物を
極力避けてきたけど、初めて食べたフィッシュ&フライはうまかった。
ハギスも酒のあてにはいい。
まぁ店にもよるだろうけれど・・・・
ビールを飲んでは僕と福矢、マルコの浴衣3人組は、コメディーシアターの開演前に
パブを抜け出し、劇場前でいつものようにチラシ配り。
7:15の回の客がはけるとまたパブに戻って飲んで、8:30前にはまたアッセンブリ前でチラシ配り。
12:00頃まで飲んで、舘石領事を、明日開催予定のお好み焼きパーティーに招待する。

新聞やTVの取材を受ける。

舘石領事とチラシ配りの合間のパブで。
8月11日(金) タイムズに大きく取り上げられる!
朝、メールをチェックしているとマイケルが新聞を持って入ってきた。
見せられた新聞を見てびっくり。
タイムズに大きく記事が載っている。
表紙の目次のようなところにまずカラーの顔写真があり、13Pに
大きなカラー写真とともに記事が書かれてあった。
マイケルに聞くと「英語もしゃべられず、英国のコメディアンと言えば
ミスター・ビーンしか知らない日本人が、コメディーシアターのコメディアン達よりも
笑いをとっていた」と言うような内容らしい。
とにかくその記事の大きさに本人ががびっくり。
ほかにもデイリーレコード、デイリーエキスプレスなども写真入りで記事を書いてくれた。
デイリーレコードはイギリスのビートたけしとも言うべき、コメディアンのニックネーム
「ビッグ イン」をもじって、「BIG YEN」と見だしに書かれてあった。
マイケルによると明日の土曜は客が詰めかけると言う。ほんまかいな。
入りは今日もだいたい30人ほど。
舘石領事も見に来てくれて、インスタントラーメンを差し入れしてくれた。
終演後、これもまたネットで知りあったエジンバラのトレーダーの蔵門五郎さんが
楽屋を訪ねてきてくれた。
五郎さんの奥さんは「あざみ」という地元の日本人向けのミニコミ誌を作っておられて、
そこにも情報を載せてくださってた。
宿舎に帰って、早速舘石領事が差し入れしてくれたインスタントラーメンを食べる。
おなじみ日清の出前一丁やカップヌードルだけど、種類によって香港やオランダで作られていて、
書かれた文字が変。
前日まずい「POT」と言うこっちのカップ麺を食べて辟易していただけに、
久しぶりに食べるインスタントラーメンは死ぬほどうまかった。
改めて日清の偉大さを知る。
少し時間があったので観光に出かける。
毎日エジンバラ城を見ながら移動しているのに観光らしいことをしていなかった。
街の中心のエジンバラ城を見物。
中は軍事博物館みたいになっていて、福矢はまたまたハマっていた。
大英博物館といい、ここといい、福矢は博物館が好きなようだ。
夜、最後のチラシ配りのあと部屋に帰り、福矢とマルコで食事の支度。
どこかからメリケン粉も仕入れてきたけど、福矢は山芋が見つからなかったのが残念そう。
舘石領事もワイン持参で来てくれて、9:30頃からお好みディナーを始める。
山芋は入っていなかったけどうまかった。
舘石領事も久しぶりのお好み焼きらしく「もう一枚いいですか」とおかわりしていた。
その日は3:30まで飲んで、缶ビールロング缶10本にワイン3本、スコッチ1本が空いた。
ほんま皆よう飲むわ。

新聞各紙に公演の記事が大きく掲載された。

エディンバラ城の衛兵と。
8月12日(土) 公演最終日
いつものように11時過ぎにオウガスティンスタジオに入り、設営をしていると、
マイケルが近づいて来て新聞に批評が出たという。
スコッツマンという新聞に絶賛する批評が出ているらしく、星が4つ付いていた。
新聞記事と批評のせいか、いつもは前売りが2枚ほどなのに、いきなり50枚ほど出ているらしい。
開場はいつも開演5分前にしているけど、今日はざわめき感がいつもと違う。
どたどたぞろぞろ、客席が騒がしい。
福矢がそでから客席をのぞいて、興奮気味に「兄さん一杯ですよ!」という。
字幕での鳴り物解説に仕込んだギャグから大きな笑いがおきて、三味線で弾く「イエローサブマリン」は
爆笑だった。
高座に上がって客席を見回すと満杯だった。
ことあるごとに客の入りを期待してはいけないとか、初日から0だったとか、
フリンジの平均観客数は6人だとか聞かされてきて、
10人以上の動員、目標30人と思ってここに来たが、最終日にして思わぬ成果となった。
こんな楽日はまたとない。
ネタの方もエジンバラの印象ギャグでいきなりドカーンと来た。
マクラからがんがんくる。
笑いを待たないと次に進めない。
子供の頃に見ていた「ルーシーショー」の客のような反応。(かなり古いか)
気持ちいい。
ほとんどが外国人で、日本人と同じように落語を聞いて笑っている。
落語は国境を越えられることを確信した。
喜んでいる間もなく、終演後バトンに吊ったプロジェクターを降ろすなど繁雑な作業が我々を待っていた。
次のグループの公演まで30分しかない。その間にこちらが撤収して、次のグループが設営をする。
ばたばたとかたずけて、事務所で荷造りをしていると、日本人の女の子が訪ねてきた。
エジンバラから少し離れたところに住む女の子が台湾の女の子を連れてわざわざ列車で来てくれたが、
時間を間違ってて終演後に着いたそうな。
かわいそう。
片づけしながらしばらく話して、また来年来るのでその時に是非と言って別れた。
いよいよ来年も参加しないといけなくなった。
公演後、劇場となったセント・オウガスティン教会の前で記念撮影し、
宿舎に荷物を置いて昼ご飯を食べ、それぞれ買い物に出かけた。
夜は近所のパブ「ジキルとハイド」でエジンバラ打ち上げ。
明日はまた列車でロンドンに帰る。

公演メンバー、前列左から桂福矢(太鼓・笛)、住田益子(三味線)、遠藤宏一郎(撮影)、後列左マイケル・ジャクソン(字幕)、桂小春團治(落語)

6日間公演を行ったオーガスティン教会。
8月13日(日) さよならエジンバラ
今日でエジンバラともお別れ。
7時頃に目が覚め、シャワーを浴びる。
太鼓やケーブル類は前夜に梱包していたので、自分の衣類などの荷物の整理にかかるが、
特大スーツケースでもぎっしり一杯の荷物、ちゃんとふたが閉まるだろうか。
スコットランド産業開発公社への土産が減った分、少し余裕はできたけど、まだまだかさが高く、
ふたの上に乗って何とか閉めた。
自分たちの使ったシーツやマクラカバーをはがし、タオルとともにランドリールームに運ぶ。
タンスやクローゼットの中は空だったけど、下宿屋なので家財道具などの備品がたくさんあって、
なくなった物がないかチェックリストがある。
各部屋でチェックリストと照らしながら備品の確認。
8日間すごした宿舎をあとに、大荷物をガラガラ引きながら、通りに出てタクシー2台に分乗して駅に向かった。
駅に着いて改めて駅の風景を見ると、8日前にこの駅に降り立ったときのことが遠い昔のように感じる。
来たときと同じように荷物車にスーツケースや太鼓を預け、指定の車両へ。
マイケルはエジンバラに残って仕事をするのでここでお別れ。
我々4人だけでロンドンに戻りホテルにチェックインしないといけない。
今回は席がちゃんと取れていて、向かい合わせでテーブルの着いた席だった。
10:00エジンバラ発。
車中で携帯が鳴り、取るといとこの聡君からで、自宅でのバーベキューパーティーに招待された。
予定通り14:30にロンドンのキングス・クロス駅に着き、またタクシー2台に分乗してホテルへ。
我々男はエキストラベッドが入れられた3人部屋で、隣のマルコはツインのシングルユース。
窓から大観覧車が見える。
明日はいよいよ世界最大の大観覧車「ロンドン・アイ」に乗る日。
夕方ホテルで待ち合わせして福矢とマルコは街に出ていった。
僕と遠藤君は部屋でメールをチェックし、返事などを書く。
イギリスにいる間2人は、それぞれMac.とWin.のノートパソコンを並べて、
モジュラーケーブルをやりとりしてメールを送っていた。
そうこうしているうちに聡君がボルボのワゴンでやって来て観光に連れて行ってくれた。
バッキンガム宮殿、ロンドン・タワー・ブリッジなど見物後 、ホテルに戻って福矢・マルコを拾い、聡君宅へ。
市街から車で30分ほどのところにある一軒家で、裏には英国らしい芝生の庭があった。
そこで炭火を焚き、バーベキューをして食べようとしてたけど、あいにく雨が降り出し、
室内で食べることとなった。
狂牛病が怖いからとオーストラリア産のビーフステーキと、サーモンステーキにちらし寿司。
イギリス最後の夜を温かいもてなしで飾ってくれた。
ほんとに聡君には大変世話になった。ありがとう。

ロンドン、タワーブリッジ。

いとこの聡君のロンドンの自宅で。
8月14日(月) イギリス最終日
今日は2日に予約を入れていた世界最大の観覧車「ロンドン アイ」に乗る日。
夕方それぞれの便で日本に帰るので朝早くから荷造りをして、ホテルのフロントに預け、
身軽になってからテムズ川を挟んで、ビッグ・ベンの斜め向かいにあるロンドン・アイに向かった。
我々の乗るのは午前10時。30分前には来るようにといわれてたので、早い目に並ぶ。
待つこと約20分、列が進みやがてロンドン・アイの根本に。
ほかの観覧車は観覧車をつないだ巨大な車輪の軸を両側から支えているが、
ロンドン・アイは片方だけで支えている。大きな扇風機のよう。
ゴンドラも楕円形のガラスのカプセルで、一度に30人ほど乗れるそうだけど、日本のように
めいっぱい詰めずに15人ほどしか乗せない。
ゆったりしている。
列の前の方を見ると、みんな小さな小屋の中に一度入って出てくる。
何の小屋なのかなぁと見ていると「フォトなんとか」と書かれている。
どうやらここで記念写真を撮るようだ。1周30分の間に写真入りの皿でも作るのかな、
などと冗談を言っているうちに、我々が入る番になった。
中はがらんとしていてカメラの姿が見えない。
あれれと思っている間にピカッと光って終了。
ガラスのしきりの向こうにデジカメが3~4台あって、グループごとに写真を撮り、
バックがグリーンのところを見ると、背景をクロマキー合成するよう。
ゴンドラの中にはベンチがあって10人ほど座れるけど、我々はあとの方に乗ったので座るところがなかった。
でもおかげでビッグ・ベン側の見晴らしのいい一角に陣取ることができた。
ロンドンは粘土質の地面に立っている街なのであまり高層建築物がなく、
ロンドン・アイからの見晴らしはよく、かなり遠くまで見通せる。
ビッグ・ベンを見下ろす眺めは最高。
降りてくると横のブースにテレビモニターが20台ほど並んでいて、先ほど撮った合成画像が、
グループごとに表示されている。
どこにカメラがあるかわからず、きょとんとした顔のまま写っているけど、記念なので番号を言って購入。
昼はまたまたJALの伊賀さんに日本料理をごちそうになり、
福矢とマルコは最後の買い物に。
僕と遠藤君はフジテレビ・ロンドン支局の守屋さんと会ってお茶を飲む。
守谷さんと遠藤君とは以前からの知り合いで、二人とも「ロンドンで会うとはなぁ」と、
しきりに言っていた。
夕方早い便で出発する福矢とマルコを駅まで送って、僕はハロッズへ
遠藤君は交通博物館へ寸暇を惜しんで出かけていった。
ハロッズで携帯が鳴り、取るとなにやら英語で話しかけてくる。
間違い電話だと思って切ると、またかかってくる。
3度目に空港まで我々を運んでくれるドライバーだとわかった。
「もうホテルの前にいるけどどうなってる」みたいなことを言っている。
約束は5時なのでそれまで待ってほしいと、あらん限りのボキャブラリーで伝える。
わかったかな?
5時前にホテルに戻ると、ドライバーはすぐに来た。
遠藤君も戻ってきて、フロントに預けてあった荷物を受け取り、空港へ。
チェックイン後、福矢とマルコの乗るキャセイがもうすぐ出るので、
彼らの飛行機のゲートに向かうももう乗り込んだみたいで会えずじまいだった。
JALのラウンジへ行きしばらく休憩。
ラウンジには仕事ができるデスクがあったので、そこの有料電話に回線をつなぎ最終のメールチェック。
便利なもんや。
空港までぎりぎりメールのやりとりができる。
8時、定刻通り飛行機は出発。
飛行機の中でも客室乗務員に言ってパソコンのバッテリーを借り、滞っているHP更新用の文面を書く。
座席の横に付いているリモコンが、テレビ画面を切り替えたり、電話になったりもするが、
そのリモコンをはめ込むところに電話のモジュラージャックを発見。
もしや、空の上からでもネットサーフィンや、メール交換もできるのかも。
でも値段を見て実験をする気をなくした。
1分7ドルちょっと。
これは手荒い。
帰りは気流の関係で行きより少し早くて10時間30分で関空着。
日付は代わって15日の午後3時30分。
15日間に及ぶイギリス公演は終わった。
長くてトラブルも多かったけど、遠い異国の地で見ず知らずの人たちにも助けられ、
結果的には劇場を満杯にして終えられた。
一生のうちで何度も味わえない経験をさせてもらった。
応援してくださったみなさん、どうもありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。

ロンドンの新名所、大観覧車「ロンドンアイ」の前で。福矢と僕と遠藤。

ガラス張りのロンドンアイのゴンドラの中からビッグベンをバックに。
イギリス公演ダイジェスト写真集

ロンドンの街角でのセルフポートレート

ロンドン、大和日英基金での鳴り物解説

トラファルガー広場で

エジンバラ駅に着いた列車

パソコンデスクと化したリビングの机

エジンバラ城をバックに。左から福矢、小春團治、遠藤。

会場のオーガスティン教会のドアに貼られたチラシ。

我々が宿泊していたフラットの玄関先で。左から住田、遠藤、マイケル、小春團治、福矢。
海外で紹介された新聞記事

THE TIMES 2000,8,11(スコットランド)

Daily Records 2000,8,11 / DAILY EXPRESS 2000,8,11(スコットランド)

スコッツマン 2000,8,11(スコットランド)
エジンバラ公演掲載記事(国内)

日本経済新聞 2000年8月31日

朝日新聞 2000年7月27日

朝日新聞 2000年9月6日
エジンバラ公演ダイジェストビデオ
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