
2001年8月17日~9月16日
国際交流基金・大和日英基金・在英国日本国大使館助成公演 協賛 JAL
8月17日(金)ロンドン到着
朝9:30、関西空港到着。
鳴り物担当のマルコ(住田益子)と、桂福矢とは10:00に待ち合わせているので
少し時間があったが待ち合わせ場所に行ってみると、マルコと福矢はすでにいた。
今回はこの三人でロンドンまで旅立つ。
空港の出国カウンターで露の新次と会う。
聞けば娘の留学先のロンドンに行くという。偶然同じ便だった。
プロデューサーのマイケル・ジャックソンは、7月中旬からずっと捕鯨のドキュメンタリーやなにやらで
イギリス・オランダ・スペインなどを旅していて、最後はアメリカのニューメキシコの
能の公演終わりでバルセロナに行き、別の仕事をこなして17日、
ロンドン・ヒースロー空港で我々と落ち合う手はず。
かなりハードなスケジュールをこなしている。
JAL421便で11:50関空発。約12時間のフライト。
機内では映画「トラフィック」を見る。
ほぼ定刻どうりにヒースロー空港に着いたが、入国審査のカウンターに長蛇の列。
いろんな国のいろんな人種が列に並んでいる。
マイケルは我々より早い便でバルセロナから着いていて、我々を待っているはず。
遅くなったので心配しているかもしれない。
着いて1時間半ほどかかりやっと到着ロビーに。
たくさんの迎えの人の中からマイケルを探したがいない。
昨年ロンドンで買った携帯を出し、1年ぶりにスイッチオン。
日本用のコンセントアダブターを買い、チャージしていたが日本の電圧は低すぎて
全然チャージできていない。いきなりローバッテリー。
何とかマイケルの携帯に電話したが留守電モードになっていて連絡できない。
改めてクレジットカードの使える公衆電話で2つ目の携帯に
電話しているところにマイケル登場。
聞くとニューメキシコからバルセロナに移動の際にスーツケースが消えたとのこと。
航空会社に問い合わせたが見つからないと言う。
スーツケースの中には今回のエジンバラフェスでやる「皿屋敷」の
翻訳フロッピーが入っていると言う。
初日の空港到着から大トラブル発生。
マイケルはすでにレンタカーを借りていて、車に荷物を積み込み、
夕方9/10・11の公演先のKensington Park Thistle Hotelを下見。
去年もたいへんお世話になったJALロンドン支店の伊賀さんと合流。
会場を見たが少し狭いので同じ通りの15m先にある
系列のKensington Palace Thistle Hotelに会場を変更。
夜は日本料理屋さんでマイケルの知人のとし子さん母娘と合流。
とし子さんは京都に住んでいるが、毎年夏には娘の留学先のロンドンに来ている。
去年もロンドンで何度か会ってフォーラムホテルのロンドン公演にも来てくれた。
料理屋にアメリカでマイケルと仕事していた能の松井あきらさんも到着。
松井さんは数日後にロンドンで能を教えるそうだけど、少し早い目に英国入りし、
エジンバラ・フェスの芝居をいくつか観劇するため、しばらく我々と行動を共にする。
夜はロンドン郊外のルートン空港近所のホテルに宿泊。
明朝グラスゴーに発つ。

関空で
8月18日(土)エジンバラ到着
8時にホテルを出てルートン空港へ。
ルートン空港はロンドンの郊外にあるが地球の歩き方にも乗っていないローカルな空港。
日本人は僕たちしかいないよう。
レンタカーを返し、チエックイン。
出発ロビーは不親切でどこ行きか表示がない。
ここでいいのかどうかもわからない。
マイケルがその辺の人に聞くがみんな「たぶんここ」みたいな返事。
そこかしこで同じようなことを聞く人がいる。
英国人でもわかりにくいよう。
グラスゴーまでは約1時間。
グラスゴー空港でまたレンタカーを借り高速を走って1時間ちょっとでエジンバラに到着。
ヒースロー空港からエジンバラ行きの便があるが、
1泊ロンドンに宿泊しても次の日ルートンからグラスゴーに行く方が安くつくらしい。
車で走っているとおなじみのエジンバラ城が見えてきた。
ところがいくら走ってもなかなか見覚えのあるところに行き着かない。
エジンバラは高台のエジンバラ城を中心にした町で、
どこからでも城が見える。
城にさえ向かえば道はわかるはずだけど、全然知らない道ばかり。
去年歩き回っていたときは小さな町だと思っていたが、
車で走ると案外大きい。
やっとなじみの道に出て、公演するオーガスティン着。
ここは教会で1階の礼拝堂と地下の集会所が劇場になっている。
エジンバラ・フェスの期間中こんな仮の劇場が市内に200カ所も出現し、
フリンジだけで6000ほどの公演が行われる。
我々の公演場所は去年と同じ約100席の地下集会所。
ここには近郊のスターリングに留学している岡本亜希子さんが待っていてくれた。
去年最終日の公演に時間を間違えて終わってから来た女の子で、
今年はスタッフとして手伝ってもらうことになった。
なじみのスタッフと挨拶し、打ち合わせ。
それからハイ・ストリートにチラシまきに出かける。
ハイ・ストリートはお城に至るロイヤル・マイルに続く道で、
フリンジ・オフィスがあり、たくさんの観光客が訪れるため、
大道芸や公演の宣伝のためのアーティスト達が衣装のままチラシを配ったり、
パフォーマンスをしたりで一番賑やかな通り。
チラシをある程度まいて遅い昼食。
昼食後チラシをまきながらオウガスティンに戻り、1泊だけするホテルに到着。
変わったホテルで、部屋は2LDK。
ツインの部屋が二つにソファーベッドのあるダイニング・リビング・キッチン。
ソファーベッドはマルコの寝床。
夜は去年も行ってうまかった中華屋。ホテルに帰るときかなり寒かった。
Tシャツに長袖シャツではぶるぶる震える。
明日はエントリーしているペリエ・コメディー・アウォードという
ヨーロッパ最大のコメディー賞の審査員が見に来る。
マイケルのスーツケースはまだ見つからず、
思い出しながら一から翻訳してるみたいだけど、間に合うか。

我々の公演劇場オウガスティン前のパフォーマー

ハイストリートのストリート・ミュージシャン
8月19日(日)公演スタート
朝10時にオーガスティンで公演の空きに照明その他のセッティング。
高座として去年使ったちょうどいい高さの台を今年も発注していたが、
何かの手違いで届いてない。
マイケルは何度も確認したらしいが去年からこんな事ばっかり。
外国は割といい加減。
楽屋のテーブルを二つ並べて置いてみたが少し低い。
楽屋にあったベンチを三つ並べて上に乗せると少し高いがいいようになった。
字幕用のスクリーンを高座の後ろに上からつるす。
今回スクリーンがネックだった。
昨年プロジェクターのコネクターがPCに合わず苦労したので、
今回はプロジェクターを持参した。
しかしスクリーンは巻いても長さが1.8mぐらいになってしまって、
飛行機や車の移動に支障が出る。
そこでコンパクトになるスクリーンを自分で製作した。
ホームセンターで伸縮する物干し竿と壁紙を買ってきて、
のばした竿に壁紙をクリップでとめる。
しまうと長さは1mほど。
プロジェクター、高座、照明とセッティングしていき、
昼過ぎホテルに戻って荷物を引き上げ、31日まで滞在するフラットへ。
車から全員のスーツケースと鳴り物、舞台用機材などを降ろしてフラットに入って驚いた。
我々の部屋は5階で階段しかない。
去年は3階でも荷物の上げ下ろしはヒーヒー言っていたのに、5階とは・・・・
僕のスーツケースは特大で子供の体重ぐらいの重さがある。
全ての荷物を運び上げたときはもうヘトヘト。
荷物を運ぶたびに体力が削がれる。
少し腰にダメージを受けたみたい。
部屋は去年のフラットより少し狭いが3LDK+1。
3ベッドの部屋に僕と福矢が、セミダブルのシングルには松井さんとマルコが
それぞれ入り、一番狭い3畳ほどの部屋にマイケルが入った。
ここはお宅の巣窟か、僕らの部屋は007のポスターがベタベタ貼ってあって、
ドアには水爆のキノコ雲の写真。
マルコの部屋はモンティーパイソンやら、オースティン・パワーズのポスターに、
ドアには「エボリューション」のちらしが。
マイケルの部屋にいたっては四方の壁になにやら漢字が書かれ、
どうやら風水の部屋らしく、ドアにはスター・ウォーズのヨーダの写真が。
近所のイタリア料理屋で昼食をとり、マルコ・福矢達はチラシ配り。
僕とマイケルは字幕の入力となったが、審査員が来るときに準備不足の「皿屋敷」は危険なので、
去年と同じ「お玉牛」に急遽変更。
新しいネタなども入れて字幕を手直しし、夕方劇場へ。
審査員のために急遽設定した公演なので、この公演はプログラムに載っていない。
劇場に頼んで人を集めてもらい無料で入場してもらった。
結局審査員は現れなかった。
せっかく審査員がこの日しかというので劇場に無理を言って1日借りたのに・・・
でもまだ字幕がうまく合わないところもあるようなので、
かえってよかったのかもしれない。
夜は近所の中華のデリバリーで知ってる限りの英語と中国語と筆談を駆使して、
四苦八苦しながら僕と福矢で春巻きと八宝菜、酢豚を買って部屋で食べた。
マイケルの荷物はやっとバルセロナで発見された。

ミキサー卓で字幕用のPCのセッティング

フラットのリビングで。マルコはスッピンなので・・・
8月20日(月)ミリタリー・タトゥー
今日は朝から26日に公演するグラスゴーと、28日のリビングストンの会場の下見。
今回この2カ所をセッティングしてくださった、
スコットランドの日本人コミュニティー紙「AZAMI」の
編集者の池島さんとの待ち合わせ場所にマイケルと車で向かった。
グラスゴーはエジンバラから高速で約1時間。
建築の町と言うことできれいな建物が多い。
OKOという回転寿司屋の2階ラウンジが会場。
この店はシンプル・マインドというバンドのメンバーがオーナーらしい。
2階に50人ほど座れそうなスペースがある。
天井が低いので高座に使うテーブルの上に座ると頭がつかえそう。
下座のスペース、字幕のスクリーン、プロジェクター位置などチェック。
続いて岡本さんをスターリングに迎えに行き、空港でレンタカーを乗り換える。
今の車は7人乗りの少し大きめの車だけど、これからしばらくは
スーツケースを乗せることがないので小さい車に乗り換え、
レンタカー代を節約。
ところが今度の車はマニュアル車。
途中でマイケルが僕に運転してみるかと勧める。
エジンバラみたいな繁華なところでいきなり運転するより、
田舎で練習しといた方がいいという。
日本を出る前に国際免許はとってきたが、マニュアル車は20年ぶりぐらい。
クラッチをつい忘れてしまう。
おまけに馴染みのないランナバウトと言われるサークル交差点にもとまどう。
初めて路上教習に出たときのような気持ち。
リビングストンのオールド・ステーション・コミュニティーセンターになんとか到着。
ここは古い駅舎を使った公民館みたいな所。
小さな体育館のようなフロアーに、ちゃんと舞台もある。
舞台にテーブルを置いて高座にすることを確認。
若夫婦みたいな人が多いそうでベビーシッターを雇って、託児施設有りと謳って
若い夫婦達にアピールしようとなった。
帰りはマイケルの運転でエジンバラに帰ってきた。
マルコと福矢はその間ずっとチラシ配り。
今日は雨が降らないようなので着物姿で配布していた。
夕方、岡本さんと領事館にチラシを届けに行き、太田領事に宣伝のお願い。
帰りにシャンプーやらボディーソープ、地図を買い、
フラットへ帰るのにタクシーをつかまえようとしたが
見つからず、バスで帰ることにした。
路線図を見てもよくわからないし、値段もわからない。
何とか通りの名前でめっこをつけてバスに乗り込む。
£1硬貨を2枚出すと1枚でいいという。
一人50p、約90円。
フラットの前がバス停なので停留所の名前がわからなくても景色ですぐにわかった。
去年二階建てバスに乗り損ねていたので2年越しでバスにやっと乗れた。
夜は松井さんのご招待で
シーフードレストラン「FISHER」へ。
生ガキは日本のものより柔らかくてうまいし、
山盛りのムール貝はみんな黙々と取っては口に運ぶ。
ひらめ、ロブスター、にしん、いか・・・どれをとってもうまい。
予約しないと入れないのがよくわかる。
食後、僕と福矢はエジンバラ城で行われるミリタリー・タトゥーを見に行く。
エジンバラ・フェスの期間中行われる名物の軍楽隊のショー。
エジンバラ城前の長方形の広場に巨大な仮設スタンドがコの字型に配置されている。
毎日夕方になると近所がバスの路上駐車で埋め尽くされ、
オウガスティンに荷物を搬入する時いつも困る。
去年タトゥーを見たかったけれど、50周年記念という事もあり切符がとれず
見ることができなかったが、今年は早い目にマイケルに予約してもらった。
7000人ぐらい入れるスタンドは超満員。
僕らの席は大きなスタンドのてっぺん。
冷たい風が吹く。みんなまるで冬のようないでたち。
なんかラグビー観戦のよう。
寒かったけどショーはすばらしかった。
軍楽隊はレベルが高く御堂筋パレードの数倍の迫力で、
装甲車が登場したりロシア舞踊があったり、飽きさせない。
最後は大勢の軍楽隊とバグパイプで広場は埋め尽くされ僕らにも馴染みのある曲を
バグパイプで演奏、観客も皆横の人と手をつないで大合唱。
盛り上がったところで花火が上がる。
もう大感激。いやぁいいもの見せてもらいました。
ミリタリー・タトゥーを見れば、スコットランドが好きになる。
帰りはお城からフラットまで歩いて帰った。
約20分ほどだったけどせっせと歩いたので冷えた身体が少し暖まった。

ミリタリー・タトゥー

タトゥーが行われていた広場で
8月21日(火)ペリエの審査員が来る
今日、我々がエントリーしているコメディー賞、ペリエ・コメディー・アウォードの
審査員が来ることになった。
「皿屋敷」が入力途中だったし、リハもできないので、
今回も「お玉牛」でいくことにする。
ほかにもベルリンの言葉の芸術祭のシモンさんと、ミネソタのフリンジの関係者も来るらしい。
7月末にシモンさんから招待状が送られてきた。
全て英語の文面だけどなんか招待するというようなことが書いてある。
翻訳ソフトで翻訳してみると、来年1月ベルリンで言葉にまつわる
芸術祭を開くのでぜひ出演してほしいというようなことが書いてある。
英国にいたマイケルにメールし、コンタクトするように依頼。
むこうもホリデーやらなんやらでちゃんと話できなかったようだけど、見に来てくれるらしい。
午前中は皆それぞれゆっくりし、昼からチラシ配りと、残って作業する組とに分かれて行動。
ペリエは時間の規定もあって50分以内と言われているので、
夕方チラシ配りを終えて帰ってきた福矢・マルコも交えてリハーサル。
時間を計ると約45分。まあいい時間。
リハ終わりでマイケルが椅子の肘掛けをノックして「タッチ・ウッド」と言った。
イギリスでは木に触っておくと幸運が訪れると言われていると去年教えられたのを思い出した。
僕も同じように机をこんこんとノックして「タッチ・ウッド」。
リハにてまどい、8:00からの公演なのにフラットを出たのが7:10。
車で5分ほどで劇場に着くが、劇場前はタトゥー客のバスが
びっしり停まっていて横付けできない。
中央分離帯に車を止め太鼓など荷物を運び込む。
前の芝居は7:30に終わり、30分で舞台装置や楽屋を入れ替える。
鳴り物などある程度のセッティングは廊下でしておき、
芝居が終わると荷物を会場に運び込む。
予定より15分すぎて前の芝居が終了。
役者やスタッフが全員で撤収作業に取りかかる。
次の設営組と前の撤収組が入り乱れて戦場のよう。
机やベンチを楽屋から運んで高座の設営。
脚立に登ってスクリーンの設置、プロジェクター・照明の位置調節、
ビデオ・デジカメ・パソコン・鳴り物セッティングに着替え・・・。
舞台前に汗だく。
前から押してきた分きっちり15分押しで開演。
客の入りは約20人、まずまずの人数。
終演後マイケルに聞くと審査員は次の時間が迫ってるからと、
落語終わりですぐに出ていったそうやけど、最後までなにやらメモしてたらしい。
ベルリンから来たシモンさんは思ったより若い女性で、
これから条件面などマイケルと話してもらう。
フラットに荷物を運んだあと、マイケルは仕事、松井さんは芝居を見に我々から離れ、
僕、マルコ、福矢、岡本の4人、イタリア・レストランで夕食をすます。

表通りに面した自分専用の机、窓から大きな尖塔の教会が見える。

お手製のスクリーンを張る。
8月22日(水)大阪から叔父と叔母がやって来た
朝早くに松井さんがロンドンに向け発った。
毎日遅くまで精力的に芝居をはしごし、よく飲むタフな方。
3日間で10公演ぐらい芝居を見たらしい。
午前中はたいがい自由行動なので朝はみんなゆっくり寝ている。
僕はいつも早く起きてシャワーを浴びてパソコンに向かう。
去年の英国公演と同じ生活パターン。
プロバイダーがなにか設定を変えたようで、海外から受信はできても
送信ができないと言う不都合があり、設定を変えるのに苦労したが、
今では調子がいいとは言えないがなんとかやりとりできるようになった。
昼からチラシ配り班とその他作業班に別れて行動。
フラットで作業して去年もお世話になった、れい子インダーさんのおうちに
チラシを持っていくことにする。
地図で見るとれい子さんのおうちは、うちのフラットから歩いて10分ほどの所。
チラシを持っててくてく歩いていく。
今日は気温が高い。24度はありそう。
厚着して出てきたので途中で上着を脱ぐ。
去年一度おじゃましたので家はすぐに見つかった。
れい子さんのところでお茶をいただきながら作戦会議。
帰りは方角を見定め、公園の中をショートカット。
広々とした芝生が広がり気持ちいい。
公園でゴルフしている人がいる。
見るとそのエリアはゴルフ練習用のスペースで、
30ホールほどグリーンが作られている。
ピッチングとパターだけを使いアプローチとパッティングの練習のみできるみたい。
3歳ぐらいの子供も親と練習していた。さすがスコットランド。
宿に戻ってしばらくするとチラシ配り班の福矢・マルコも帰ってきて。
夕食の仕込みにかかる。
今日は岡本さんが持ってきてくれた炊飯器で米を炊き、
日本から持ってきたカレーを作る。
マルコと福矢がキッチンでせっせとカレー作りに励んでいた。
7時頃に劇場に行きまたまた戦争のような設営で汗だくになり開演。
今日は15人ぐらいの入り。
昨年も言われたがフリンジの平均入場者は6人で、0のグループもあり、
この時期になると公演を中止して帰ってしまったグループもあるので
よしとしないといけない。
昨日来たミネソタのフリンジ関係者が今日も来ているらしい。
昨年ロンドンで世話になった、いとこの聡君の両親、
つまり僕の叔父と叔母が聡君の奥さんと息子と一緒に見に来てくれた。
聡君は仕事でこれなかった。
叔父と叔母は豊中に住んでいるが、孫に会いに来たついでに
甥の落語もとエジンバラまで足を延ばしてくれたよう。
終演後ロビーで会う。
先日法事で会ったとき膝を痛めているのでイギリスまではと言っていたけど、
杖をつきながらエジンバラまで来てくれた。
ありがたいことだ。
フラットに帰りカレーを食べる。
マルコがかなりいろんなものを隠し味で入れたみたいで、
辛いけどうまい。
マイケルがスーパーで野菜などをたくさん買い込んできたので、
これからが福矢シェフの腕の見せ所。

ゴルフの練習もできる近所の公園

マクラで扇子手拭いの使い方を説明
8月23日(木)福矢がテレビにでる
午前中はいつものようにそれぞれ行動。
それぞれ行動と言っても洗濯したり、福矢やマルコは食料や日用品の買い出し、
料理づくり、僕はHPの更新やメールチェックなど結構忙しく、
みんなのんびりする暇があまりない。
昼からは日課のチラシ配り。
今日は天気が良さそうなので着物で配ることにする。
こっちに来たときはどんよりとして降ったりやんだりの日が続いたので
服で配っていた。
ここのところ天気も良く暖かいので着物で配布する。
やはり服よりも着物の方がチラシもよく取ってもらえる。
先発隊の福矢・マルコの後を追って着物に着替え、一人タクシーで劇場へ。
日本では衣装のまま表を歩くことなんかほとんどないが、
こっちでは民族衣装の人がたくさんいるので、そんなに気にならない。
オウガスティンでチラシを補充し、一番賑やかなハイストリートに。
チラシをまいている時、テレビ・クルーが福矢に近づいてきた。
マジシャンらしき男が福矢にトランプを一枚引かせ、なにか書けと言う。
マジックで「桂」と書いてカードの束に戻したが、
マジシャンが出した財布を開けると福矢が書いたカードがそこにあった。
「え~~~」と大層に驚く福矢。
大成功と、次のターゲットにクルーが移動しだしたとき、
福矢は僕に言った。「あんなもんでいいですかね、兄さん」。
マジシャンに英語でペラペラ話しかけられ、
「え~~、アイ・ドント・ノー、、ジャパニーズ・オンリー」と
呪文のように唱えていた男とは思えんコメント。
5時頃に配布を終え、フラットに戻る。
着替えをし7時頃劇場へ、今日の入りは30人ほど。
今日はマイケルの友人の雑誌記者ローナがロンドンから見に来てくれて、
うちのフラットに泊まった。
終演後荷物を置きに帰り、もう一人別の雑誌記者とその友人の日本人の女の子、
今回世話になった京都のプロデューサーの遠藤さんとでインド料理を食べに行った。
結構うまかったけど、マイケルがたくさん言い過ぎたのと、
夕食を済ませた人もいて残ってしまった。
お持ち帰りにしてもらったので、明日のお昼にでも食べよう。

チラシ配りに精を出す福矢。このあとテレビ・クルーが・・・

字幕の打ち合わせをする僕とマイケル。毎日手直しする。
8月24日(金)朝日新聞密着取材
朝いつものようにコーンフレークを食べると、牛乳がなくなった。
マイケルが新しいのを買っていたなと冷蔵庫の入っている戸棚を開けると、
冷蔵庫の上に3リットルは入っている大きな牛乳容器がさらのまま置かれている。
見ると上の方はすでに分離してヨーグルトになっていた。
この戸棚は冷蔵庫だけじゃなく、ボイラーも入っているので温度が上がる。
マイケルはたくさん買うと安くなるからと、おとついジャガイモやにんじんなどの野菜や
牛乳を買い込んだが、冷蔵庫に一杯ものが入っていたので牛乳は入れられず、
とりあえず冷蔵庫の上にと置いていて忘れてしまったよう。
もったいない、3リットルの牛乳を捨てる羽目になった。
あとでマルコに聞くと捨てるときすごい臭いがしてたそう。
昼食に昨日お持ち帰りしたインドカレーを温めて食べる。
いろんな種類があっておいしかった。
昼食後近所のスーパーで僕とマルコ、福矢で買い出しに出かける。
いる物をメモし、トイレットペーパー、ミネラルウォーター、牛乳、食器洗い洗剤、
小麦粉、マヨネーズ、インスタントスープ、シリアル、オレンジジュース、
ミックスシーフード、氷などなど大量に買い込む。
スーパーでプロレスラーの写真が何枚か見られるのぞきからくりのような
おもちゃがカプセルに入ったガチャガチャをマルコが発見。
買ってくれとせがむので一つ£1のカプセルを2つ買ってやった。
今日は去年好評だったお好み焼きの予定。
岡本さんが持ってきてくれたお好み焼き粉や青のり、
天かす、トンカツソースなどがありがたい。
4時頃から日課のハイ・ストリートでのチラシ配り。
今日も天気がいいので3人着物で配布。
ローナは劇場前でお別れした。
これからロンドンに帰り、来週はドイツで1週間休日を楽しむそう。
ハイストリートでチラシを配る日本人を発見し話をすると、
毎年このフェスに参加しているインド舞踊を取り入れた創作舞踊の
シャクティーさんのスタッフらしい。
客の入りを聞くとどこもやはり苦戦らしく、
新聞の批評で写真入りで5つ星の評価をもらった舞踏集団が50人の入りだったという。
僕もその新聞は見たがかなり大きな扱いだったのに
50人しか入らないのかなと、不思議に思う。
夕方宿に戻り、支度をして劇場に。
昨夜一緒に食事した遠藤さんが見に来てくれた。
客の入りは10人ちょっとだったけど、とてもいいお客さん。
反応は上々。
遠藤さんも外国人があんなに笑ってるのに、この入りではもったいないと、
しきりに言ってくれた。
今日は朝日新聞の上田さんが取材に来る。
夕方エジンバラ空港に着くと思っていたが、11時着だった。
フラットで連絡を待っていると11時半頃呼び鈴が鳴った。上田さんだった。
自力でフラットを探し出してよく来られたもんだ。
インスタントラーメンと週刊誌の差し入れを頂く。
これから上田さんもうちのフラットにしばらく滞在する。
文字通りの密着取材。
入れ替わり立ち替わりゲストルームにはお客さんがひっきりなしに訪れる。
お好み焼きとワインで談笑。
明日から本格的な取材が始まる。

台所で料理を作る福矢とマルコ。

劇場となっているオーガスティン教会の前で、
ボランティア・スタッフとして働く日本人の女の子と。
8月25日(土)ペリエ・コメディー・アウォード発表
朝、マルコが浴室のシャワーのお湯が出ないと言う。
スイッチを入れてもランプがつかず水しか出ない。
ボイラーは冷蔵庫と同じ戸棚の中にあって見るとちゃんとついている。
マイケルに聞こうとドアをノックしたが返事がない。
マイケルは昨夜スペイン人タップダンサーと仕事の話をしに出かけていき、
夜が遅かったので、まだ寝ているのだと思ってドアを開けるともぬけの殻。
どうやら昨夜は帰ってないよう。
バスタブ側はお湯が出るので台所から手鍋を持ち込み、
鍋でお湯をすくって頭や身体にかけることにする。
ところが日本のような混合栓じゃなく、お湯と水が別の蛇口から出るので、
お湯をすくって水でうめないといけない。
お湯と水の蛇口を行ったり来たり鍋ですくって頭や身体にかける。
三人風呂を使い終わったところにマイケルが帰ってきた。
タップダンサー達の宿に泊まっていたらしい。
シャワーが出ないと訴えると、あちこちのぞいてメインスイッチを発見。
洗面台の上に天井からひもがぶら下がっていて、これがシャワーのメインスイッチだという。
ひもを引き本体のスイッチを入れると、ちゃんとシャワーからお湯が出た。
こんなひもがシャワーのメインスイッチなんて誰が気付くねん。
国が変わるとずいぶん機械のスイッチも変わるもんや。
昨日誰かが間違ってひっぱったんやと思う。
昼は朝日の上田さんが持ってきてくれたインスタントラーメンを食べる。
どんぶりがないので4人分のラーメンを鍋で炊き、
テーブルの真ん中に鍋ごと置き、それぞれスープ皿にとって食べた。
去年領事館でこっちのポッドと言うカップラーメンを食べてまずかったと
舘石領事に言うと、日本のインスタントラーメンを差し入れてくれ、
みんなで涙流しながらうまいうまいと鍋食いしたことを思い出す。
今日は「皿屋敷」をやってみようと、
僕とマイケルは字幕の打ち合わせ、福矢・マルコはチラシ配りに出かける。
あとで聞くと福矢はチラシ配りのとき、毎回「ジャパニーズ・コメディー」と言うのは飽きてくるので、
「ジャパニーズ・エロティック・ショー」とか、僕のチラシの写真を指さして悲しそうな顔で
「マイ・ファーザー」と、色気でひっかけたり、不憫哀れで同情誘ったりしてたらしい。
マルコなどは相手が日本語がわからないことをいいことに、チラシを渡すとき
ニコニコしながら「お前ぶっさいくやな」「あんた乳でかいんちゃうん」などと言って
渡してたそう。失礼なやっちゃ。
今日の入りは30人ほどでもノリはいまいち。
マイケルに聞くと日本人が多かったからだという。
英国人が笑おうとしても日本人があまり笑わないと失礼なのかと思って
笑いを抑えてしまったらしい。
字幕を読む時間を稼ぐためにかなりゆっくりしたテンポでしゃべってる。
日本人にとっては間延びして聞こえるかもしれない。
少なくてもすごくうけるときもあれば多くても乗りが悪いときもある。
毎日反応が変わる、それは日本でも同じ。
それがライブ芸だ。
宿に戻って福矢・マルコの作ったペペロンチーノ・スパゲティーとワインで遅い夕食。
夜の12時、我々がエントリーしたペリエの発表がテレビであった。
残念ながら最終選考にも漏れた。
大賞は映像を使ったコメディーで、最近の流行らしい。
規定で英語でしかエントリーできないコンペに
字幕は英語だからとトップの人間をマイケルが数時間にわたり説得して
何とか参加したがやはりだめだった。
マイケルは最終選考に残ったコメディアンの舞台をテレビで見ながら、
「全然おもしろくない」「単純な笑い」「うちの方が絶対おもしろい」と
ワインの酔いもあってテレビに突っ込んでいた。
選には漏れたが、英国最大のコメディー賞に、
英語以外で参加した初めての外国人として足跡は残せたと思う。

我々の宿の前で

一番賑やかなハイ・ストリートの竹馬パフォーマー
8月26日(日)グラスゴー公演
午前中シャワーを浴びたり洗濯したり、
ばたばた用事を済ませてグラスゴーへ出発。
今日は昼間グラスゴーの回転寿司屋OKOでの落語会。
シンプル・マインズというバンドのメンバーがオーナーらしい。
珍しくスコーンと晴れ渡りいいドライブ日和だった。
エジンバラから車で約1時間、田園風景を楽しむ。
1時過ぎに到着し簡単に昼食後設営にかかる。
会場は2階ラウンジ。
自分たちでテーブルや椅子を動かしてセッティングしないといけない。、
設営にかなり時間がかかってしまった。
宣伝があまり行き届いてなかったようで、入りはよくなかったがいいお客さんだった。
撤収が終わって寿司を少しつまむ。
酢が少し少ないよう。
また1時間かけてエジンバラに戻ってまた公演。
劇場に着くと今日はタトゥー客のバスが停まっていない。
タトゥーは昨日で終わったよう。
心なしか町に人が少なくなったよう。
劇場に入ると客席や楽屋は誰もいない。
僕らの前に芝居していたグループが昨日で楽日だったよう。
おかげでゆっくり設営できるし、楽屋にごちゃごちゃ置いてあった
小道具類もなくなってて、すっきりしている。
もうフリンジもおしまいなんだなぁと改めて思う。
今日の入りは20数人。
一番前に可愛い女の子の団体がいた。
高校生ぐらいと思われたがよく笑ってくれる。
終演後上田さんがインタビュー。
僕らと同じ劇場で芝居している高校生で、日本の古典のものでこんなに笑えるものがあったとは
知らなかった、みたいな事を言っていた。
日本人の女の子2人はフリンジのプログラムで偶然見つけて来てくれた。
やはり古典だと聞いて古典でもこんなにおもしろいとは知らなかったと言っていた。
公演の度に設営撤収があるのでかなり疲れる。
おまけにプロジェクターや変圧器などいつもと違う機材もあって、
宿に帰って5階までの階段がかなりこたえる。
疲れが溜まってるのかもしれない。
のどが痛い。
夕食はエジンバラに着いた日に食べに行った近所のイタリアン。
味が薄味で僕らによく合うし、おやじが気さくでおもしろい。
アボガドサラダを頼むと福矢がアボガドは初めてだという。
マイケルがおやじに「アボガド・バージン」と福矢を指さすと、
おやじに大受け。
ビールで乾杯し、途中からワイン。
宿に帰ってまたスコッチ。
こっちに来てからよく飲む。
今日で全行程の1/3が終わった。
明日はエジンバラフェス最終日、観光客はかなり少なくなってるよう。
客の入りはどうか?

日本と同じような回転寿司屋。

設営撤収がたいへん
8月27日(月)フリンジ最終日
今日はエジンバラでの最終公演。
午前中はいつものようにそれぞれの用事をした。
マイケルはレンタカーの契約が切れるので、大きい車に替えに出かけに行った。
週単位で借りると安くなるので31日の大移動のために大きい車に今のうちに
乗り替えようということだ。
朝日の上田さんが僕の部屋にやってきて、持ってきたノートパソコンがおかしいという。
見に行くと画面が真っ黒になっている部分と色が極彩色になっている部分に分かれ、
デスクトップ画面が出ていない。
よく見てみると、液晶パネルが割れていた。
昨日までちゃんと使っていたそうやけど、机の上に置いといて割れることもない。
誰も上田さんの部屋には入ってないし・・・。
上田さんはPCをプチプチで梱包し、バスタオルを巻いてリュックに入れ、
機内持ち込みで運んできたそうやけど、どこかでぶつけられたのかもしれない。
今まで何とかもっていたが、とうとう液晶が漏れだし画面が見えなくなったのかもしれない。
中には大事なデータもあるみたいやけど、ダメージはディスプレイだけで、
ハードディスクが無事ならデータは大丈夫だろう。
昼食をとっているとマイケルが戻ってきた。
レンタカーを借り替えようとしたら、クレジットカードが使えないからだめだと言われたらしい。
先週ちゃんと入金したのになにかの手違いで入金されていないことになっていて、
おまけに今日は月曜日なのに金融機関が休みで確認できないらしい。
現金ではだめだと言うことで明日銀行に連絡し、車は明日借りることにする。
昼から公演内容の変更打ち合わせ。
小咄を少し足し、今日はフリンジ最後の公演なのでなにかエンディングをしようと言うことになった。
お客さんからはミュージシャン達が見たいというリクエストが結構あるので、
落語のあと囃子方を舞台に出し、何曲か演奏することにする。
1曲目は「なすとかぼちゃ」。
なすびとかぼちゃが畑で喧嘩するコミカルな曲。
2曲目はなるべく陽気なアップテンポの曲でいこうと検討した結果、
決まったのは「ちょんこ節」だった。
この曲はアップテンポの陽気な曲だけど、性器の原語がもろに出てくるえげつない曲。
日本ではまず舞台では歌われない。宴会の時みんなで回す酒席の唄。
日本人も来たりするのでそのままではできないので、ソフトな歌詞を探す。
「八五郎坊主」に出てくる「坊主抱いて寝りゃ可愛いてならぬ、
どこが尻やら頭やら」はすぐ決まったが、舞台でできない歌詞ばかり思い出す。
マイケルはゲラゲラ笑っていたけど、舞台ではかけられない。
こういうことはと二代目春団治夫人に国際電話を掛け、
電話でちょんこ節の歌詞を聞くが、やはりえげつないのばかり。
都々逸の歌詞がそのままはまるので都々逸の歌詞を聞くと、
今度は粋すぎて日本人でもわからない。
都々逸やさのさから使えそうな歌詞をいくつか教えてもらった。
最後は故砂川捨丸師の「可哀相だよズボンのおなら、右と左に泣き別れ」を付け、
創作で「うれしいもんだねキルトのおなら、共に手をとり風になる」と
スコットランドの男性スカート、キルトをおり込んで
きれいなのか汚いのかわからないご当地歌詞を作って入れた。
今日の入りは約15人、7割が英国人。
落語が終わって囃子方を舞台に出し、「なすかぼ」をマルコが歌ったあと、
「ちょんこ節」を僕とマルコが掛け合いで歌う。
英国人達も手拍子しながら訳も分からず「chonko chonko」と合唱する。
おそらく今日が、海外の舞台で演奏された初めての「ちょんこ節」だと思う。
川上音次郎の「おっぺけぺ」と同じように海を渡った「ちょんこ節」は後世に語り継がれ、
「長崎ぶらぶら節」ならぬ「エジンバラちょんこ節」として映画化されるかも・・・・
・・・・・せえへん、せえへん!
こうして僕たちのエジンバラ公演も終わり、8月5日から3週間にわたった
エジンバラ・フェスティバル・フリンジは幕を閉じた。

僕たちが勝手に「博士」と名付け、とってもよく働いてくれた劇場スタッフ。

終演後舞台で記念撮影
8月28日(火)リビングストン公演
今日は昼間時間があったので、みんなバラバラで行動。
みんな出かけたあと一人フラットに残ってメールを書いたり、
ホームページの更新をして僕も出かける。
青々した広大な芝生の公園を抜け、
オーガスティンの前を通り、お城に続くハイ・ストリートに。
フリンジのゲートは残っているものの、たくさんのパフォーマーや観光客で
ごったがえっていた歩行者天国はなくなり、車が走っている。
観光客もかなり少なくなった。
デジカメやビデオを撮りながら大通り、プリンセス・ストリートへ。
去年も行ったバーガー・キングで一人昼食。
狂牛病が怖いので一応チキン・バーガーを注文。
そのあとお城の足下プリンセス・ストリート・ガーデンを歩く。
天気がいいのでぽかぽか暖かく気持ちいい。
たくさんのストリート・ミュージシャンが演奏している。
胡弓などの中国楽器、ロシア民謡、管楽器のカルテット、
バイオリン・デュオ、キルト姿のバグパイプ。
公園を歩くだけで飽きない。
プリンセス・ストリートを東にまっすぐ歩いてカールトン・ヒルへ。
去年行きそびれたスポットで、エジンバラの町が一望できる。
丘の上にギリシャ風の建築物が建ち、横にネルソン記念塔と言う展望塔が立っている。
入場料は£2(約360円)。
とても小さな建物で、入るとすぐ小さなドアがあり階段室へ。
狭い螺旋階段を上っていくが、いつまでたっても頂上に着かない。
うちのフラットの5階の階段より多いと思う。
ヒーヒー言いながらこれまた小さなドアを開けて出ると、
塔てっぺんのバルコニー。
丘からでも十分眺めはいいが、この塔から見るエジンバラはまた格別。
360度完全パノラマのエジンバラが見渡せる。
去年ウェルカム・パーティーで行ったドーム・テントも見える。
またてくてく公園を抜け4時前宿に帰る。
5~6kmは歩いたと思う。
4時半頃フラットを出発リビングストンへ。
30分ぐらいで行けるところだけど渋滞で遅れ、
5時半頃に会場のオールド・ステーション・コミュニティー・センターに到着。
ここは煉瓦造りの古い駅舎をコミュニティー・センターにしている。
小さな体育館のような所に椅子を並べ、舞台に高座と下座のスペース、
スクリーン、プロジェクターなどを設置する。
リビングストンはNECなど日本企業の工場があるので領事館から
落語会のお知らせをしたもらったが、入りはいまいち。
聞くと落語に興味のある人はエジンバラに来てくれたよう。
距離的に少し近すぎたかもしれない。
風邪がのどに来て出ない声を無理矢理絞り出して一席終える。
宿に帰ってお持ち帰りの中華で遅い夕食。
明日はスターリング大学での公演。
夏休み中やから、さて何人集まるか。

常にたくさんの人が歩いていたロイヤル・マイルも閑散としている。

カールトン・ヒルから見たエジンバラ城と町並み。
8月29日(水)スターリング公演
今日は車で1時間ほどの所にあるスターリング大学での公演。
昼過ぎに車に鳴り物や機材を積み込み出発。
グラスゴーやリビングストンに行くときに何度も通ったM-8を走っていたが、
スターリング行きには観光ルートもあるよう。
途中で観光ルートという道路に乗り替え橋を渡り、田園風景の広がる、
のどかな道路を走った。
スターリング大学には少し早く着いたのでちょっと学内見学。
スターリング大学はキャンパス内に大きな池があり、城が建ち、
野ウサギがいたるところにいて、ゴルフコースまである、
日本では考えられないような大学。
小さな20人ほど入ると一杯になる教室で舞台セッティング。
この大学に留学していて、エジンバラでずっと手伝ってくれてた岡本さんが、
客集めをしてくれてたようで、床にまで座って狭い教室に30人ぐらい生徒達が集まった。
今日は日本スコットランド協会の主催で、スコットランド協会の稲富さん
(エジンバラ最終日にも見に来てくれたサントリーの元チーフ・ブレンダー)、
関西大学の黒田先生も来ていた。
この大学に留学しているいろんな国の生徒達が熱心に聞いてくれた。
帰り近所のパブで一杯飲みましょうとなり、
稲富さんが運転する赤いレンタカーの後ろを我々は走っていた。
ずっとついていくと、その赤い車は普通の家の駐車場に入っていった。
黒田先生が宿になんか取りに行ったのかと思って家の前に車を止めると、
全く知らないおっさんが車から出てきた。
大学からずっとついていったつもりなのにどこかで入れ替わったよう。
車内大爆笑。
ひとしきり笑ったあと、困ってしまった。
パブの場所がわからない。
来た道を戻って赤い車を探したが、似たような車はあるものの、
稲富さんの車を完全に見失ってしまった。
岡本さんが僕の携帯番号を知っているので、連絡が来るだろうとカバンを探ると携帯がない。
チャージしていてもってくるのを忘れたよう。
マイケルが記憶の糸をたぐり寄せ店の名前を思い出した。
それから番号案内で店の電話番号を調べ、店に電話して場所を聞き出した。
店に入っていくと稲富さん、黒田さん達がすごく驚いた。
携帯も通じないし土地勘もない我々なので、仕方なくエジンバラに戻ったと思っていたよう。
ビールで乾杯し、食事でもとなったが、今夜は朝日新聞の上田さんの最後の晩で、
お別れパーティーをしようと先日行った魚料理の店「フィッシャー」を予約していた。
「フィッシャー」で一緒に食事しませんかと稲富さん達に持ちかけた。
黒田先生はスターリングのB&Bを予約していたが、
うちのフラットにベッドが余ってますので是非うちでと勧め、うちに泊まることになった。
帰りのフリーウエイで福矢がおしっこがしたいと言う。
路肩に車を止め茂みで福矢が用を足し始めたとき、車は福矢を残して発車。
このあたりの高速は照明が全然ついていない。
車が通らないと本当の漆黒の闇になる。
ゆっくり走っていると、闇の中から福矢が必死に走ってくる。
まるでゾンビが追いかけて来るみたいだった。
「フィッシャー」で、またまた山盛りのムール貝をたいらげ、
リゾット風のご飯にサーモンステーキが乗った料理を食べた。
ほんとにここの魚介類はうまい。
食べきれず少し残してしまった。もったいない。
明日からしばらく公演がないので明日はのんびりする。
のどもやっと休ませることができる。

スターリング大学内のお城の前で。後ろの芝生はパターの練習場になっている。

高速で置き去りにされ必死で追いすがる福矢。
8月30日(木)完全オフ
朝9時頃、うちに泊まっていた黒田先生はイタリアに向けて旅立った。
朝日の上田さんも12時前に日本に帰った。
上田さんは31日に日本に着き、1日の彦八まつりの取材をするそう。
かなりハードなスケジュール。
今日はイギリスに来て初めての完全オフ。
ところが朝からあいにくの雨で、昼頃からマルコと福矢はビールを飲みだし、
僕もスコッチでつきあう。
しばらくすると、福矢が部屋で寝だし、マルコも自分の部屋へ消えた。
酔いもあって完全オフはフラットでだらだら。
2時頃から陽が照りだし、エジンバラ最後の休日なのに、
このまま部屋にいるのももったいないので4時頃タクシーでホリールード宮殿へ。
エリザベス女王も泊まる現役の宮殿だけど、一般公開されている。
部屋の奥にキングとクイーンが並んで座るような接見の間、
王様の寝室、妃の寝室などなど、見て回る。
ホリールードを出てハイ・ストリートをまっすぐお城に向かって歩く。
そのままロイヤル・マイルからお城へ。
まだミリタリー・タトゥーのスタンドは残っていて、撤収作業中だった。
珍しく夕陽がまぶしい。
晴れていてもなんか雲が多いので、こんなに陽が傾いてても雲に遮られることなく
陽が差すのは珍しい気がする。
城から下り坂を歩いてフラットに帰ることにする。
下りが終わると今度はフラットまで緩やかな登り。
この町はアップ・ダウンが多い。
6時半頃フラットに戻ると誰もいなかった。
福矢・マルコも出かけたよう。
洗濯した手拭いにアイロンをあてているところにマイケルから電話。
明日の大移動のため少し大きめのレンタカーを手配しようとしてるが、
今は手頃なのがなく、待っているそう。
8時過ぎ、福矢とマルコが帰ってきて近所のイタリアン「インカ」に出かける。
味が薄味で我々によく合い、おやじが楽しい。これでこの店3回目。
マイケルがいなかったので、我々だけでおやじに聞きながらメニューを注文するが、
やはりどうしてもわからないものがある。
おやじは現物を厨房からもってきてムール貝とわかる。
ムール貝は昨日食べたからと別のお勧めメニューを聞く。
このおやじはよく冗談を言って我々を楽しませてくれる。
今夜エジンバラ最後の夜だからと一緒に記念撮影し、
改めてお互い名前を教え合う。
消化にいいからと前に飲んだサンブッカという火をつけて飲む酒を飲み、
何度あるねやろとボトルをもってきてもらい、度数を見ていると、
「明日何時に発つ?」と聞く。
12時に出ると言うと、店に寄れ、サンブッカをプレゼントするという。
ほんとに気のいいおやじや。
明日はニューカッスルに発つ。

ホリールード宮殿

エジンバラ城前の衛兵。去年はキルト姿やったのに今年はズボン
8月31日(金)エジンバラからニューキャッスルへ
フラットの契約が今日までなので、ニューキャッスルに移動。
朝から荷造りを始めるが、2週間も滞在していると日常使う物がスーツケースの外に
大量に点在し、元に戻すのがかなりおっくうになる。
おまけにホテルと違って、シーツをはがしたり、バスタオルを1カ所に集めたりと、
いろいろな作業がある。
12時までにフラットをあけないといけないので、11時半頃搬出にかかる。
それぞれのスーツケースに、鳴り物類、字幕機材など、
改めて荷物が多い事を思い知らされる。
5階だけど帰りは下りなので重い荷物もまだ楽だと思っていたけど、
地球の引力を身をもって体験させられた。
あまり大きなレンタカーが借りられず、普通サイズのワゴン車だったが、
前の晩に一度荷物をリビングに集め、どれだけのかさがあるかひもで計り、
車の荷台にそのひもをあてて確認したとおり、
後部座席まで荷物は浸食したものの何とか収まった。
マイケルは劇場に精算に行き、僕らは昨夜約束したイタリアレストラン「インカ」へ。
おやじは約束どおりサンブッカを一瓶プレゼントしてくれ、
お返しに僕の写真入りうちわをプレゼント。
「あなたの親切とジョ-クに感謝します。あなたのことは決して忘れません」と
知ってる限りの英語で礼を言う。
昼過ぎマイケルが戻ってきてニューキャッスルに向け出発。
エジンバラの町を出ると急になだらかな田園風景と牧場が広がり、
天気もいいし最高のドライブとなった。
田舎町でパンと飲み物を買い、横道にそれて広大な牧場と牧場の間の
農道のような所に車を止め、石垣に腰を下ろしてランチをとった。
のんびり草をはむ羊たちを眺めながらオニオン・ポテトの入ったパイ風パンを食べる。
人間は誰も見えない。
ほっこりした後また田舎道を走る。
少し道草してホリー・アイランドに向かう。
ここは島だけど引き潮になると海底から道路が現れ、陸続きになる。
「海が割れるのよ~、道ができるのよ~」の「チンド物語」みたいな島。
島の突端に古い立派な修道院がそびえ立つ。
ホリー・アイランドのパーキングに車を入れ徒歩で散策。
公衆トイレにみんなで行ったが、なんと有料。
一人20P(36円)。回転ドアがあり、お金を入れると45度回転してトイレに入る事ができる。
もったいないので二人でぴたりひっついて回転ドアの中に入り、
4人で40Pですませる。
ホリー・アイランドで少し休憩してまた車を走らせるが、マイケルが眠たそう。
途中で運転を代わる。
ニュー・キャッスルの北西にあるハート・バーンと言うところにマイケルの妹のフィオナが住んでいて、
電話で聞きながらフィオナ宅へ。
夕食をごちそうになり、僕とマルコ、福矢は近所のB&Bと呼ばれる民宿に。
宿ののおやじさんは映画「ベイブ」の豚の飼い主みたいないかにも英国らしい人で、
とても親切で話し好き。
マルコはWベッドのシングルで、僕と福矢はツインルーム。
その部屋は恋人同士が泊まる軽井沢のペンションみたいな部屋で、
男同士で寝るのがなんかあほらしくなってくる。
夜はとても静かで本当の静寂。
でも咳が止まらずなかなか眠れない。
2日のマンチェスター公演までに咳が治まるといいが・・・。

牧場の真ん中で。

ホりー・アイランド。後ろに修道院が見える。
9月1日(土)三味線とバグパイプの共演
朝8時半、1階のリビングで朝食をとる。
メニューはシリアルとトースト、ベーコン、ソーセージ、目玉焼き、焼きトマト。
朝食後少しゆっくりして、昼前にマイケルと妹、姪も合流。
B&Bの親父さんの案内で散歩に出る。
お供はダルメシアンのレディーバードとテリアの一種のピックル。
この二匹はとても人なつっこく、すっかり僕らのアイドルになった。
B&Bを出てすぐ脇道にそれると森に続く道。
きれいな清流に平行して小道は続く。
小川のたもとで親父さんはこの地に伝わる伝説を話してくれた。
バイキングが攻めてきたとき収奪されないようにと、
財宝を川の深みに沈め、財宝は守られたが引き上げるときにロープが切れ、
底に沈んでしまったという。
長靴姿で大きなワイヤーカッターを持っていた親父さんは、その辺の手頃な木を
カッターで切断し枝もはらい、長い棒状にした。
そしてその棒を持って川に入り、ほらこんなに深いと川の中に差し入れた。
ほんとにせせらぎぐらいにしか見えない川なのに、そこだけ異様に深い。
岩肌に作られた洞窟のような部屋、そこから川へ続く小さなトンネル、
親父さんはいろんなポイントで説明してくれた。
少し登ると見晴らしのいい草原に出た。
ダルメシアンのレディーバードは大喜びで駆け回る。
丸められた干し草の間を草と土の臭いをかぎながら歩く。
天気もいいし気持ちいい。
マイケルの妹宅で昼食後、バグパイプを聞きに行く。
宿のおばさんのお父さんが1軒隣に住んでいて、自宅をバグパイプ資料館にしているという。
4時頃おじいさんの家へみんなで出かける。
今年89歳になるランスじいさんは、ショーケースに並べられたバグパイプを
熱心に説明してくれ、やってみるかと我々に勧める。
ここのバグパイプはスコットランドのように口で吹いて空気を貯めるのではなく、
右脇のふいごで空気袋に風を送り込むスタイル。
右脇にくくりつけたふいごで風を送り、左脇の空気袋を押さえて、
パイプの穴を指であけたり押さえたりして音階を出す。
これが結構難しい。
教えてもらったとおりやってみるが、「ふひょ~」という情けない音しかでない。
ランスじいさんの模範演奏を聴くと、スコットランドのそれよりパイプの数が少ないのか、
柔らかく枯れた味のある音がする。
そこでマルコが三味線を取り出し、バグパイプと三味線でセッションしてみることにする。
お互いに知っている曲と言うことで、スコットランド民謡「蛍の光」に決定。
バグパイプの音を聞き三味線の調子を変える。
お互い探りながらの演奏だが、そこはミュージシャン同士、すぐに合ってきた。
三味線とパグパイプ、実に不思議な音色の調和だった。
ランスじいさんと別れてマイケルの妹フィオナ宅へ。
今夜はW杯予選、イングランド対ドイツの試合がある。
ワインやビールを飲みながらテレビ観戦。
下馬評はイングランドの劣勢が伝えられていたが、結果は5-1の圧勝。
今でも京都でフット・サルのチームに入っているマイケルは大喜び。
イングランドはドイツに対しライバル意識を持ってるそうだが、
この何十年と勝ったことがなかったらしい。
そんな歴史的イングランドの勝利の瞬間に、イングランドにいるなんてラッキーだった。
試合の後は夕食。
中華とスペアリブ。フィオナのスペアリブはとてもうまい。
今まで食べたスペアリブの中でベスト5に入るうまさ。
明日の段取りをマイケルと確認してたいへんなことが判明。
明日のマンチェスター公演が主催者の都合で中止になっていることが僕に伝わってなくて、
方々人づてに宣伝していた。
明日来る人がいるはず。
連絡とれるところもあるが明日のことなので、連絡がつかないところも出てくる。
頼んでおきながら勝手に中止するわけにもいかないので、急遽ホテルの宴会場を探し、
少人数でも何とか公演することにする。
食事もそこそこに二人方々に電話する。
まったくいろんな事が起こる。

ランスじいさんからバグパイプを習う。これが結構難しい。

三味線とバグ・パイプの共演。
9月2日(日)マンチェスター公演
朝9時にB&Bを出発。ハート・バーンからマンチェスターまで高速をとばす。
12時半頃マンチェスター到着。
しかし一方通行や左折オンリーなどでなかなか行きたい方向に行けない。
なんとかピカデリー駅近くのホテルに到着。小さな宴会場で設営にかかる。
毎回高座を何で作るかが問題になる。
ちょっと低いが宴会場のテーブルを二つくっつけてと・・・段取りしていると、
担当者がほかの宴会場で机を全部使ってしまっていると言う。
勝手にいろんなドアを開けて高座にできそうな台を探すと、
マイケルが畳一畳台のベッドの台を発見。
これを三段積むとちょうどいい高座になった。
定式幕で舞台袖を作り、鳴り物を配置する。
備え付けのスクリーンをそのまま使ってプロジェクターを設置。
マイケルは公演予定だったギャラリーで待ち受け、
知らずに来た客を誘導する。
今回のマンチェスターはネットで知り合った島田佳代子さんがずいぶん協力してくれた。
島田さんはサッカーチーム、マンチェスター・シティーが好きで、
マンチェスターに住みついてしまったという筋金入りのファン。
(現在発売中の雑誌「Number」にボルトンの西澤を取材した彼女の記事が出ている)
彼女が方々の友人に連絡を取り、チラシを配布してくれている。
そのお客さんをこっちのホテルに誘導し公演スタート。
入りは少なかったけど、昨日のイングランド大勝のギャグを早速入れるとすごくうけた。
実はこっちに来る車の中でマイケルに口立てでこのネタを話し、
開演1時間前に入力したギャグだった。
すぐに字幕を加筆訂正できるのがパソコンのいいところ。
去年は開演30分前に小咄を追加したこともある。
終演後島田さんも交えて欧州最大のパブで打ち上げ。
ここは昔の劇場を改装してパブにしたそう。
考えたら昼ご飯を食べてなかった。
時々バタバタしていて一食とんでしまう。
島田さんを送ってまた3時間半かけてハート・バーンへ。
途中で運転を代わる。
高速は苦手なランナバウトもないし、マニュアル車にもなれたので楽しい夜のドライブだった。
でも最近イギリスでも自動取り締まりカメラが設置されだしたそうで、
いたる所にカメラマークがある。
29日のスターリングからの帰り、マルコがおしっこがしたいと言いだし、
マイケルがスピードアップ。
何か背後でピカッと光ったことがあった。
後でわかったことだが、イギリスの速度取り締まりカメラは、
日本のように車の前面ではなく、車の背後からナンバープレートを撮るようになっているらしい。
マイケルはエジンバラにいた2週間ですでに駐禁が2回あった。
それに加えスピード違反1回。
イギリスの罰金は日本に比べてずっと低いそうやけど、
こう違反が多くては辛いやろうなぁ。
帰り道、近くで一番大きな町モーパスでビールやミネラルウォーターを買い、
B&Bのリビングで軽く一杯やってそれぞれの部屋に戻る。
明日はまた大移動。

マンチェスターでお世話になった島田さんと。

劇場を改装した欧州最大のパブで打ち上げ。
9月3日(月)湖水地方へ大移動
午前11時、B&Bを引き払う。
宿のおやじさんに、大入り袋に千社札を入れてプレゼント。
マイケルはそこに5円玉を入れ、「ご縁がありますように」と言う日本の縁起や、
大入り袋、千社札の意味を説明、別れを告げる。
本当にここの夫婦には親切にしてもらった。
午後からは妹の家で少し仕事の作業をする。
B&Bでは電話回線が使えないのでホームページの更新も滞ってしまう。
妹宅でマイケルと二人床に座り、かわるがわる電話線をやりとりしながら、
それぞれのパソコンにつないで仕事のメールを送る。
7日のメリング公演まで日程の余裕があるので、湖水地方に観光に出かける。
宿を変わるたびに重いスーツケースの積み込みがある。これが一仕事。
ワゴン車の荷台にスーツケース、太鼓、座布団、もうせん、プロジェクター、
舞台設営道具などギュウギュウに詰め込む。
マイケルが運転席、僕が助手席で地図を見ながらナビゲート。
後部座席の福矢とマルコの間にはマイケルのトランクと三味線ケースがでんと座る。
道はどこでもすいていてスイスイ走れるし、この国の高速はどこまで行っても無料。
車での移動は便利で安くつく。
マイケルは運転中ラジオの音楽に合わせてよく歌うし、またよく曲も知っている。
話も好きで、じいさんから聞いた戦争の話、子供の頃の両親の話、
史跡の説明、友人のドジ話など、陽気で車中飽きさせない。
夜、当日予約したウインダミアのB&Bに到着。当日予約する方が安くつくらしい。
マイケルとマルコはそれぞれシングル、僕と福矢はツインルーム。
部屋に入って荷をほどき、少し休んでから食事に出る。
パブで一杯やった後、イタリアンで食事。
11時過ぎに宿に戻ってからうちの部屋で、マルコ・福矢らと
エジンバラのインカの親父にもらったサンブッカを飲む。
洗面所のグラスがプラスティックだったのでコーヒーカップにサンブッカを注ぎ、
店で飲んでたのと同じように火をつける。
度数は38度しかないのに青白い炎が灯る。
本当は小さなショットグラスにコーヒー豆を浮かべ、そこに火をつけるのだけど、
コーヒー豆もないし風情はないけどコーヒーカップでサンブッカを飲む。
甘みのあるトロリとした酒が消化を助けてくれる。
明日はこのあたりを1日観光するつもり。

ハートバーンのB&Bで、レディーバードと戯れるマルコ。

湖の畔で4人そろって。
9月4日(火)湖水地方観光
今日は朝からとても天気がいい。絶好の観光日和。
朝食後荷造りし、10時チェックアウト。
またまたヒーコラ言いながら荷物を積み込む。
まずレイクサイドの船着き場に行き、観光スポットの情報収集。
観光船の船着き場があり、インフォメーション・センターがある。
ここで観光地図を手に入れようと思ったが、日本のように無料の簡単な観光地図がない。
車での移動もあるので、近辺の道路地図を購入。
水際に鴨や白鳥がたむろしているので湖畔に降りる。
子供が水鳥達に餌をやっているので、近所の売店で探したが、
鳥の餌らしき物を売っていない。
白鳥の餌はないかと聞くと、ハンバーガーのパンを40P(約70円)で売ってくれた。
みんなで分けて白鳥や鴨、カモメなどにパンをやるが、白鳥は口が大きく、
よく見ると細かくギザギザの歯がついているので餌をやるのも怖い。
地図を見ながらウインダミア湖畔を北上し、山の中に入っていく。
くねくねした登りだけど、英国は日本の山のように木がなく、
ほとんどが草原でさえぎる物がないのでとても見晴らしがいい。
浅間山の鬼押し出しと、阿蘇の草千里を足して50倍したような信じられないほど
すばらしい光景が広がる。
草原にはいたる所に羊がいて、のんびりと草をはんでいる。
見晴らしのいい山道を抜けると駅に着いた。
ここは小さな蒸気機関車がトロッコを牽く観光列車の駅。
車をパーキングにおいてトロッコに乗り込む。
機関車は白い煙を吐きながら一生懸命走るが、なんせ小型の蒸気機関車なので、
最高時速は20kmほど。
のんびりと景色を眺めながらの旅で風情があるが、トロッコは吹きさらしで少し寒い。
我々はトレーナーにウインドブレーカーなどを着込んでいるが、
マイケルは半袖のまま。さすがに寒そう。
長袖の服は持ってないのかと聞くと、夏だし我々のツアーの前はニューメキシコや、
スペインなど旅していたので極力荷物を少なくするために半袖しかないという。
腕に毛が生えてるから大丈夫と、強がりを言いながら45分ほど辛抱して終点の港の駅へ。
きれいに整備された浜辺で海に向かって石を投げ、飛び石を競う。
近くの喫茶で食事をとる。
自家製のスープを頼むとズッキーニが入ったトマトスープだった。
舌がやけどしそうなほど熱いがとてもうまい。おかげで冷えた体が温まった。
いい天気なので駅のテラスで座っている間、福矢・マイケルは眠り込んでしまった。
帰りのトロッコは屋根付きのドアも閉まる車両を選んで乗り込む。
同じ道のりを帰る間マイケルは眠っていた。
彼はいつも夜遅くまで仕事していて、ずっと車の運転をしているので疲れているのだろう。
車に乗り込んでヒル・トップに向かう。
ここはピーター・ラビットの作者ベアトリクス・ポターが住んでいたところ。
つまりピーター・ラビットの里。
ちなみにエジンバラはハリー・ポッターの里。
あいにく時間が遅かったのでヒル・トップには入ることができなかったが、
まわりの景色を見るとピーター・ラビットの世界がそのまま残っている。
このあたりは国立公園で建物の規制も厳しいので、昔の風情が残り、
道ばたにキジがひょいといたりする。
ヒル・トップを後にして、また山越えしてマイケルの実家、シェフィールドへ向かう。
山からの下り、海が見え、遙か向こうに島が見える。マン島らしい。
マイケルは41年間で初めてマン島を見たと喜んでいた。
高速のサービスエリアで運転を代わり、マンチェスターの横を通ってシェフィールドへ。
高速を降りてマイケルに運転交代。
途中山越えの道だけど、なだらかな草原の山道はこちらもすばらしい光景だった。
マイケルの実家はなだらかな丘の上にあった。
陽気な両親が迎えてくれ、料理を作って待っていてくれた。
親日家らしく箸を配り、寿司やサーモン、鯖の薫製、自家製トマトなどで歓待してくれた。
マルコはこの家に泊まり僕と福矢は近所のB&Bで宿泊。
しばらくこのシェフィールドでゆっくりすることにする。

すばらしい光景の湖水地方。

小さな蒸気機関車がトロッコを牽く。
9月5日(水)シェフィールドの休日
朝7時前、B&Bで目覚める。
この部屋はダブルベッドの部屋とシングルベッドの部屋の二間あって、
僕がダブルで福矢がシングル。
8月17日のロンドンから今までずっと福矢と同室だったけど、やっと個室で眠れた。
ここは角部屋で2方のカーテンを開けると、両方の窓から広々した田園風景が見える。
シャワーを浴び身支度をして8時半朝食。
B&Bの朝食メニューはどこも決まってシリアルにトースト、
ベーコン、ソーセージ、たまご、焼きトマト、コーヒー、オレンジジュース。
ここはハッシュド・ポテト、マッシュルーム、豆が付く。
こっちの朝食は量が多いのでいつも朝から食べ過ぎてしまう。
10時頃300mほど離れたマイケルの家に。
午前中は洗濯したり、PCに向かって滞っているHPの更新、メールなどを送受信。
マイケルはPCと電話など仕事をこなし、福矢、マルコらは本を読んだり、のんびりしていた。
昼食後、ママに庭を案内してもらう。
家の裏には昔の馬屋や、納屋、ガレージに温室などがあり、
温室内にはトマトやブドウがなっていた。
マイケル宅は丘の斜面に建つ家で裏はずっと登りになっている。
柵の向こうは低い草が生え放題になった自然の土地で、ここも敷地内らしい。
その上に人の背より高いローデ・デンロンと言う木が植えられている。
ヒマラヤからイギリスに持ってこられた木らしく、きれいな花が咲き
イギリスではたくさん植えられているらしい。
その木をかき分けて進むとまた自然のままの土地に出る。
斜面の頂上の石垣までがマイケル宅の敷地で、石垣の向こうは畑だった。
ここからの眺めは、なだらかな丘陵を一目で見渡せる。
自然のままの敷地は至る所に穴がぽっかり空いていて、聞くと狸の巣だと言う。
昔は狐も住んでいたけど今はいないから、裏庭は狸の天下になってるそう。
自然の木イチゴがなり、とって食べるとほんのり甘くてうまい。
家の前の庭は芝生が敷き詰められ、花が植えられリンゴの木には実がなっている。
家の前は人の手を加えた庭で、そこから裏庭へは自然のままの庭になる。
これがイングリッシュ・ガーデンらしい。
夕方、みんなでマイケルの両親が入会しているスポーツクラブで泳ごうとなった。
僕たちは親父さんの海水パンツを借りることになったが、マルコはママの水着では合わない。
ママとマルコは水着を買いに出かけていった。
1時間ほどで帰って来たマルコに聞くと、町のひなびた洋装品店みたいな所で水着を買ったが、
選択肢が極端になく、仕方がないのでひじょうに布の少ない水着
(マルコに厳しく口止めされているので詳しく書けない)を買って来たらしい。
夕方スポーツクラブに行くとマイケルのパパはすでに仕事先から直行していて合流。
みんなでのんびり泳いだり、サウナやジャグジーに入ったりしてすごした。
8時からサッカーW杯予選、イングランド対アルバニアの試合があるので、
そそくさと着替えてレストランのスクリーンの前に席を陣取る。
大画面でサッカー観戦しながら食事をとる。
先日ドイツに勝ったし、格下のアルバニア相手なのでのんびり観戦。
なかなか点が入らずやきもきしたが、前半と後半終了間際に1点ずつ得点、
レストラン内に拍手が起こる。
家に戻って軽くビールを飲みながら、イギリスの有名コメディアン、
ビリー・コネリーのビデオを見る。
実は去年のエジンバラ・フェスの時、いろんな新聞に僕の記事が載ったが、
ヘラルド紙の見出しが「日本のビリー・コネリー」と言う見出しだった。
ひげを生やした長髪の親父だけど、英国で一番成功したコメディアンだという。
11時半頃宿に戻ってテレビをつけると、スタンリー・キューブリックの
ドキュメンタリーをやっていた。昨夜もやっていたがその後編らしい。
映画を制作順に振り返り、関係者の証言でその映画の苦労話、
当時のキューブリックの行動などが語られ、映画の一場面や撮影現場のキューブリックの
写真などがふんだんに使われている。
おまけに証言している人物がスタッフだけではなく、ジャック・ニコルソン、トム・クルーズ、
などのスターのほか、スピルバーグ、マーティン・スコセッシ、ウッディー・アレンなど、
監督達も大物揃い。
実に見応えのあるドキュメンタリーでついつい見てしまった。

シェフィールドのマイケルの実家。

リビングルームから丘陵地帯が一望できる。
9月6日(木)日英春歌合戦
いつものように10時過ぎにB&Bからマイケル宅に。
午前中はメールとホームページの更新。
作業途中でロンドンで一緒に食事したとし子さんがやってきて、一緒に昼食。
昼からは福矢とマルコはママと近所を散策にでかけて行き、
マイケルと僕はダイニングルームにPCを並べてそれぞれ仕事。
僕は遅れているフランス語版字幕の入力作業にかかる。
ちんぷんかんぷんのフランス語を1行ずつ入力していく、手間のかかる作業。
4時頃、前日予約していたマッサージをしてもらうためスポーツクラブに出かける。
重い荷物の上げ下ろしで、首筋から肩にかけてこりがある。
僕がマッサージをしてもらっている間、マイケルは同じクラブ内で散髪。
彼はもう2ヶ月もヨーロッパやアメリカを旅していて、散髪したかったらしい。
更衣室でガウンに着替えマッサージルームへ。
ベッドに顔がすっぽり入る穴が空いていて、ガウンを脱いでうつぶせに寝る。
腰にバスタオルを掛け、背中にオイルが塗られる。
ソフトなオイルマッサージが気持ちいい。
約30分のマッサージだけど、いつの間にか眠っていて、自分の寝息で目が覚める。
マイケル宅に戻ってフランス語入力作業を再開。
今日はバーベキューパーティーらしいので、料理ができるまで作業を続ける。
マイケルととし子さんは用事で出かけ、ダイニングで一人仕事していると、
リビングで大勢の話し声が聞こえ、三味線の音色、ギターで歌う声も聞こえる。
両親の友達ボブさん夫妻がやって来て、マルコがサービスで三味線を弾いてると、
福矢も負けじとマイケルが昔使っていたギターを出してきて弾いていたよう。
座持ちは彼らに任せて仕事を続ける。
やがて食事の支度ができたとマルコが呼びに来た。
まずはスペアリブ。これがとてつもなくうまく、娘のフィオナよりママの方がうまい。
皿に付いたタレまでパンできれいにふき取って食べる。
庭ではパパのピータ-が肉やソーセージを焼いていた。
大きな皿に肉、鶏、ソーセージ、サラダなどを盛り、リビングのソファーに座って食事する。
マイケルととし子さんも帰ってきて食事の輪に加わる。
食事の後、ママが落語を聞かせてほしいと言う。
今まで息子の仕事仲間とは言え、見知らぬ日本人を世話してきて、
いったい僕たちがどんなパフォーマンスをするのか知りたかったのだと思う。
車から太鼓やプロジェクターなどを降ろし、リビングの端にスクリーンを設置。
低いリビングテーブルの上にクッションを置いて簡易高座の出来上がり。
僕の着物は宿に置いてきたので服のままやることにしたが、
マルコなどはいつの間にか和服に着替えて大サービス。
マクラの一部分、小咄や簡単な鳴り物などが入ったところをやる。
マイケルの両親、ボブさん夫妻大笑い。
落語の後、サービスに例のちょんこ節をすることにする。
ちょんこ節の字幕をすぐさま探して、歌に合わせて字幕を出す。
こちらもみんなで「chonko chonko」と合唱しながら大受け。
歌が終わって「chonko」の意味をマイケルが話すと、
知らずにみんなで大きな声で合唱していたことにまた大爆笑。
それではオリジナルをと、元のえげつない原語の歌詞で歌う。
マイケルが翻訳するとおっちゃんおばちゃん達はゲラゲラ笑い、
マイケルの親父さんは「ちょんこ」の所を勝手に「プッシ、プッシー」と変えて大合唱。
どんな親や!
ちょんこ節の後マイケルの親父さんがそれではと、学生時代ラグビー部で歌っていた
春歌を歌い出す。
ボブさん達も思い出したのか一緒に歌い出し、
日英大春歌大会になってしまった。
方法としては低レベルかもしれないが、とてもうち解けた気がした。

バーベキュー係りのマイケルの父(左)と、友人のボブさん。

シャンペンで乾杯。この後大春歌大会に。
9月7日(金)メリング公演
今日はマンチェスター北西部のメリングに移動することになっていたので、
10時半頃マイケルが我々のB&Bに車で迎えに来た。
いったんマイケル宅で仕事して、昼過ぎに今夜の公演先のメリングに移動することにする。
マイケル宅にボブさん夫妻から、昨夜は本当に楽しかったとお礼の電話があったという。
マイケルのママは、ボブとは30年付き合っているが、
そんな礼の電話は今までもらったことがない。よっぽど楽しかったのだろうと言っていた。
午前中はいつものように僕とマイケルはダイニングで仕事し、
昼は朝日新聞の上田さんがエジンバラに持ってきてくれたインスタントラーメンを
福矢が作り、ママと一緒に食べる。
2時過ぎ、昨夜出した太鼓や字幕機材を全部車に積み込んで、
みんなママと抱き合って別れを告げる。
今までとても親切にしてもらった人とたくさん別れてきたが、みんな握手するぐらいだった。
ママとはみんな自然に抱き合って別れを惜しんだ。
陽気さ、料理のうまさ、そして優しさ、
マイケルの両親は我々にとってもイギリスの父母のような気がする。
マイケル宅を後にしてシェフィールドの丘陵地帯を走る。
道路の脇を馬に乗った人が通る。
このあたりは車で走れば毎日乗馬を楽しむ人とすれ違う。
道の端にも大きな馬糞がいつも落ちている。
自宅で馬を飼い、毎日馬と散歩に出かける人がかなり多いらしく、
日曜日にもなると車の音よりも馬の足音の方が多いらしい。
天気のいい田舎道をメリングに向けて走る。
マイケルは田舎道を走りながら、英国人でありながら
「やっぱりイギリスの田舎はいいなぁ」と、しみじみ言う。
マイケルも初めて通る田舎道とその美しい風景に感激しているよう。
約2時間半ほど走ってメリングに到着。
会場は村の集会場のような所だけど、行くとすでに低いステージに
高座となるテーブルが置かれている。
楽屋となる部屋も広いし、舞台袖も作りやすい。
今までで一番設営しやすい会場かもしれない。
4人でテーブルを運んで高座を組み、毛氈を掛け、定式幕で舞台袖を作り、
スクリーンを張り、プロジェクターを調整し、鳴り物をセッティングする。
おなじみの作業をみんなてきぱきとこなす。
設営しやすい会場だと言うこともあるが、みんないろんな会場の
いろんな状況で設営してきた経験が確実に身に付いているよう。
8時過ぎ村人達がぞろぞろ集まってきて、楽屋のドアを薄めに開けて見ると、
みんな冬のような身支度。夜半から降り出した雨もあるが、かなり寒いのかもしれない。
開演し高座に上がって客席を見回して気が付いた。
日本人が一人もいない。
今まで最低でも1割はいた日本人が、さすがにここまではいないようで、
初めて英国人だけの客の前でする。
約50人のお客さんの反応は上々。子供達もゲラゲラ笑っている。
終演後会場を片づけてホテルにチェックインする。
今までの宿はB&Bと呼ばれる民宿だったけど、ここはホテル。
部屋に荷物をほりこんで、1階のパブへ。
このパブは主人の飼い犬のゴールデン・ラブラドールや、シェパードなどの大型犬が
3頭床に寝そべっている。
みんな犬たちをよけて飲んだりビリヤードしたりしているが、よく酔っぱらいに踏まれないもんや。
さっき見に来ていたお客さんがたくさん来ていて、お客さんとの交流会となった。
この村は200軒ほどの家しかなく、50人のお客はかなりの率らしい。
飲んで食事して部屋に戻って窓の外を眺めると、雨はすっかり上がったようで、
よく見てみると星がいっぱい出ている。
福矢を誘って裏庭に出てみるとたくさん星が見えた。
英国に来て初めてこんなに星を見た。
この国は基本的に「晴れ」は「雨が降らない」状態で、「曇り」が基本。
太陽が出ていても雲が多いのですぐに隠れたりする。
だからまともに星を見たことがなかった。
メリングはきれいな星の見えるのどかな田舎の村だった。

マイケルのママと別れを惜しむ。

会場となったメリング村の集会所。
9月8日(土)サッカー観戦
昨夜、8時半に朝食を頼んだが、金曜の夜でパブの客が遅くまでいたので、
宿の主人が9時にしてくれという。
福矢と9時に1階の食堂に行くと、マルコ、マイケルも降りてきた。
朝食後一人で外に出て近所をぶらぶら。天気がいいので気持ちがいい。
田舎の古い家並みなどをデジカメで撮りながら散策。
裏庭には大きなガチョウやパブで寝ていた犬たちが芝生の上を歩き回っていた。
荷造りして11時にチェックアウト。
昨夜の落語会の主催者、グリーン・クロウス・スタジオと言うギャラリーに出かける。
古い家を改造した画廊で複数の作家のいろんな作品が展示されている。
陶芸作家の女性の作品を本人の解説と窯作りの写真なども交えて聞く。
ギャラリーの家族と記念写真を撮りメリングを後にしてマンチェスターに向かう。
今日は僕とマイケルはサッカー観戦。
先日のマンチェスター公演でお世話になった島田さんに、
マンチェスター・ユナイテッドの試合の切符をお願いしていた。
実はエジンバラにいる時からマイケルがネットでチケットを押さえようとしていたがだめだった。
2時前にマンチェスターに着き、島田さん宅へ。
手渡されたチケットはシーズン・チケットだった。
日本の野球で言う年間指定席で、マイケルがすごく驚いていたので、
島田さんに聞くとシーズン・チケットは持ち主が死なないと次に回らないので、
年間で2~3人ほどしか新たに手に入らず、60万人ぐらいが待っている超プラチナチケットだということ。
マンチェスター・ユナイテッドはプレミアリーグでも一番の人気チームらしい。
2時45分にマン-Uのホーム、オールド・トラフォード・スタジアムに到着。
福矢とマルコをスタジアム手前のショッピングセンターに残し、スタジアムに向かう。
続々とスタジアムにマンーUの赤いユニフォームを着たサポーター達が集結する。
すごい警備の警察官の量。
機動隊のようなものものしいスタイルの騎馬警官がいたるところにいて、
馬まで目にアクリルのマスクをしている。
フーリガンの国だけに、緊張感が高まる。
スタジアムの入り口はかなり狭い。
手配されたフーリガンをチェックして排斥するためだろう。
席について驚いた。前から7列目、ほとんどグラウンドに立っているような目の高さ。
さすが超プラチナ・チケットのシーズン・チケット。
ガンバの本拠地、万博競技場のようなグラウンドのまわりの陸上トラックがなく、
グラウンドギリギリまでスタンドがあるので、すごく近くにピッチが見える。
2階3階まで作られたスタンドには観客がびっしり。
電光掲示板の発表は67,347人。
アウェーのエバートンのサポーターはスタジアムの一角に集められ、
通路は蛍光色のウインドブレーカーを来た警官隊がびっしり並び、完全に隔離されている。
試合開始直前に空軍の戦闘機が発煙筒を炊きながら
スタジアムの上を低空飛行し、3時キックオフ。
イングランド代表の司令塔ベッカムは、W杯予選で身体を痛めていたので
先発からはずれていた。
試合が始まるとマン-Uの応援歌や相手に対するヤジ、
「幸せなら手をたたこう」の節でエバートンの本拠リバプールをやじって
「リバプール人が嫌いな人、手をたたこう、しゃん、しゃん」と大合唱している。
67,000人の大観衆と言うこともあるが、四方のスタンドに屋根が付いていて
音が反響するので、すごい大音響となる。
結果は4-1でマン-Uの圧勝。
後半途中でベッカムも出てきて、終了間際にダメ押しの4点目をあげ、
マン-Uサポーター大満足。
試合後、福矢・マルコと合流しロンドンに車を走らせる。
高速を飛ばして約3時間半、ロンドン郊外のヘンドンと言う所に着く。
去年ロンドン公演でたいへん世話になった、いとこの聡君の家に
僕と福矢、マルコをしばらく泊めてもらうことになっている。
去年は家におじゃましたけど1階しか知らなかった。
実は5ベッドルームあって、僕らはそれぞれ個室をあてがってもらった。
荷物を家に運び込み、マイケルはロンドンに住む弟宅でしばらくやっかいになる。
聡君の家で刺身など懐かしい食事をごちそうになる。
明日はオフなのでゆっくりすることにする。

メリング公演でお世話になったグリーン・クロウス・スタジオの家族と。

マンチェスター・ユナイテッドの本拠地、オールド・トラフォード・スタジアム。
9月9日(日)いとこの家でのんびり
朝8時頃起き出して1階に下りていくと、家族はすでに朝食にかかっていた。
実は聡君の奥さんが通訳の仕事をしていて、朝からオランダに発つらしい。
迎えの車に乗る奥さんを見送って、朝食後のんびり。
バイクレースのテレビ・ゲームをしたりして一人息子のゆう君と遊んだ。
昼前、みんなで散歩に出る。
聡君親子を見ると革ジャン着てたりするので、慌てて上着を重ね着する。
もう気温はすっかり秋のような状態で結構寒い。
日曜の午前中、車の通りも少ないしのんびりした住宅街だった。
公園はここも広々した芝生で、サッカ-を楽しむ人たちがいる。
児童の遊戯場でゆう君がブランコに乗ったりジャングルジムしたりして遊び、
僕の携帯のプリペイド・カードを買いに駅の方に向かう。
カードを買った後家に戻って車で昼食に出る。
聡君のボルボは修理中で、今は代車の小さなフォードを乗っているが、
どうやら前に使っていた人が犬を乗せていたようで、
犬アレルギーの聡君は車に乗る度に大きなマスクをかける。
それでも1時間が限度だという。
車で10分ほどのショッピングセンターに着く。
ここは元ヤオハンでおいしい飲茶の店があるらしい。
行くとかなり大きな店だけど日曜の昼時とあって、店の前に長蛇の列ができている。
あきらめてフード・コートの方で食事することにする。
日本のショッピングセンターと同じように、回りにいろんな店が並び、
そこの料理を広場のテーブルに運んで食べるスタイル。
ぐるっと一通り回ると日本食や中華などが多く、ラーメン屋でラーメンと餃子のセットを食べる。
かなり日本のラーメンに近い味。
ここは元ヤオハンと言うこともあって、結構注文も日本語で通じるし、
メニューや看板なども日本語で書かれ、館内のアナウンスは日本語で
「今日のお買得商品はアジのたたき」などと言っている。
客の大半は日本人と中国人のよう。
いったいここはどこなのかわからなくなる。
昼食後家に戻り、夕方予約していた整体師の所に行く。
車で約10分。
日本の食材がたくさん売られている小さなスーパーの地下に指圧センターがある。
日本から来た整体師さんに約50分、左の首筋から肩にかけて残った凝りをほぐしてもらう。
だいぶん楽になった。
ここはレンタルビデオも扱っていて、日本のドラマやバラエティーなどのテレビ番組を
録画したものをレンタルしている。
夜は聡君お勧めの中華料理屋で食事。
紹興酒を飲みながら珍しい料理をいただく。結構あっさりしていてうまい。
帰りの車の中で運転中の聡君がゴソゴソ何かを探している。
聞くとマスクがどこかにいったという。かなり鼻がもぞもぞしてるよう。
マスクが見つからないので窓を開け、窓から顔を出しながらの運転となった。
帰ってゆう君を寝かせ、腹ごなしにみんなでサンブッカを飲む。
グラスに注ぎ、それぞれライターで青白い火をつけて楽しむ。
明日から2日間ロンドン公演。
残すところ4公演、1週間。
長いツアーもいよいよ終盤にさしかかった。

我々がやっかいになっているロンドン郊外の聡君の家。

公園で遊ぶ聡君とゆう君。
9月10日(月)ロンドン公演スタート
朝7時過ぎに起きて階下に行くと聡君とゆう君が朝食の真っ最中だった。
奥さんがオランダ出張中なので聡君がゆう君の食事の支度をしている。
奥さんの出張がよくあるみたいで慣れているようだった。
ゆう君は私立の小学校に通っているので、送り迎えはどうなるのかと思っていたら、
奥さんがいないときはベビーシッターが来てくれて送り迎えしてくれるとのこと。
ここは衛星のチャンネルで日本のテレビ番組をいつもつけていて、
朝のこの時間は日本の夕方のニュースをやっている。
7時半頃テレビでNHKの朝のドラマ「ちゅらさん」をやっていた。
ちゅらさんもしばらく見ないうちに話が進んでいて、子供が大きくなったなぁとか、
やっぱりこの二人はひっついたかと思って見ていた。
日本人のベビーシッターが8時頃に来て、後は彼女に任せておけばいいらしい。
8時10分頃聡君は仕事に出かけ、20分頃ゆう君が制服に着替えて登場。
制服を見てびっくり。
グレーのズボンに濃紺と紫のストライプのネクタイ、
それに同じ色のストライプのジャケット。かなり派手な制服。
20分頃にベビーシッターとゆう君は出ていった。
朝食後いつものようにシャワーを浴びPCに向かって作業していると、
マルコや福矢が起き出してくる。
午前中はそれぞれで過ごし、3時半頃マイケルがやってきた。
今日からロンドン公演で、今日は英語字幕版。明日は日本人のみの通常の落語会となっている。
今日はいつもの字幕版の「お玉牛」だけではなく、中入り後「皿屋敷」もする。
字幕版で初めて2席連続やることになる。
皿屋敷のマクラを追加するため、僕が口述する物をマイケルが訳しながらPCに入力する。
作業が手間取ったのと、渋滞もあって会場入りが少し遅れてしまった。
6時前に会場のケンジントン・パレス・シスル・ホテルに到着。
今日の主催者のJALロンドン支店の伊賀さん達はすでに来ていた。
高座や舞台袖、字幕機材などの設営にかかる。
7時頃、設営途中でJALの人が、もうお客様が来られているのですがと心配そうに聞く。
開演時間を確認すると、開演は7時だった。
今まで夜の公演と言えば8時とか8時半だったので、8時開演と思いこんでいた。
慌てて設営を済ませ、開場。
15分ほど押して開演。
明日の日本人向け落語会はソールド・アウトとなり、こっちに回ってもらったお客さんもいるので、
日本人が約半数いる。
中入り後隣の部屋で慌てて着物を着替える。
やはりまず「お玉牛」をやってから「皿屋敷」をする方が反応がいい。
終演後ロンドンにいる後援会長の娘さんからお土産を頂く。
エジンバラまで来てくれたマイケルの同級生ローナも見に来てくれて、一緒に食事をとなった。
ロンドン在住のローナにどこかいい店ないかと聞くと、レバノン料理屋があるという。
レバノン料理なんか食べたことないのでみんな大賛成。
レバノン・レストランではマイケルのメニューの説明を聞いていろいろ注文したが、
結構レモンを使った料理が多く、あんがいうまい。
食事後マイケルに車で聡君宅まで送ってもらった。

ゆう君の小学校の制服。さすが英国の私立小学校。
我々が大阪でこんなジャケット着てたら、「昔の漫才師か」と突っ込まれるところ。

判読不能のレバノン料理のメニュー。英語のページもちゃんとある。
9月11日(火)バッキンガム宮殿見学
今、バッキンガム宮殿は期間限定で内部見学ができるというので、
聡君が切符をとってくれた。
まぁ御所の特別拝観みたいなもの。
時間指定があるので僕らは12:30の回を頼んであった。
家族が出払ってから3人で歩いて5分のヘンドン・セントラル駅へ。
家のドアを閉めてから携帯を忘れたことに気がつく。
充電していてカバンに入れるのを忘れていた。
鍵は持ってないし、
マイケルとバッキンガム付近で合流することになってるので携帯がないのは辛い。
仕方がない、公衆電話で連絡を取ることにする。
1回乗り替えて約40分後、ビクトリア駅に着く。
途中道に迷ったが、道行く人に尋ね何とかバッキンガム宮殿に到着。
ちょうど衛兵の交代をやっていた。
12:30の回の行列に並び、中に入るとき
飛行機のようにカバンをX線検査機にかけられ、金属探知ゲートをくぐらされる。
僕はカメラなどが入ったバッグと、衣装の入ったカバンを持ち、
マルコは三味線を持っていた。
しかし手荷物預かりがあるので身軽なかっこで見学できる。
各国語の解説パンフがあるので早速日本語のパンフを購入。
お客用の玄関ホール、玉座が並んだ接見の間、絵画の間、彫刻の間など
約1時間見学。絵画の間にはレンブラントやフェルメールもあった。
宮殿の横から入って内部を見学し裏庭に出る。
写真撮影禁止だけど裏庭でこっそりデジカメ隠し撮り。
庭を通って出口付近に仮設土産物屋がちゃんとある。
期間限定の王室土産。王族の肖像画が入ったチョコレートや
紋章の入った宝石入れなど、そこで約1万円ほど買い物してしまった。
まんまと王室商売にハマってしまった。
何とかマイケルと合流し、福矢とマルコはそのまま散策し、
僕とマイケルで去年今年とお世話になっている大和日英基金に挨拶に出かける。
おなじみの河村さんと会談後、今回参加している「JAPAN 2001」の担当者、
佐野さんを訪ね、日本大使館に行こうとしてるところに
聡君からマイケルの携帯に電話があった。
ニューヨークのワールド・トレーディング・センターにジェット機が突っ込み、
今2棟とも炎上しているという。
どこかテレビのあるパブに行こうと車を止めたがテレビのあるパブが見つからない。
歩いていると電気屋があり、入っていってそこのテレビを見る。
信じられない光景が繰り返し放送されていた。
電気屋を出て歩いていると建物の前にテレビカメラが何台か並んでいて、
衛星の中継車が止まっている。
何だろうと見ているとマイケルが、「アメリカ大使館や、危ないから離れよ」と真顔で言う。
回りの警官隊はみな防弾チョッキを着ている。
本当に標的になる建物なので慌ててそこを離れる。
日本大使館へは明日行くことにして会場のホテルへ5時半頃到着。
福矢とマルコはすでに来ていて、やはり貿易センタービルの事は知らなかった。
はじめは冗談だと思ったらしいが事の重大さに二人ともショックを受けたよう。
昼間別の事に会場を使っていたのでまた設営しないと行けないが、
段取りはわかっているし、字幕機材の設営がないので早く作業は終わった。
200人ソールド・アウトのはずだったが、さすがにあんな事件の後、空席が目立つ。
後で聞くと聡君の知り合いで実際に以前貿易センタービルで働いていて、
そこでご主人と知り合い、結婚して・・・
と貿易センタービルにいろんな思い出を持った女性が来てたそう。
聡君がそんなときにわざわざ・・・というと、
気が滅入るから今日は笑いに来ましたと言ってくれたそう。
来てくれたお客さんはみんなよく笑って帰ってくれた。
福矢は「時うどん」、僕は「お玉牛」と「冷蔵庫哀詩」の2席。
終演後JALの伊賀さん、聡君を交え6人で打ち上げ。
我々の英国打ち上げでもある。
オープンして1週間という居酒屋で久しぶりに焼酎を飲む。
出汁巻きや焼きおにぎりといった居酒屋の定番メニューが懐かしくてありがたい。
長い英国公演も終わり明日はいよいよパリに渡る。

バッキンガム宮殿の裏庭で隠し撮り。

会場のケンジントン・パレス・ホテル
9月12日(水)ロンドンからパリへ
朝8時半、寝ている福矢とマルコを聡君の家に残して地下鉄で
日本大使館のあるグリーン・パークに向かう。
大使館前で待ち合わせしていたマイケルと合流。
日本大使館は去年も訪問したが、入り口でいきなりセキュリティーチェクがあった。
やはりあんな事件の後なのでチェックが厳しい。
バッグを開けて中を見せ、金属探知ゲートをくぐって中に入る。
受付で来意を告げ、ビジターのIDカードを首から下げ待合室へ。
すぐに一等書記官の佐野さん登場。
今回我々は英国での日本展「JAPAN 2001」の参加公演なので、
担当者の佐野さんに公演の報告と挨拶をする。
佐野さんも落語が好きだそうで、ロンドン公演は行きたかったが
仕事で行けなかったと残念そうだった。
大使館を出て見上げると日の丸が半旗になっていた。
テロの犠牲者を悼んでのことだろう。
マイケルの車で聡君宅に戻り、荷物を全部積み込む。
今日は奥さんが家にいたので、家の前でお礼を言い、
僕たちを2週間運んでくれたレンタカー前で写真を撮る。
エジンバラからハートバーン、湖水地方、シェフィールド、メリング、マンチェスター、
そしてロンドンと、後ろが見えないほどぎっしり荷物を積み込み、
のどかな田舎道や高速を何千kmと走ってきたスコーダのワゴンとも今日でお別れ。
聡君の家から約40分のスタンステッド空港に到着。
ところがマイケルは他の仕事がトラブっていて、僕ら3人でパリに行かないといけなくなった。
3人の搭乗で全部の荷物を乗せると超過料金をかなり取られるので、
大太鼓は荷物の少ないマイケルが後で持って来ることになった。
チェックインカウンターでいくらかの超過料金を払い荷物を預けたが、
テロのおかげでやたら厳しい。
一人一人に「自分で荷物を詰めましたか」「誰かに頼まれた荷物はありますか」
「自分で鍵を閉めましたか」など何項目か聞かれ、
いつも機内持ち込みしてるバッグも今日はダメだという。
財布や携帯、パスポートをポケットに入れパソコンを抱えてターミナルを移動する。
マルコは大事な三味線まで預けさせられて心配そう。
楽器だから大事に扱うようにと言うステッカーは一応貼ってあるが、
裏でどんな扱いされるかわからない。
セキュリティーチェックではX線の機械を通すだけでは飽きたらず、
PCを作動させてみろという。
仕方がないのでソフトケースからパソコンを出しスイッチを入れる。
まだ完全に立ち上がっていない状態で行っていいと言われたが、
立ち上がっていないのですぐに終了できない。
ノートPCを開けたまま歩いて、ゲートに向かうトラムに乗り込んだ。
動き出してすぐ携帯をセキュリティーチェックに忘れたことを思い出した。
マイケルとの連絡のためにフランスでも使えるように空港で設定してもらったとこだった。
PCに気を取られて携帯のことが頭からすっかり消えていた。
国際線の空港というものは、トラムに乗ると後戻りがしにくい。
ゲートのある駅で立っている空港職員にセキュリティーで携帯を忘れたというが、
そこで言えと指さす。
そこではまたセキュリティーチェックをやっていた。
全員ボディーチェックを受け、またPCを作動させろと言う。
またスイッチを入れて、携帯のことを言うが、むこうが何を言ってるのかよくわからない。
こういう時にマイケルがいないのは辛い。
まだ念入りなボディー・チェックを受けてる福矢とマルコを残してゲートに向かい、
ゲートの職員に携帯のことを話すが、やはり向こうの言ってることがわからない。
忘れ物センターらしき電話番号を教えてもらったので、公衆電話からマイケルに電話し、
マイケルからかけてもらうことにした。
少し遅れて福矢達は来たが、マルコに聞くとハンカチまで触って調べられたそう。
そういえば最初のチェックでPCを作動させられ、何か丸い紙でPCの回りをこすっていた。
何をしてるのかと見ていたら、そのこすった紙を機械に入れていた。
たぶんPCに爆薬などが仕掛けられていないか、火薬や薬品の臭いを紙に吸着させて
機械で感知していたのだと思う。
少し遅れて小さな飛行機はパリに向かった。
パリまで約1時間。東京~大阪みたいな距離。
列車での移動という案も出たが列車は飛行機より高いらしい。
シャルル・ド・ゴール空港に無事着いて、荷物が出てくるのを待っていたら、
舞台設営の道具が入ったゴルフバッグと、キャリーがいつまでたっても出てこない。
とうとうそのコンベアーには我々3人しかいなくなった。
セキュリティーのおばちゃんに聞くと向こうの航空会社のカウンターで言えと言う。
まいった。荷物が出てこないと言うことは何とか伝えられるだろうけど、
向こうの言う事がわからないので、またわからずじまいになってしまうかもしれない。
こんな時にマイケルがいてくれたらなぁ。
カウンターを探していると福矢が向こうから「兄さん、ありましたぁ」と叫ぶ。
よかった。
荷物を押してロビーに出ると公演主催者、日仏文化センターの服部さんと、
アシスタントの松永さんが迎えに来てくれていた。
2台の車に分乗してセンターへ。
日仏文化センターは木造3階建てで、3階に100人が入れるスペースがある。
早速、高座を組みプロジェクター位置を決める。
後は明日マイケルが荷物を持ってきてからする事にし、
借りてもらったアパートに向かう。
我々の部屋は4階と聞いて、はじめドキッとしたがエレベーターがちゃんとついているそう。
エジンバラの5階のフラットの階段をヒーヒー言って担ぎ上げていたので、
またかいなと思ってしまった。
空港でチェックインしたときに計量を見たら、僕のスーツケースは34kgあった。
エジンバラと違って近代的なアパートで3LDK。
早速部屋割りにかかる。
ツインは僕と福矢で、シングルはマルコ。体の大きなマイケルはWベッドの部屋。
外に出て中華料理を食べる。
英語はあまり通じないようだし、「老酒」「紹興酒」も通じず、
仕方がないので「青島ビール」を飲み続けた。
料理はうまかった。

半旗になった大使館の日の丸

2週間僕らを運んだスコーダのワゴン
9月13日(木)パリ公演スタート
朝はゆっくり起きていつものようにシャワーとホームページの更新。
ここのシャワーは広くてお湯がふんだんに出る。
イギリスにいる間どこも狭いところでシャワーを使わなければいけなかったし、
どこに行っても「mira」製のシャワーは力無く頼りない。
ここのシャワーは熱いお湯が勢いよく出るが、排水が悪いようですぐに下にたまる。
2ついいことがない。
1時半頃服部さんが車で迎えに来てくれて、会場の日仏文化センターへ。
設営にかかっているところにマイケルが大太鼓を持ってロンドンからやって来た。
高座にもうせんをかけ、舞台袖をセンターの定式幕を張って作り、
プロジェクターを設置する。
ここは白壁なのでスクリーンを使わず、直接壁に字幕を出すことにする。
舞台設営が早く終わったので字幕の内容を変更することにする。
日本にいるときに去年のバージョンで翻訳してもらった。
今回の公演の間にマクラはかなり毎日手を加え、
変化しているので、今のバージョンに変えることにする。
しかしフランス語なので、ここのスタッフに翻訳してもらって入力しないといけない。
日本語で行ごとに番号をうったマクラをもとに追加部分を翻訳してもらう。
こっちが全部書いてから翻訳にかかると時間がかかるので、
半分書いたところでここにメールで文面を送り、
翻訳作業中にもう半分を書き上げ、全部翻訳された訳文をまたメールでこちらに送ってもらって
入力することにした。
ところがサーバーの不具合で何度やってもメールが届かない。
アシスタントのヤンヌが僕のLANコネクターを見つけ、
LANでここのPCと接続してデータのやりとりをしようとしたがこちらもうまくいかず、
プリント・アウトして文面を手渡すことになった。
ここのプリンターのドライバーをインストゥールし、文面を印刷。
ところが翻訳文の入力だけでなく、ごっそり順番を入れ替えたところもあり、
結構時間がかかり、開演30分前になってしまった。
このまま作業を急いで続けて字幕に間違いが出るといけないので、
ニューバージョンを断念、去年バージョンでやることにする。
その旨鳴り物陣に伝え、楽屋で着替えにかかる。
服部さんのフランス語の挨拶の後、8時過ぎ開演。
お客は約7割が日本人。
字幕のタイミングがよく合っていたのかフランス人も同じ所で笑っている。
マイケルはフランス語がよくわからないので、字幕にふられた番号と
日本語台本の番号を首っ引きで見ながら操作している。
字幕がずれるといけないので、アシスタントの松永さんにマイケルの横でチェックしてもらった。
終演後簡単に片づけ、松永さんとメトロでアパートに向かい、荷物を置いて食事に出る。
タクシーで松永さんの近所のカフェに向かい食事。
食事の後もう一軒カフェで飲んでアパートに帰った。

会場の日仏文化センター

3階に約100人が入れるスペースがある。
9月14日(金)英仏公演最終日
午前中はゆっくりして昼食後、マルコは松永さんと買い物に出かけ、
マイケルはパリから日本行きの便を捜しに出かけた。
マイケルは今回の仕事の後、別の仕事で残る可能性があったので、
帰りは我々の便だけが決まっていた。
ところが日本に帰らないといけなくなり便を捜したが、
アメリカでのテロの影響で空の便が世界的に乱れ、切符がとれない。
かたことのフランス語で電話するのはらちがあかないと、直接カウンターで探すことにしたよう。
僕と福矢二人で街に出る。
我々のバンドルザンヌのアパートから最寄りのメトロ、プレース・デ・イタリーに向かう。
地下鉄には自動券売機があまりない。
ガイドブックに切符は「ビエ」と書いてあったので、
メトロの切符売り場で「ドゥ・ビエ・シル・ブ・プレ(切符2枚くださいな)」と言ってみる。
ちゃんと2枚出てきた。
メトロの構内ではアフリカ人が木琴のような打楽器を演奏していたり、
バイオリンの演奏があったり、電車の中にアコーディオンの流しがいたり、
結構地下鉄は音楽にあふれている。
6番線でシャルル・ド・ゴール・エトワールへ。
駅を出るとすぐに凱旋門がそびえ立つ。
あまり時間がないので写真を撮ってまた地下鉄へ向かいエッフェル塔へ。
1番線に乗ってフランクリン・D・ルーズベルト駅で9番に乗り替え、
アルマ・マルソー駅で降りる。
少し離れたところに出てしまったようだけど、エッフェル塔の全景を写真に納めるには
これぐらい離れた方がいいみたい。
エッフェル塔の展望台は行列ができていた。
時間がなかったので、展望台に上がることをあきらめ、
日仏文化センターのあるネイションに向かう。
メトロや街で気が付いたのは、爪をかむ男が多いことと物乞いが多いと言うこと。
電車や街でよく爪をかむ男を目撃する。
こっちでは爪をかんでもおかぁちゃんに怒られへんのかな。
物乞いは乳飲み子を抱えた女性で、小さな子供を抱いて金を入れる紙コップを差し出す。
やたら多い。2時間街を歩けば5人は出会う。
入り時間の4時を過ぎてネイションに到着。
しかしここは大きなサークル交差点の真ん中で、このサークルを中心に
道路が放射状に10本ぐらい延びている。
どの角を曲がったらセンターに行けるのかわからない。
福矢が前日このあたりをうろついていたので彼の記憶を頼りにしたが、
頼ったのが間違いだった。
結局一つずつ通りの名前を確認しながらサークルをぐるっと歩いて
会場にたどり着いた。
昨日できなかった字幕の変更にかかる。
センターのスタッフ3人で翻訳作業にかかり、順番を入れ替えたりしながら何とか
開演30分前の7時半にフランス語版ニューバージョンが完成。
英国版ではこんな出囃子もできますと「イエローサブマリン」を演奏していたが
昨日からは「オー、シャンゼリゼ」に変わり、
手拭いの使い方の「ブック」「レター」「ハンカチーフ」は
「リーブル」「レットル」「ムシュワーグ」に変わった。
実はこの発音は昨日開演直前に服部さんからレクチャーをうけた。
フランス語はカタカナで書いてもわからない発音があるので難しい。
ヨーロッパのいろんな公演をプロデュースしているセーラさんが開演前に来て、
少し話をして下座見学。
金曜日と言うこともあって今日は満席。
今日も7割強が日本人。
新しく入れた考え落ちの小咄も後から後から笑いが起こってよくうけた。
終演後セーラさんが僕にもわかるように噛んで含めるような英語で、
マイケルが是非来てくれと言うので見に来たが、
とてもすばらしくて驚いたと言うようなことを言ってくれた。
懇親会の前に高座前でお客さん達も交えて記念撮影し、
一階のサロンでお客さん達とシャンパンで談笑。
鳴り物や道具類はセンターに残し、僕ら4人と松永さんで食事に行く。
松永さんのお薦めのフランス料理屋さんへタクシーで向かう。
それぞれビーフや鴨などを注文。
店の親父は気さくで安くてうまかった。
あと、またまたカフェで一杯飲んでヨーロッパ打ち上げをした。
これで英仏8カ所、17公演全て終了した。
明日はいよいよ帰国。

凱旋門の前で。

終演後お客さん達と記念撮影。
9月15日(土)全日程終了
朝、今日はバスタブにお湯を溜めてゆっくり風呂に入る。
B&Bはほとんどがシャーワーしか付いてなかったし、
フラットでの共同生活だったりでゆっくり風呂を使えなかったが、
まだ誰も起きてないしここは湯船がきれいで大きいし、湯量もたっぷりある。
のんびり風呂を使い、ホームページの更新にかかる。
忙しくて更新できなかったりするので溜まってきている。
更新が終わった後マイケルがPCを貸してくれと言う。
マイケルのプロバイダーはパリではうまく繋げないらしい。
僕のPCでなにやらネットを探してる。
聞くと飛行機は明日の便が何とかとれたが、
ここのアパートは今日で引き払うことになってる。
1日安い宿をネットで探しているという。
10時半にアパートを引き払い、11時に日仏文化センターに荷物を置かせてもらって、
わずかの時間だけど買い物や観光に出かけ、
3時にセンターに戻って空港に行くという段取り。
11時を過ぎても宿が見つからないらしいが、
そのままセンターにタクシー2台で分乗して荷物を運び、それぞれ街に出る。
マルコと福矢はどこか買い物にでかけ、僕はとりあえず
シャンゼリゼにメトロで出かける。マイケルは残って宿探し。
シャンゼリゼは車道よりも歩道がやたら広く、観光客が多数歩いている。
シャンゼリゼからコンコルド広場に入り左に曲がる。
たくさん花が供えられていて何かと思うと、アメリカ大使館前でテロの犠牲者を悼んで
市民が献花をしている。
記帳場所がもうけられているので、
記帳の列に並び、名前を書き「安らかに」とメッセージを添える。
帳面をみるといろんな国の言葉でたくさんメーッセージが書かれていた。
オペラ座などを写真に撮り、またメトロに乗ってセンターに戻る。
3時頃福矢もマルコも戻ってきたがマイケルは戻ってこなかった。
我々の便は18:05発だけど、セキュリティー・チェックで時間がかかるかもしれないので
早い目のに空港に行くことにしていた。
後部座席を倒した服部さんの車にほとんど荷物を積み込み、
僕とマルコはあとからのタクシーに乗ることにする。
実はこっちのタクシーは日本より料金は安いけど、
大きな荷物を乗せると一ついくらと超過料金が取られる。
後から来たタクシーはベンツのEシリーズのワゴンだった。
こっちはベンツのタクシーが多く気持ちいい。
いろいろとお世話をしてくれた松永さんに別れを告げ、
市内から高速に乗って30分ほどでシャルル・ド・ゴール空港に到着。
全部の荷物をカートに載せた服部さんと福矢と合流。
そこにマイケルが見送りに現れた。センターの出発時間を30分間違っていたそう。
セキュリティー・チェック前は長蛇の列。
30分ほど並んで中に入る。
セキュリティー・チェックは1回だけで、PCを立ち上げろとも言われない。
イギリスを出る時、何度も厳しいチェックを受けたのが嘘のよう。
警戒レベルが下がったのかもしれない。
飛行機は30分ほど遅れて搭乗になり、乗ってからも1時間以上動かなかった。
やはりまだ空のダイヤが乱れてるみたい。
帰りは11時間半ほどで、16日(日)14:50関空着。
空港には家内と娘、姉と兄が迎えに来ていた。
そしてエジンバラまで取材に来てくれた朝日新聞の上田文世さんが待ちかまえていた。
到着出口付近でその後の様子、感想などを聞かれた。
福矢とマルコは空港で別れ、35kgのスーツケースと、鳴り物類、設営・字幕機材を
家族・兄弟で運びリムジンバスで大阪へ。
梅田からタクシー2台に荷物を乗せ家路についた。
日本でも経験したことのない31日間、8カ所、17公演と言う長期公演。
言葉のわからない異国の地で、荷物の運搬、会場設営と撤収、共同生活、
街や田舎を旅し、いろんな人達とふれ合い、ただの観光旅行や公演旅行では味わえない
一生のうちで2度と味わえない得難い旅だったと思う。
内外で支えてくださった皆様、イギリス・フランスで親切にしてくださった皆様、
そして僕のわがままと夢に付き合ってくれたマイケルと福矢、マルコに
心からお礼を言いたいと思います。
ありがとうございました。

アメリカ大使館前に供えられた花束。

オペラ座前。
2001 英仏公演ダイジェスト写真集

エジンバラ、オールドタウンの町並み。

エジンバラ公演、会場のオーガスティン教会。

我々が2週間滞在したフラットの近辺。

早朝、フラットの窓から見た景色。

近所の公園でゴルフを楽しむ人々。

一番賑やかなハイ・ストリートでチラシを配る。

ハイ・ストリートの仮設ステージ。

ハイ・ストリートに店を出すコンゴの太鼓売りが商売ものの太鼓で演奏し出す。

オーガスティンズ・スタジオの客席。
柱がじゃまなので、高座を上手(かみて)に寄せて使っている。

プリンセス・ストリートのバグパイプ・ミュージシャン。

カールトン・ヒル

カールトン・ヒルからはエジンバラの街が一望できる。

エジンバラの街並み。

ハイ・ストリートの街並み。

よく食べに行ったイタリア・レストラン「インカ」の親父オマヨンと。
エジンバラを出るときサンブッカをプレゼントしてくれた。

エジンバラでたたずむ旅芸人。

フラットのリビングで。

ホリー・アイランドのマイケル。

8月31日~9月2日まで滞在したハートバーンのB&B、
ベーカーズ・チェスト。

すごく親切にしてくれたベーカーズ・チェストの夫妻。

恋人達が泊まる軽井沢のペンションみたいな部屋で、
エジンバラに引き続き福矢と同室。

B&Bの裏の農場で。

マイケルの姪のクロエちゃん。

湖水地方のマルコ。

湖水地方、ウインダミアで泊まったB&B、グレンビル。

夏とはいえ、上着が離せない旅だった。

小さな蒸気機関車に牽かれてトロッコは行く。景色は良かったがこれも寒かった。

我々が泊まっていたシェフィールドのB&Bの裏に広がる農場。

マイケルの父、ピーターと踊るマルコ。

マイケルは昔使っていたギターを引っ張り出して弾きはじめた。

福矢は今年もシェフとして大活躍。

ボブさん夫妻。

我々が泊まったメリング・ホール・ホテル。

メリングの町並み。

メリングにあったクラシックなトラック。

マンチェスターのオールド・トラフォード・スタジアム。
前から7列目なので選手がすぐ近くに見える。

ロンドンで食べたレバノン料理。
2001 フランス公演ダイジェスト写真集

エッフェル塔の見えるセーヌ川の川岸で。

寄席になった日仏文化センター3階ホール。
-703x1000.jpg)
パリ公演フライヤー

字幕のチェックをするマイケルと日仏文化センターの松永さん。

舞台袖の鳴り物スペースには畳が敷かれている。

太鼓など鳴り物や字幕機材だけでなく、座布団も毛せんも日本から持参。
今回のツアーはJALが協賛に入っているので高座にJALのステッカーが。

最終日の打ち上げはフランス料理で。

全荷物。4人でこれだけの荷物を運んで1ヶ月旅していた。
公演日程
Raku-go Storytelling
August 19, 6.30 pm
August 21-27, 8.00 pm
Tickets £8(Conc£6)
Edinburgh fringe-venue 152
Augustine's,George Ⅳ Bridge
TEL 0131-225-6575
Fringe Ticket office TEL 0131-226-5138
Rakugo with the Taste of Sushi & Sake
August 26, sun. 4.00 pm
Ticket £9.50(Con.£8.00)
OKO
68 Ingram St. Glasgow
Tel 0141-5721500
ticket & queries AZAMI Japanese Newsletter
Tel 0131-336-5801 e-mail AzamiJNews@aol.com.
Rakugo
August 28, tue. 8.30 pm
Ticket £8.00(Con.£6.00)
Livingston Station Community Centre
4 Main St. Deans Livingston
ticket & queries AZAMI Japanese Newsletter
Tel 0131-336-5801 e-mail AzamiJNews@aol.com.
Rakugo
August 29, 4.00 pm
University of Stirling
Stirling, Scotland, FK9 4LA,
Tel: +44 (0) 1786 473171
Raku-go Storytelling
September 2, 2.30 pm
The Whitworth Art Gallery
The University of Manchester, Oxford Road,
Manchester M15 6ER England
Tel + 44 161 275 7450
Raku-go Storytelling
September 7, 7.30 pm
Ticket £5
Melling Village Institute
Green Close Studios
Green Close Barn, Melling, Carnforth,
Lancashire LA6 2RB
Tel : 015242 21233
Rakugo
September 10-11, 7.00 pm
ticket £10(con.£7)
Kensington Palace Thistle Hotel
16-32 De Vere Gardens
Kensington London W8 5AG
tel 020-7937-8080
Conteur de Rakugo
Seputember 13-14, 8.00 pm
Centre Culturel Franco Japonais
Tarifs: 90F/70F
8/10 passage Turquetil 75011 Paris
Tel 01 43 48 83 64
#落語 #英国 #イギリス #エジンバラ #ロンドン #グラスゴー #リビングストン #スターリング #メリング #パリ #小春団治 #フランス #エジンバラ・フェスティバル #フリンジ #ペリエ・コメディーアウォード #字幕 #英語 #フランス語