2002年 1月17日~25日

公演日程

1月19日(土) 21:30 Maulhelden | Verbal Heroes Katsura Koharundanji Japan
 出演 桂小春団治「お玉牛」(ドイツ語字幕)
 場所 Tempodrom Kleine Arena(ベルリン)

1月21日(月)19:00
 出演 桂小春団治「お玉牛」「皿屋敷」(ドイツ語字幕) 
 場所 国際交流基金ケルン日本文化会館
  
1月23日(水)18:30 桂小春団治による”日本の話芸” 
 出演 桂小春団治「お玉牛」「皿屋敷」(ドイツ語字幕) 
 場所 ミュンヘン、民族学博物館

国際交流基金ケルン日本文化会館・在ミュンヘン日本国総領事館主催公演  協賛 ANA


 

1月17日(木) 日本出発

今日からドイツ公演が始まる。
昨年夏の英仏公演の準備を進めているとき、ベルリンから招待状が来た。
ベルリンで「maulhelden」第1回国際言葉の芸術祭を開催する。
世界からいろんなコメディーを集めての芸術祭で
是非参加してほしいというような文面だった。
ケルンの日本文化会館からあなたのことを聞いたとある。
ケルンの日本文化会館は直接コンタクトはしてなかったが、
エジンバラフェスなどの公演が向こうに聞こえていたのかもしれない。
エジンバラにまでmaulheldenの担当者のシモンさんが来て
落語を聞いてくれた。
その後いろいろな交渉のあとケルンの日本文化会館と
ミュンヘンの日本領事館も加わって今回の3カ所の公演が決まった。
今回のツアーメンバーはいつものプロデューサー、マイケル・ジャックソンと
三味線のマルコ(住田益子)に、新しく太鼓担当の桂都んぼ君が加わった。
都合で成田発となったので伊丹空港に6:45集合。
6:30には全員が集まっていた。
まず伊丹から成田、成田からフランクフルト、フランクフルトからベルリンと
飛行機を3度乗り継いでベルリンまで向かう。
伊丹で荷物をベルリンまでノータッチで運んでもらう交渉をして、
最終目的地ベルリンまで運んでもらうことになった。
それぞれのスーツケースに大太鼓・締太鼓、座布団・毛せん、字幕機材など、
昨年の英仏公演に比べると少ないが総重量は95kg。
移動の度にこの荷物を運ばないといけない。
8時に伊丹を発ち、9:10に成田へ。
成田でお金を新しくなったユーロに両替。
成田で3時間ほど時間をつぶしてフランクフルトへ。
約12時間のフライトだがすごく空いていて一人で3席ほど使える。
エコノミーだったけどゆったりした旅だった。
時間どおり16時半頃フランクフルト着。
空港内は所々に雪が残っている。
かなり広い空港で滑走路からデッキまでが遠い。
着陸して地べたを走ってる時間がかなり長い。
飛行機を降りてから外を見るとはるか遠くに管制塔がぼんやり見える。
さすが欧州のハブ空港。
空港内、かなりの距離を移動して国内線へ。
すこし時間をつぶして18:30ベルリンへ。
これまた時間どおり19:35ベルリン、テーゲル空港着。
フィンガーデッキを出るとすぐに荷物の受け渡しコンベアーがあって、
そこを出るとすぐにタクシー乗り場があった。
こんなに飛行機から外が近い空港は初めて。
ワゴンタクシーに荷物を積み込みホテルへ。
ベルリンの宿はフォーラムホテル。
2年前の英国公演の最初の公演はロンドンのフォーラムホテルの宴会場だった。
同じ系列のホテル。
ところがフロントで名前を言うが予約が入ってない。
「KATURA」「MISHIMA」「JACKSON」どの名前もない。
調べてもらうと明日18日からの宿泊となってた。
maulheldenの事務局のミスのよう。
今までが順調に来ていたので、まずはご挨拶程度の小さなトラブル。
海外公演では何も起こらない方が少ない。
僕と都んぼ君がツインで、マイケル、マルコはそれぞれシングル。
部屋に入って電話回線を調べると、壁から直接コードがはえていて、
電話に直付けになっていた。
これではメールもHP更新できない。まいった。
とりあえず2階レストランで食事して11時頃部屋に戻る。
昨夜あまり寝てなかったので都んぼ君が風呂に入っているうちに眠ってしまった。

ドイツの国民性を知るため、フランクフルト空港で一番下世話な新聞に目を通す小春団治氏

今年から流通が始まったユーロ紙幣

maulheldenのパンフレットに載った写真。結構扱いがいい。

1月18日(金) 会場下見

いつもの海外公演のようにかなり早くに目が覚めた。
時差ぼけがこういう形で出るようで、いつも極端に睡眠時間の短い生活になる。
朝はゆっくりしようという事だったので、9時頃に2階のレストランに都んぼ君と行くと、
マルコはすでに部屋にもどるところで、マイケルが食事中だった。
ホテルからメールを送る場合は1階ロビーにある
ビジネスセンターと言うところを利用するらしい。
朝食後僕は部屋でメールを書いたりホームページの更新のための作業を、
マイケルは別の翻訳の仕事をそれぞれ部屋でし、
マルコと都んぼ君は街を散策に出かけた。
途中部屋に21日公演するケルンの日本文化会館の清田さんから電話があり、
無事に着かれてホッとしたと言う。
聞くとmaulhelden事務局から派遣された運転手が昨日テーゲル空港に迎えに行ったが、
桂さん達が出てこなかったと清田さんの所に電話があって心配していたそう。
日本大使館の四ッ谷さんと言う方も別に迎えに来てくれてたそう。
事務局からは迎えの事も聞いてなかったので、
荷物を受け取りさっさとタクシーに乗り込んでホテルまで来てしまった。
運転手は2時間ほど待っていたそう。
悪いことをしてしまったが、迎えを寄こすくせに宿泊予定を間違ってたりちょっとちぐはぐ。
昼からホテル横のテレビ塔に登り、
ベルリンの街を一望してから会場に下見しに行こうとなった。
12時半にロビーに集合。
それまでにロビー横のビジネスセンターでメールとHPの更新をしようと、
フロントに行ってビジネスセンターを使いたいと言う。
電話回線のコネクターはあるかと聞くので、ちゃんと持ってると答えると
ブースに案内してくれた。
デスクトップが1台置いてあるデスクの反対側にラップトップ用のデスクがあって、
同時に2人だけ使用できる小さなブース。
回線を一応モデムセーバーでチェック。
大丈夫なようでPCにつなぎ海外ローミングの設定にかかる。
ベルリンのアクセスポイントなので電話代もそれほどかからない。
しかしこの設定がくせ者で、毎回すんなり繋がった試しがない。
何度も失敗しあれやこれや設定をいじってるうちに何とか繋がった。
マルコもメールを送りたいというのでまずはマルコからメール送信し、
続いて僕もメールの送信とHPの更新をする。
メーラーのアドレス帳を開くとエラーが出たり、ウインドウズがちゃんと終了しなくて
バッテリーをはずして無理に終わらせたりと、こっちに来てから調子が悪い。
家ではデスクトップを使っていて、このノートPCは海外でしか使ってないので
あまりトラブルはなかったが、字幕に必要なパソコンなので少し心配。
何とかもってくれるといいが。
昼からホテル横のテレビ塔に登り街の全貌を確認してからタクシーで
会場のtempdromへ。
大きなとんがったテントがかぶさったようなコンベンション・ホールで。
大ホールは4,000人ほど収容できるが、そんなところでは落語をしにくいので
400人収容の小ホールにしてもらった。
円形の会場に舞台が作られ、今夜公演するコロンビアのパフォーマー達が
照明などの調節をしていた。
昨年夏にエジンバラまでわざわざ見に来てくれたシモンさんと再会。
高座や舞台袖のセッティングやプロジェクター・スクリーンの位置などを確認する。
安全のため一応PCをつないでみようと言うことになり、
もう一度ホテルに取りにもどることになった。
ホテルにもどる前に日本大使館に寄り、文化担当の書記官四ッ谷さんに会う。
日本大使館は最近新しいく出来た建物らしくて立派な建物。
セキュリティーもかなり厳重。
四ッ谷さんとしばらく談笑してホテルにもどりPCを持って会場へ。
結局スタッフがPCのコネクターを見てOKを出し、プロジェクターにつなぐことはなかった。
ホテルにもどって夕食中にマイケルの友人のローナさんがロンドンから来てくれた。
ローナは去年エジンバラもロンドンも公演を見に来てくれて、
ロンドンではレバノン料理屋を紹介してくれた。
夕食後四ッ谷さんに教えてもらったベルリンで一番おしゃれなスポットと
言われている所に出かけてみる。
ホテルから一駅なので歩いていくと、しゃれたレストランやブティックが並ぶ
南船場のような地帯。
アート系の大きな椅子のある店で一杯飲む。
ここは寿司も出す。
ほどほどに飲んでホテルに戻った。
明日はいよいよ本番。

京都タワーの展望部分が球形になったようなテレビ塔がホテルの部屋から見える。

街を走るおしゃれな路面電車。

公演会場tempodromのKleine Arena。

1月19日(土) 言葉の芸術祭

今日はいよいよ言葉の芸術祭出演の日。
しかし、前日持ち時間が30分しかないことが判明した。
45分と言ってあったのにパンフに30分と書かれ、僕のあとすぐに次の出番の人間もいる。
聞いてないことだらけ。
公式サイトにもあとの出番など書いてないし、持ち時間も1時間ぐらい書いてあった。
とにかく時間を短くしないといけないよう。
我々のリハーサル時間は4:30なので、午前中は少し観光することにした。
8:30頃レストランに行くと、いつも客が少ないレストランはごった返していた。
週末は宿泊費が安くなるので観光客が多いらしい。
それにしても広々したレストランにおびただしい客がビュッフェコーナーから
料理を運んでいたり、席を探していたりしている。
マイケルの言うのにはドイツ人は規則正しいから
みんな同じ時間に同じ行動をとるという。
やっと食事を済ませ、ビジネスセンターでHPの更新とメールの送受信をする。
10時頃ホテルをタクシーで出発し、ブランデンブルグ門に向かう。
ベルリンの象徴的な建物だが近くに来ると工事中で門全体が囲いで覆われていた。
仕方がないので目的地をジーゲスゾイレに変更する。
ジーゲスゾイレは戦勝記念塔で、映画「ベルリン 天使の詩」に登場して
一躍有名になった。
てっぺんに金色の女神像が輝いている。
大きなサークル交差点の真ん中に立つこの塔に登れるよう。
入場料を払いヒーヒー言いながら50mほどの階段を上る。
女神の足下まで来ると改めて像の大きさがわかる。
見晴らしはいいが寒い。
すぐに下に降りた。
次の目標はポツダム広場のソニーセンター。
とても近代的なおしゃれな建物らしい。
歩いて行こうと公園の中に入ると道が凍結していた。
ツルツル滑って危ないので落ち葉の積もってる所を選んで歩いて行く。
途中、完全に凍結した小川にマイケルが降りていき、
氷の上を渡ろうとする。
薄い部分もあるからやめとけと言うのに、マルコにおだてられ
恐る恐る進んでいく。
今にも氷が割れるんじゃないかと冷や冷やしたが最後まで渡りきってしまった。
ヤッターと喜んでいるマイケルだが、通りがかりのおばさんにひどくしかられた。
ソニーセンターは、広場を囲むように建てられたいくつかのモダンなビル群の上に
大きな傘をさしたようなおしゃれなスポットだった。
ここのカフェでお茶を飲んでベルリンの壁を見に行く。
ほとんどが壊されたが一部残っている。
壁のあった所は延々と線がひかれてあるが、実に不思議な線切りで分断されてたよう。
雨が降り出したので観光をそこそこに繰り上げ、ホテルに戻って食事。
昼食後僕の部屋に集まってミーティング。
持ち時間が30分になったので、どこかをはしょらないといけない。
マクラとネタはそのままで鳴り物解説の部分を短くして
開演前にやることにした。
一番太鼓や二番太鼓、出囃子の石段などを口三味線、太鼓で時間を計る。
3:30ごろmaulhelden会場のtempodromに到着。
入りが早すぎたようで会場内の「野菜畑」と漢字で書かれた喫茶室で
しばらく時間をつぶすが、僕らの前に公演するコロンビア人たちのリハが押しているらしい。
5時頃になってやっと我々のリハの番になった。
高座を組みスクリーンとプロジェクターの位置をあれやこれやと言いながら何とか決める。
鳴り物を隠す舞台袖作り、照明の調節等もしてもらう。
照明も出演者が雑多なのでいちいちセッティングを変えないといけない。
特に我々はスクリーンに字幕を映すので舞台全体が明るければいいと言うものでもないし、
客席が明るくないとやりにくい。
全てのセットをするのにかなりの時間がかかる。
次のラップのグループのリハ時間が迫ったので何とかセッティングを終える。
あとは開演の21:30まで時間がある。
3畳ぐらいの個室の楽屋があてがわれ、控え室前には軽食や飲み物が用意されている。
開場してしばらくしてスタッフが客とプレスが来ていると呼びに来た。
NHK国際放送のスタッフが取材に来てくれた。
小平唄さんというその女性は外見は全くのドイツ人だったがハーフらしい。
もう一組のお客さんは落語作家、小佐田定雄さんの娘さんのさだかさんだった。
フランクフルトに留学しているそうで、小佐田さんからこの公演を聞いて
友達とベルリンまで見に来てくれた。
ところがチケットがソールドアウトで中に入れないと、受付で足止めを食らわされていた。
ディレクターのシモンさんに頼んで3人を中に入れてもらう。
控え室でNHKのインタビューを受けた後、大ホールの方を見に行く。
ドイツ語を喋るパキスタン人のスタンダップ・コメディアンが
4,000人の観客の前で笑いをとっていた。
落語の場合は表情や仕草があるし、字幕なのでこんな大きな所はやりにくいが
これだけ大勢の客の前でウケたら気持ちいいだろうなぁと思う。
前日も出演して15分押してたと聞いていたコロンビア人達が意外と早く終わった。
転換時間は30分。高座に毛せんをかけ鳴り物をセットする。
ところが舞台裏の楽屋でコロンビア人がダラダラと片付けをしていつまでも楽屋を空けない。
おまけに一人が飲み物をひっくり返して僕の衣装カバンにかかった。
イライラして「マイ・ドレッシングタイム、ユー・ノウ?」と言うが
英語があまり通じないのか意に介さない。
あまりイライラすると高座に響くので努めて気を静める。
やっと演出家らしい男が外で片づけるように言ってくれた。
21:40頃開演。
入りは75%ぐらいだったけど、マクラの最初のドイツ車とフランス車の
名前比較のギャグなど反応がよく、マクラでネタを飛ばしてしまって
字幕も慌てて進んだ所もあったが、マクラ・「お玉牛」ともよく受けた。
ドイツでも落語がウケる事が実証された。
バタバタとセッティングして高座に上がったので汗だくになり、
ひどく疲れたけど控え室で飲んだビールはうまかった。
ビールのうまい国で一際うまいビールが飲めた。
控え室でほっこりしているとイタリアのコメディー関係の人がたずねて来て、
とてもすばらしかった、イタリアでもコメディーフェスティバルをやりたいので
その時は是非と、マイケルと連絡先を交換していた。
ホテルに荷物を置きに帰り、「ベルリンの南船場」と名付けたエリアで
イタリア料理を食べ、部屋に戻った。
その夜は爆睡した。

ベルリンの壁。細かく砕いた「壁」がキーホルダーになっていたので土産に買った。

maulhelden会場のtempodrom。

控え室前で。前列左が小佐田定雄さんの娘さんのさだかさん。真ん中がNHKの小平唄さん。後ろはさだかさんの友人。

1月20日(日) ケルン移動

今日は次の公演先ケルンへ移動する日。
9:45にロビーに集合してタクシーでテーゲル空港へ。
ローナも同行することになった。
旅は道連れ、人が多い方が楽しい。
空港で我々は搭乗手続きをし、ローナはチケットを買いに別のカウンターに行ったが、
戻ってきたときマイケルは「ローナと口きいたらあかんで、ふーん」と冗談でそっぽを向く。
聞くとローナは一人ビジネスクラスらしい。
ローナはロンドンで雑誌の編集をしているが、さすがキャリアウーマン、
お金持ちなのかもしれない。
飛行機は100人乗りの小さな物だったが、ビジネスもエコノミーも
シートの大きさ、仕様など変わらない。
どこがビジネスなのかと思っていたら、ビジネスだけなにやら軽食が配られている。
途中でパーサーが忘れてたというようにビジネスクラスの最後尾、
荷物棚とシートの間のカーテンを引いた。
その幅約40cm。
こんなにエコノミーとの垣根の低いビジネスクラスを初めて見た。
約1時間でケルン到着。
空港には日本文化会館の佐々木さんと、ドイツ語の翻訳で
大変お世話になったレーゼさんが迎えに来てくれていた。
会館に鳴り物をいったん置いて我々はホテルへ。
会館から歩いて15分ほどの所に我々の宿、ホテル・ブレーマーがあった。
小さなホテルだけど奥にコテージ風の部屋が中庭を取り囲むように建っている。
ここも部屋の回線にPCが繋がらず、
フロント横の電話室に行かないとダメみたい。
それぞれ部屋に荷物を置いて会館に下見に行く。
ケルン日本文化会館は公園の一角に建つ2階建ての建物で、
中に約250席のきれいなホールがある。
高座を組み、屏風で下座の舞台袖を作り、プロジェクターの位置を決め、
照明を調節する。
約2時間ほどでほとんどのセッティングが終わる。
これで明日は楽になる。
遅い昼食をとりホテルに戻る。
夜は繁華なところで夕食をとることにする。
ケルンの象徴、大聖堂までタクシーで出かけた。
ライトアップされた巨大な教会がそびえ立っている一帯が繁華街らしい。
アーケードのない心斎橋のようなあたりをうろつき、
古いビアホールに入る。
この辺のビールは全てが地ビールで、ケルンには23種のビールがあり、
「ケルシュ」と呼ばれている。
ケルンはビールの飲み方にもこだわりを持っているようで、
ジョッキではなく細長い薄手のグラスにビールが入って出てくる。
量もそれほど多くない。
たくさん入れるとぬるくなってしまうので量を少ないめにし、
細長いグラスは泡立ちがいいようにだと思う。
このグラス専用のラックをウェイター達がそれぞれ持っていて、
人数分テーブルに置いていく。
このビールが実にうまい。
注文したソーセージもうまく、それに付けるマスタードもマイルドで美味。
名物にうまい物なしとかいうが、ドイツの料理は日本人の口によく合う。
ええ国や。
ビールはいちいち注文しなくても少なくなるとウェイターが
「飲むやろ」と言う風に勝手にグラスを置いていく。
わんこそばならぬ「わんこビール」状態。
ビールをテーブルに置くとコースターに数を付けていくので、
コースターにどんどん線が増えていく。
古くてとっても落ち着く店の作りやし、ウェイターも顔はいかついがおもしろい。
みんなご機嫌でホテルに戻る。

会場のケルン日本文化会館

ビアホールの都んぼ・小春団治・マルコ(住田)

ビアホールでご機嫌のマイケルとローナ

1月21日(月) ケルン公演

朝食後昨夜の大聖堂付近に出かける。
大聖堂は近くで見るととてつもなく大きい。
ドームと呼ばれる大聖堂は、途中300年中断して建設につごう650年かかったという。
中に入ると中の方が寒い。
天井が高く大きなステンドグラスには細かな絵が描かれている。
大聖堂を出て香水屋に向かう。
コロンはケルンから付いた名前。つまりコロンの発祥地。
4711番地に本店があるのでオーデコロンの商品名がそのまま「4711」。
4711番地の本店に入ると、樽からコロンが垂れ流しで受け皿に流れている。
客達はちょいと指に付けて腕などにこすりつけていく。
土産に元祖コロン「4711」をいくつか買う。
それからドームの東側、ライン川に向かって歩く。
ライン川は川幅が広くて流れが速かった。
このライン川の近辺は古い石畳の街並みがたくさん残り、
ビアホールやレストランも軒を連ねている。
広場に面したカフェで軽く昼食をとり、並びの店先でホットワインを飲む。
ゾーリンゲンやヘンケル製品が並んだ刃物屋に入ったり、
ブティックをのぞいたりしながら街を散策。
4:30にホテルに戻る。
5時に会館に入り音響をチェックし字幕の手直しをする。
メールの送受信やホームページの更新をしようとしたが、
ホテルの電話室からは結局回線が繋がらず、会館の回線を借りることにした。
会館もほとんどデジタル化されてて図書室に1カ所だけアナログがあるという。
図書室でアナログ回線につなぎメールチェックとホームページの更新をする。
しばらく音信不通になり、ホームページの更新も滞ってきた。
ドイツはどうも回線事情が悪い。
7時過ぎ開演。
まずはレーゼさんがドイツ語で簡単に解説し、いつものように字幕と写真での鳴り物解説、
そして「お玉牛」、中入りを挟んで「皿屋敷」と言う構成。
客席は150人ほどの入りで85%ほどがドイツ人と思われる。
「皿屋敷」はどうだろうと少し心配していたが、後半のギャグの部分ではちゃんと笑ってくれた。
終演後会館の人達とイタリアレストランで夕食会。
食事後ホテルに戻り僕の部屋にみんな集まって、
ベルリンで小佐田さんの娘、さだかさんからもらったワインを開け、ケルン打ち上げをした。
昼間刃物屋でこのためにソムリエナイフを買っていた。
その夜は1時過ぎに解散。
明日はミュンヘンに移動する。

ケルン大聖堂前で。
あまりにも大きいのでよほどの広角レンズでないと写真に入りきらない。

街角でホットワインを飲む。

ケルン日本文化会館での公演。

1月22日(火) ミュンヘン移動

7時に目覚ましで目が覚めた。
実は今日自分のレギュラー番組、ABC「芦沢誠の元気イチバン」でケルンから
電話で生出演する事になっていた。
ざこばさんと交代で出ている番組だけど、この日はざこばさんもスケジュールが合わず、
ドイツからのリポートとなった。
7:20頃プロデュサーの平尾さんさんから部屋に電話があった。
放送は日本時間で15:35から。8時間の時差があるのでこちらでは朝7:35。
メイン・パーソナリティーの芦沢アナ、アシスタントの小川恵理子ちゃんと会話しながら
ドイツの様子をリポートする。
それからいつものようにシャワーを浴び、朝食をとり、メールやHPの更新にかかる。
このホテルでは回線が繋がらないので、日本文化会館まで行かないといけない。
10時過ぎにホテルから歩いて会館に向かい、図書室でまた回線を借りる。
館長さん達に挨拶し、お礼の手拭いを渡す。
11時前に佐々木さん達に車でホテルまで送ってもらうと、
ロビーにはみんな集まっていてスーツケースなどを車に積み込み、そのまま空港へ。
高速を通って11:30頃空港着。
ローナとはここでお別れ。
昨年からエジンバラ・ロンドン・ベルリン・ケルンと僕の落語をずっと聞いてくれた。
海外での一番のお客さん。
12:45にケルンを発ち、13:50ミュンヘン着。
空港には日本領事館の稲村さんが迎えに来てくれていた。
大型のワゴンタクシーでホテルへ。
ミュンヘンの宿はホテル・スプレンディッド。
2年前同名のイギリス映画があった。
ここもこぢんまりしてるがちょっと古くていい感じ。
明日の公演会場の民俗学博物館の並びにあって、歩いて2分ぐらいの距離。
近所のカフェで軽い昼食をとり、迎えに来た領事館の伊吹さんと民俗学博物館へ。
2階に約250席のきれいなホールがある。
今日中に舞台セッティングしたいがこのあとインド舞踊の公演があるらしく、
段取りだけ決めて設営は開演前となった。
夕方街の中心部へと向かう。
観光スポットの新市庁舎や聖母教会などの建物が集まったあたりは
広い歩行者天国になっていて、観光客や市民がそぞろ歩きしている。
ぶらぶら街をうろついてマイケルが以前行ったという巨大なビア・ホールに行く。
かなり席が埋まっていて、奥の方にやっと空席を見つける。
巨大なジョッキになみなみとつがれたビールで乾杯。
ステージでは生演奏が始まったが、我々はばか話で盛り上がった。
周りの人がこっちを見るぐらいみんなガハガハ笑った。
特にマイケルの話は涙が出て、腹が痛くなるぐらいおかしかった。
ほんとに愉快な男だ。
会計を済ませたあと店に置いてあったスロットマシーンや、
アルコール・チェックマシーンで遊んで帰った。
部屋に戻って電話回線にパソコンをつなぐがちゃんと通じない。
いろいろ設定を変えるがだめ。
ドイツで回線にたたられっぱなし。
そのままベッドにもぐり込んで眠った。

公演会場のミュンヘン民俗学博物館。

ミュンヘンのビア・ホール。

大きなジョッキで乾杯。

1月23日(水) ミュンヘン公演

朝食後、10:30にロビーに集合して少し散策をする事にした。
マイケルは仕事が残っていたので、僕と都んぼ君、マルコで市の中心部へ。
新市庁舎にからくり時計が付いていて毎日11時に人形が動くらしい。
市庁舎前の広場には観光客が集まっていた。
「新」市庁舎と言っても100年以上経つ建物で
一目ではとても市役所に見えない重厚な作り。
11時少し前から鐘が鳴り出し、等身大の人形達が動き出したが、
動きは単純で鐘の音もなんか音痴。
それにダラダラしつこく鳴る。
途中で飽きてその場を立ち去る。
続いて近所の聖母教会に向かう。
丸屋根の塔がそびえるミュンヘンの象徴とも言えるゴシック様式の教会らしい。
中に入ると、確かに大きな教会だがケルン大聖堂を見たあとでは
どんな大きな教会もかすんでしまう。
続いてレジデンツ宮殿。
中は博物館になっていて宮殿内が見られる。
ベルリンのテレビ塔に登ったとき、チケット売り場で都んぼ君が
「子供か?」と聞かれたので、切符売り場で「2アダルト、1ボーイ」と言ってみる。
「アンダー18?」と聞くので、即座に「イエス」と答える。
都んぼ君はタダになった。
ドイツ人には10歳以上も若く見えるらしい。
あまり時間がないので駆け足で見学、タクシーでホテルに戻る。
昼は独日協会主催の昼食会。
ロビーには独日協会のツェルセンさんがすでに来ていた。
ツェルセンさんはドイツ人男性と結婚して30数年前にこちらに来た日本人女性。
ホテルの近所のレストラン「マリアンネン・ホーフ」で昼食。
ケルン日本文化会館のレーゼさんもプロジェクターを持って駆けつけてくれて、
一緒に食事をした。
やはりまずはビール。
ケルンのビールは「ケルシュ」と呼ばれ細長いグラスに注がれるが、
ミュンヘンのビールは「ヴァイツ・ビール」と呼ばれ、
少し口の開いた大きなグラスで飲むスタイル。
乾杯の仕方も違って、ケルンではグラスの口をカツンとあてて乾杯するが、
ミュンヘンではグラスの分厚い底をぶつける。
やってみるといい音がする。
昼食後、会場に行くまで自由時間。
HPの更新をしようとするがやはり部屋の回線は繋がらない。
19日分のベルリン公演をアップしたままストップしてしまった。
とりあえず文面だけ書き溜める。
4時、ホテルから鳴り物などを持って徒歩で並びの民俗学博物館へ。
領事館の伊吹さんがすでに来ていてホールで設営を始める。
アラブ人らしきスタッフが我々の注文にてきぱき応えてくれたおかげで
設営は1時間もかからずに終了した。
マイケルとレーゼさんはミキサールームで字幕の手直しを開演直前までしていた。
開演前、中根総領事が楽屋に挨拶に来てくれて、満席ですという。
高座に上がると約250席が埋まっていた。
日本人が40%ほど。ドイツ人の方が多い。
ケルンと同じく字幕での鳴り物解説の後「お玉牛」、中入り後「皿屋敷」を演じた。
ここもまた反応は上々で、笑いが静まるまで待たないといけないところが何度もあった。
日本人とドイツ人が同時に「落語」を楽しんでいる。
高座を降りてからもいつまでも拍手が鳴りやまなかった。感激。
終演後ホテルの近所の日本料理屋「赤坂」で中根総領事主催の夕食会。
僕たち4人にレーゼさん、日本領事館からは中根総領事に稲村さん、伊吹さんの8人。
夕食後、僕の部屋に集まってルームサービスで赤ワインを注文し、ドイツ打ち上げをした。
1時間ほどで強烈に睡魔がおそってきたので解散し、そのままベッドに潜り込んだ。

マリエン広場のミュンヘン新市庁舎前で。毎日11時にからくり時計の人形が動く。

民族学博物館のホール。舞台設営は着々と進む。

終演後の夕食会。左側は我々4人。右側奥からレーゼさん、中根総領事、稲村副領事、伊吹さん。

1月24~25日(木・金) さよならミュンヘン

今日の午前中は自由時間。
朝早くに目が覚めたので、HP用の日記を書く。
回線はつながらないが書きためておく。
10:30頃街に出て買い物。ガイドブックや地図を見ながら店を回る。
1時間ほどでホテルに戻って荷造り。
12時にそれぞれ荷物を持ってロビーに集まってきた。
一旦チェックアウトし、荷物をホテルに預けて最後の観光をした。
僕が世界最大級のドイツ博物館に行きたいというと皆乗ってきた。
博物館はホテルから歩いて15分ほどの所にある。
今日も暖かく、領事館の人に聞くと、このところの気温は4月上旬の陽気らしい。
年末年始、-12℃などというドイツの気温をネットで見ていたので
氷点下の気温を覚悟していたのだが、このドイツの旅は恵まれてたよう。
カイロやタイツは全く使わなかった。
暖かな川岸を鴨や白鳥を眺めながら博物館までぶらぶら歩いていった。
博物館でチケットを買うときマイケルは都んぼ君だけでなく
マルコまで子供料金で入場させた。
30過ぎてんねんけどなぁ・・・・。
ドイツ博物館の展示室は地上4階、地下1階だが全部見て回ると
15km歩いたことになるらしい。
ポリシーはできうる限り本物を展示するといった趣で、船と言わず
飛行機と言わず潜水艦と言わず、本物がドカンドカンと建物の中に
所狭しと展示されている。
第2次大戦中、ドイツが誇る潜水艦「Uボート」も本物が鉄板をはがして
中が見られる状態でデンと置かれている。
しかもほとんどが触れるし、本物の迫力に圧倒される。
博物館内のレストランで昼食をとってまた見学再開。
駆け足で回ろうとしたが、いろんなところで足が止まるので
結局地下展示室まで回れなかった。
1日ではとても回りきれない。
慌ててホテルに戻るとロビーでは伊吹さんがすでに待っていた。
大型のワゴンタクシーにはもう荷物は積まれていて、そのまま車に乗り込んで空港へ。
チェックインして伊吹さんと別れた。
フランクフルトでは乗り継ぎ時間が45分しかない。
フランクフルト空港にはANAの係りの人が待ち受けていて、
広いターミナルを早足で乗り継ぎカウンターまで誘導してくれた。
マイケルはお父さんの引退パーティーがあるらしく、
我々と日本に帰らず急遽フランクフルトからイギリスに向かうことになった。
成田まで我々3人となった。
帰りの飛行機も空いていてゆったり座って帰ってきた。
成田で約2時間、時間をつぶして伊丹へ。
少し遅れたがやっと大阪に帰ってきた。
今回は9日間で8度も飛行機に乗ったが、すべて順調でトラブルらしいトラブルもなく
いいツアーだった。
今回初めて参加した都んぼ君もよく働いてくれたし、いいチームワークだった。
今回のドイツ公演は3カ所ともちゃんとしたホールで設備も整っていたし、
それぞれの主催者の受け入れ態勢も万全だったので
今までの公演と比べるとかなり楽だった。
英・仏・独と3カ国での落語公演を体験し、世界的に展開する自信が深まった。
秋にはブルガリア・ポーランド・ロシアと東欧を回る話が進行中で、
上方落語世界展開の道は少し開けてきたよう。
またこのホームページ上で報告させていただきます。
今回も内外で協力してくださった皆様ありがとうございました。

ドイツ博物館。大きな飛行機も建物内に展示されている。

所狭しと本物の飛行機が置かれている。

Uボートも!

2002年ドイツ公演ダイジェスト写真

ガスボンベを背負って焼きながら歩くベルリンのソーセージ売り。

映画「ベルリン 天使の詩」でおなじみの戦勝記念塔ジーゲスゾイレ。

tempdromの僕の楽屋。

我々が泊まったケルンのホテル「ブレーマー」。

ケルンの街にそびえ立つ大聖堂の尖塔。

ケルン大聖堂内部。柱があるので広く見えないがかなり大きな教会。

ステンドグラスも見応え十分。

古い街並みが残るケルンの街角で。

雰囲気のあるビアホールがそこかしこにある。

ケルン日本文化会館ホールの舞台から見た客席。中央にビデオプロジェクターが置かれている。

ミュンヘンのビアホールでお気に入りのトランペッターと写真におさまるマルコ。

ミュンヘンで我々が泊まっていたホテル「スプレンディッド」。

スプレンディッドのロビーでくつろぐ都んぼとマルコ。

ミュンヘンの象徴、タマネギ頭の塔を持つ聖母教会。

聖母教会内部。

オデオン広場のテアティナー教会。

独日協会主催の昼食会。
右から2番目がツェルセンさん。左端はレーゼさん。

バイエルン国立歌劇場

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