トルコ公演

2004年3月26日~4月2日

3月29日(月)トルコ公演 19:00~
state theaters-sabanci international adana theatre festival 参加公演
 出演  桂小春団治 「お玉牛」(トルコ語字幕)
 場所 Sabanci Kultur Merkezi, Adana Tel: 332/352 33 55, Comments: State Theatre

3月26日(金) イスタンブール到着

今日からトルコ公演。
今回は去年の韓国公演と同じように、ITI(国際演劇協会)からの話で、
トルコで行われる国際演劇祭に招待され参加することになった。
トルコ全土81カ所で行われる文化祭のような催しらしく、
我々はアダナという街の国立劇場で公演することになっている。
ただ今回の話はかなり急で、最初の打診があったのが今年の1月末。
それから自分だけでなく鳴り物班のスケジュールも調整し、
日程を決めたが日本人の常識では考えられないくらい
トルコの人はのんびりしてて、おまけに公演先の劇場に英語が分かる人がおらず、
いつもの海外公演のプロデューサー、マイケル・ジャックソンが
四苦八苦しながら話を進めた。
演劇祭の事もあまりわからないし、現地に依頼してたトルコ語の翻訳も遅れに遅れ、
現時点で全体の30%ほどしか翻訳できてない。
見切り発車のままでの渡航となり、現地で字幕入力しないといけなくなってしまった。
今回のメンバーは住田益子(三味線)、桂福矢(太鼓・笛)、笑福亭風喬(太鼓・鉦)の
鳴り物班にプロデューサーのマイケル。
お馴染みメンバーにマイケルのアシスタントとしてグレッグが加わった。
今回の公演は我々の落語だけではなく、歌舞伎舞の人達の公演もあるので
マイケル一人では手が回らないので助っ人にグレッグが参加してくれた。
グレッグは23歳のアイルランド人で京都在住。
トルコまで関空からの直行便があるが日が合わず、往復とも成田経由となった。
朝伊丹空港に集合となったがマイケルは痛風の発作が出て、
痛そうに足を引きずりながらやってきた。
成田で4時間半ほどすごして14:20、トルコ航空でイスタンブールへ。
約12間のフライト。
機内でとりあえず字幕入力できるところをしておこうとPCを立ち上げる。
我々は現地の言葉がわからないので、いつも日本語・英語・現地語と
3カ国語で書かれた台本をいつも作っているが、
トルコ側の手違いでトルコ語だけ書かれた台本の一部がメールで送られてきた。
これではちんぷんかんぷん。
所々にある「RAKUGO」とか「OTAMA」などの文字を見つけて当てはめたり、
ガイドブックの巻末の簡単な「トルコ語講座」に載っている「こんにちは」や「ありがとう」
などの言葉を台本で見つけ字幕に入力していくが、わからないところ多数。
ノートPCのバッテリーも2時間ほどでアガって作業終了。
28日にアダナに入って、向こうのスタッフと一緒に入力しないとわからない。
20:40イスタンブール到着。
車でイスタンブールの中心地スルタン・アフメットにあるホテル・アルカディアへ。
こぢんまりしてるが新しくてきれいなホテル。
福矢・風喬、マイケル・グレッグがツインで、僕とマルコ(住田)がそれぞれシングル。
荷物を置いて近くのカフェ「モザイク」で一杯やる。
僕が注文したのはトルコの地酒「ラク」。
いつもの海外公演のお共「サンブッカ」に似た、トロリと甘みのあるお酒、
元は透明だが氷が入ると白濁する。
ドルマスという穀物を葡萄の葉で巻いたり、トマトや茄子に詰めた料理を食べる。
ウエイトレスの女の子が可愛くて愛想いい。
12時過ぎまで飲んでホテルに戻ってきた。
明日はイスタンブールを少し観光する。

ホテル・アルカディアの僕の部屋。

ホテルの近くのカフェ「モザイク」でとりあえず一杯。

トルコのお札。すごいインフレで「0」の数が多い。これは2,000万TL(トルコ・リラ)。(約1,600円)

3月27日(土) トルコ風呂

朝、5時頃に目が覚め、シャワーを浴びて公演日記やメールを書く。
テレビをつけてチャンネルをいろいろ変えていると、いきなりお経のようなものが聞こえてきた。
どうやらコーランらしい。
画面にはアラビアの文字が左から右に流れ、コーランを持っていなくても一緒に読経できるようになっている。
そういえば机の引き出しには、ホテルの定番の聖書はなく、
トルコ語と英語のコーランが2冊あった。
イスラム教の国だと実感する。
8時半頃朝食をとりに最上階のレストランへ。
すごく見晴らしのいいところで、窓から大きなイスラム寺院、スルタン・アフメット・ジャミィと、
ボスポラス海峡が見える。
10時にロビーに集合して今日はイスタンブールを観光するする事にした。
マイケルは痛風の具合が思わしくなく、あまり歩けないのでホテルに残って
作業することになった。
マイケルはイスタンブールをすごく楽しみにしていたのに
残念だけど我々5人で観光することになった。
まずホテルから歩いて5分の巨大寺院、スルタン・アフメット・ジャミィへ。
6本の尖塔を持つ巨大なイスラム寺院で、
靴を脱いで中に入ると直径27.5mのドーム屋根の下に広大な礼拝場が広がっていて、
天井装飾、ステンドグラスなど外観の威容に違わず見事な寺院。
続いてそこから10分ほど歩いてトプカプ宮殿へ。
オスマン朝の支配者の居城として建てられたトプカプ宮殿はイスタンブール一の観光名所。
宮殿と宝物館の2種類の切符を買って中へ。
ハレムは別料金で、また中でチケットを買う。
ハレム・ツアーは時間が決まっていて、12時からのツアーに参加。
グレッグがイヤホンガイドを借りて、英語の解説をたどたどしい日本語で説明するが、
歴史的な解説が多く、日常会話程度しか日本語を話せないグレッグはカバンから電子辞書を出し、
それを見せながら一生懸命解説してくれた。
宝物館は圧巻で、これでもかと言うぐらい大きな宝石をゴテゴテ装飾した宝物が
ゴロゴロ展示されていて初めは感心していたが、2部屋目にはもう慣れてしまった。
ところが最後の部屋はもっとすごい宝物が待っていた。
大きなルビーやダイアをちりばめた短剣、5cmはあろうかという巨大ダイアモンドなど、
この部屋はトリネタであった。
宮殿から一旦ホテルに戻ってマイケルと合流、昼食に出かける。
近所のレストランで好きな料理を指さして外で食事。
暑くも寒くもなく気持ちいい。
昼食後、今度は買い物しにグランドバサールへ出かける。
建物の内外に4,400軒も軒を連ねる巨大な土産物屋。
貴金属類を扱う広いメインストリートから横道、裏道が広がり、うっかりすると迷子になってしまう。
ここでそれぞれ買い物した後古本屋街・イスタンブール大学を抜けて、水道橋を見学。
一日歩いて足がくたびれたのでホテルまで路面電車で帰ることにした。
トラムヴァイと呼ばれる路面電車の切符(コイン)を買って自動改札を抜けホームに立ってはたと気付いた。
反対方向だった。
日本の電車は左側通行だけど、こちらは右側通行。
それでいつものように左側のホームに向かうと反対だった。
自動改札を出て、また切符を買い直して反対のホームへ。
ホテルのあるスルタン・アフメット駅まで約5分、
車内でトルコ風呂へ行こうとなった。
聞けばマルコはこんな事もあろうかと、ちゃんとセパレートの水着を持って来てるという。
フロントでお風呂を教えてもらい、タクシーでハマムと呼ばれるトルコ式のお風呂へ。
中に入ると番台らしきカウンターがあるが料金は後払いのようで請求されない。
2~3人ずつ脱衣所となる小部屋に案内され、そこで裸になると備え付けのバスタオル大の
木綿の生地を腰に巻いて外に出る。
そして案内されるまま中に入ると、床や壁が大理石で出来た大きな浴室に通される。
浴室と言っても浴槽はなく部屋の真ん中に4畳半ぐらいの大きな大理石の台があり、
その台を囲むように壁際にみんな座ってる。
四隅は小部屋になっているがカーテンやドアはなく、そこにも一人用の大理石のベッドがある。
中は混浴だった。
外国人の男女が布きれを腰や胸に巻いて座ってる。
サウナのように暑いのかと思ったらそれほど暑くなく、日本の銭湯の室温ほどの暖かさ。
中央の大理石の台で男性がマッサージを受けていた。
泡だらけで三助さんからマッサージを受けている。
三助さんが枕カバーを石鹸水に浸し空気を入れて絞ると、きれいに泡が出る。
その泡を全身に広げてマッサージをするが、局部だけ申し訳程度に布きれが乗り、
周りの人が見る中、ほとんど全裸状態でされるがままにマッサージを受ける。
さらし者状態。
女性は四隅の小部屋でマッサージを受けるよう。
30分ほど壁際に座って汗を出し、壁際に座った僕の所に三助さんが来て、
その場で垢すり開始。
お馴染みのザラザラしたミトンで全身の垢を簡単に落とし、
いよいよ中央の台へ。
全身に泡が塗られマッサージを受けるが結構きつい。
三助さんは皆細身だが引き締まった身体をしてて、体脂肪など2%ぐらいしかないかと思うほど
いい体をしてる。
マッサージが終わるとまた壁際に連れて行かれ頭も洗ってくれて、
頭から冷水が浴びせられる。
全員終わるのに1時間半ぐらいかかってしまった。
外に出るとまた三助さんが身体まで拭いてくれて、腰や肩、頭にタオルを巻いてくれる。
その部屋で少しクールダウンしてまた個室の脱衣所に戻って着替えをする。
すっかり指がふやけてしまった。
帰り際に料金を払ってまたタクシーでホテルまで戻って近所で遅い食事。
明日は公演先のアダナに移動するが、3月の最終日曜、つまり明日の午前1時から
サマータイムに入るので、飛行機に乗り遅れないよう今のうちに
時計を1時間進めるよう指示した。

トルコを代表するイスラム寺院スルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)。

トプカピ宮殿内のハレム。

グランドバザール。全ての店をのぞくだけで丸1日かかってしまう。

3月28日(日) アダナ移動

6時45分にロビーに集合して車に荷物を積み込みアタテュルク空港へ。
トルコ航空でアダナまで約1時間半のフライト。
アダナの空港にはフェスティバルのスタッフ、アルカンさんが待っていた。
車に荷物を積み込みホテルへ。
アダナのホテルはアダナ・ヒルトンSA。
川の畔にそびえ立つ新しくて大きなホテル。
荷物を置いて早速公演会場の国立劇場へ向かう。
劇場は川を挟んでホテルの斜め向かいにある。
今日は芝居の公演があるようで舞台にはベッドなどの家具が置かれている。
高座になるような物を探し、プロジェクターの位置などを確認、明日の段取りを簡単に決め、
ホテルに戻って昼食。
今回トルコ語の翻訳で協力してくれた旅行会社のネスリンさんも合流し、
ホテルのビジネスセンターで僕とマイケルのノートパソコンを並べて
遅れている翻訳作業をする。
我々が作業している間、他のメンバーは自由時間。
マイケルがネスリン、アルカンさんらに英語で細かなニュアンスなどを伝え
翻訳作業を進める。
しかし夜になってもはかどらず、今回の公演はショートプログラム、
「お玉牛」のみとなった。
歌舞伎舞も後半あるので全体の公演は2時間弱と言ったところ。
8時半頃レストランに集まって遅い夕食。
フェスティバルのプロデューサーもやってきて歓談しながらの夕食となった。
トルコには12の県があって、それぞれ国立劇場がある。
それぞれが独自にフェスティバルを催しているが、
当地出身の実業家サマンチ氏がトヨタと組んで数年前に国際演劇祭として
いろんな国から公演を招聘しているらしい。
我々の他にはロシア・オーストラリア・アルメニアなどが参加しているらしい。
サマンチファミリーは傘下の会社の名前に「SA」をつけいてるそうで、
我々が泊まっているヒルトンSAもサマンチ系のホテル。
このホテルはきれいな公園になっている川岸に建っていて、
斜め向かいに大きなイスラム寺院が見える絶好のロケーション。
サマンチ氏の工場の跡地にホテルを建てたそうで、
ホテルから見えるイスラム寺院もサマンチ氏が建てたらしい。
夕食後福矢の部屋に集まって、ビールや地酒ラクを飲みながらバカ話で盛り上がった。

ホテルのレストランテラスからメルケズ・ジャミィが見える。

ホテルで翻訳作業するアルカン、ネスリン、マイケル。

福矢の部屋に集まって一杯やる。妙に盛り上がってしまった。

3月29日(月) トルコ公演

朝6時から起きてトルコ語の字幕入力をしようと思って目覚ましをセットしていたが、
5時半にコーランで目が覚めた。
1日に何度かスピーカーで街中にコーランが流れる。
ベッドの上に小さなベッドカバーのような物があるが、ベッドカバーにしては小さすぎる。
何かと思っていたらお祈り用の絨毯らしい。
モスクもいたるところにあるけど実際にお祈りしている人は見たことがない。
風呂に入って字幕入力にかかる。
8時半に一旦中断し朝食をとりにレストランへ。
レストランには日本人の姿が見える。
僕らと同じ公演で出演する歌舞伎舞の板東鼓登治さんら一行のよう。
そそくさと朝食を済ませて部屋に戻って字幕入力続行。
何カ所か抜けているところや訂正個所、確認しないといけないところがある。
10時に劇場に荷物を運び、舞台設営。
高座になる台を探し、スクリーンの位置決めをする。
高座に毛せんをかけて照明のセッティングをしようと言うところで12時なった。
ここは国立劇場でスタッフは公務員らしく、12時になるときっちり昼休みに入った。
仕方がないので僕らもホテルに戻って昼食にする。
レストランには板東鼓登治さん一行9名がすでに食事していて、
聞くと昨夜は2時頃にアダナ空港に着いたらしい。
昼食後ミネラル・ウォーターやビールを仕入れにホテルの前の店に行く。
実はホテルの裏側は都市開発できれいに整備されているが、
反対側は全く手つかずの住宅街で朽ち果てた家などもあって貧しそうな地帯。
僕らは勝手にホテルの裏を「金持ち側」、前を「貧乏側」と呼んでいた。(失礼なやっちゃ)
ずらっと並んだ商店の1軒に入っていって「ミネラルウォーターはあるか」と聞くと、
おやじはないという。
もう一人の男が「あの店にある」と向かいの店に連れて行ってくれて、
店のおやじに「この人がミネラルウォーターが欲しいと言っている」みたいなことを言ってくれた。
値段を聞くが全く英語が出来ないようでわからない。
すると連れて行ってくれた男が英語で通訳してくれる。
ミネラルウォーターやビールなどを大量に買い込んで合計金額を聞くと、
その男がまた親切に通訳してくれて紙に書いて金額を教えてくれた。
買い物して振り返ると人だかりができていた。
物乞いは紙コップを差し出すわ、子供達は福矢を指さして「ジャッキー・チェン、
ジャッキー・チェン」と叫ぶわ(全然似てないのに)、えらいことになっていた。
日本人が珍しいらしい。でもとても親切で、マルコが頭に鳩のフンを落とされると、
見知らぬ人がすぐさまティッシュを差し出してこれで拭けと言う。
そういえばマルコはイスタンブールの寺院や宮殿で遠足らしき中学生の女の子らから
しきりに一緒に写真を撮ってくれとせがまれてモテモテだった。
中には別れ際にほっぺにキスする子もいた。
同じ外国人でも白人達には目もくれず、中国人・韓国人も間違わず、
日本人だけ非常に好意的に接してくる。
こっちに来る前、昔和歌山でトルコの軍艦が難破したのを漁民が助けて、
それがトルコの教科書に載り、子供の頃からトルコ人は日本に恩義を感じてると聞いたけど、
これほど親日的な国は初めて。
1時半に劇場に戻って照明・音響・プロジェクターなどのセッティング。
舞台まわりが終わると字幕の訂正の作業。
マイケルとアルカンさんで訂正し、楽屋で僕が字幕に入力する。
PCには入力出来たが、マイケルは台本を見ながら字幕の操作をするので、
プリントアウトしないといけない。
日本語・英語・トルコ語の3カ国台本の入ったPCを持って事務所に行き、
事務所のプリンターに繋いでドライバーをインストゥール。
台本を印刷するがひどく遅いプリンターで、本番まで2時間ほどしかないのでイライラする。
何とか台本も3部でき、楽屋にみんなを集めて簡単にリハーサル。
劇場は450人ほど収容できるが、今日は満席らしい。
いつものように鳴り物解説から本番が始まった。
ご当地ソングの出囃子アレンジは「ウシュクダラ」。
有名なトルコ民謡を探したら、昔江利チエミが歌ってヒットしたそうな。
マクラのイルハンネタも受けたし、いいお客さんだった。
後で聞くとトルコにも落語のような芸があるらしい。
どこの国に行っても漫談や漫才はあるけど、一人で何人も演じて物語を語るコメディーは
聞いたことがない。
トルコには一人でいろんな人物を演じ分け、ほうきの柄やタオルをいろんな物に見立てて
物語を語る芸があるらしい。
まさに落語。
トルコが日本に親しみを覚えるのは遭難した船員を助けただけでなく、
文化的にも何か底辺で似かよったところがあるのかも知れない。
我々の後は板東鼓登治さんらの連獅子。
こちらもお客さんは熱心に鑑賞している。
約2時間半の公演は大きな拍手で終了した。
終演後ホテルのレストランで関係者らと打ち上げ。
フェスティバルのプロデューサー、劇場関係者ら、一様に満足の様子。
打ち上げ中、僕がアダナに着いたとたん独特の臭いがしたというと、
プロデューサーは笑いながら「それはケバブ(カバブ)のにおいだ」という。
ケバブは肉や鶏を焼いた物でシシケバブ(シシカバブ)は日本でも有名。
アダナはケバブで有名で街中にそのにおいが漂ってるからだという。
そういえば去年公演した韓国のスウォンは「カルビ」の本場だった。
そんなところが世界中にあるよう。
打ち上げの後風喬の部屋に集まって飲んで騒いでると、フロントから電話で
回りの部屋から苦情が出てるので静かにして欲しいと
「お静かに」を食らって、2時過ぎにお開きとなった。

公演会場のアダナ国立劇場。

机の脚を使って大太鼓の台を作る風喬とグレッグ。高座も袖回りも劇場にある物を工夫する。

トルコ語字幕の「お玉牛」。

3月30日(火) アダナ散策

今日もまたコーランで5時半に目が覚めた。
モスクの尖塔にスピーカーが付いていて、そこから1日5回コーランが流れる。
いたる所にモスクがあるのでどこにいてもコーランが聞こえる。
今日は一日オフなので午前中はそれぞれのんびり。
僕は溜まってる公演日記とメールの返事を早朝から昼までして、
昼食後アダナの街をぶらつくことにする。
マイケルとグレッグは歌舞伎舞のみなさんと行動するので、
僕と福矢・風喬・マルコの4人で金持ち側に出かける。
ホテルのたもとに掛かる紀元前2世紀に作られた石造りのタシュ橋を渡って
セイハン川の反対側へ。
トルコは信号が少なく、みんなビュンビュン走る車の間隙をぬって道路を渡るが、
僕らは怖くてなかなか渡れない。
道路渡るのも命がけ。
まず民族博物館へ行こうと地図を見ながら街を歩くが、
目的の博物館が見つからない。
露天商のおっさんに聞くが、英語が出来ないようでどこをどう曲がっていいのかわからない。
すると少年が僕が連れて行ってやると案内してくれたが、
そこは民俗学博物館ではなく、考古学博物館だった。
でも暑いので中に入って少し涼むことにする。
今日は天気もよく30℃近くはあると思う。
Tシャツ1枚で十分。
博物館を出てホテルから見える巨大寺院メルケズ・ジャミィへ行こうと歩いていると、
またしても2人の少年に声を掛けられた。
エリクという少年は少し英語が出来て、ジャミィへ連れて行ってやるという。
ここはイスタンブールと違って観光客が多数訪れるようなモスクではないので、
中に入れるかどうかわからなかったので心強い。
エリクはとても親切で、靴を入れる袋を一人一人手渡してくれる。
ここは観光地のモスクではないので、女性はスカーフ着用が義務付けられている。
マルコは持参したスカーフを頭に巻いて中に入った。
メルケズ・ジャミィは例の実業家サマンチ氏が建てたトルコ最大のモスク。
6,000人収容のだだっ広い礼拝堂にはきれいなカーペットが敷き詰められ、
大きなドームや壁の装飾、ステンドグラスなどに圧倒される。
10年の歳月を掛けて3年前に完成した新しいモスクで、イスタンブールの大寺院
スルタン・アフメット・ジャミィよりも大きくて同じように尖塔も6本ある。(大きな寺院でも普通は4本)
ジャミィを出ると今度はマーケットへ連れて行ってやるという。
案内されるままマーケットへ。
マーケットは本当に町の人が利用する商店街で、
トルコの人達の生活がかいま見られる。
トルコの町は露天商の品揃えとか商店の雰囲気が新世界や日本橋の五階百貨店と似ている。
イスタンブールでは「サイト・シーイング」で、アダナでは「ライフ・シーイング」と言ったところ。
途中のジュース・スタンドで冷たい物を飲もうとなったが、エリクは何のジュースか説明してくれたり、
値段も英語に訳してくれるので重宝する。
おまけに君らも好きな物をと言っているのに、僕はいいと遠慮する。
子供がそんな遠慮したらあかん、何か飲みなさいと強く勧めると、
やっとじゃあこのレモンジュースをとすごく恐縮しながら注文した。
金製品が買いたい一緒に行って値切ってくれと言うと、
僕の知っている店があるので、そこへ行こうという。
この街は結構同商売の店が多く、布きれ屋、電化製品と店が固まっている。
金製品の店は100軒ぐらいが集まってて、その中の1軒へ、
エリクは店主に声を掛けて中に入っていく。
24金のブレスレッドをいくつか見せてもらい、値段交渉開始。
トルコはインフレでお金の桁が多く、たいがいの商品は「ミルヨン」という100万単位で話をする。
金製品となると軽く億単位の話になってしまうし、お札もゼロが多いのでわかりにくい。
驚いたのは金製品も量り売りで、値段を聞くと計りに乗せて金額を言う。
どんなに細かい細工をしてもデザインがよくても金の目方で値段が決まるよう。
エリクは僕の言うことを店主に伝え、店主の言い値を紙に書いて僕に伝える。
高い買い物なので、値段は紙に書くのが一番わかりやすい。
非常に役に立つ少年達や。
買い物の後はホテルまで僕らを送ってくれた。
小遣いのひとつもせびられるかと思ったら、そんなこともなく、
純粋に親切で案内してくれたらしい。
お礼にとホテルのロビーで彼らを待たせ、いつも海外公演に持参している
僕の写真入りのうちわと千社札の入った大入り袋など
「お世話になった人用プレゼントセット」を二人にあげた。
二人は神妙な顔でそれらを受け取ると、家はホテルの近所なのに
僕らを案内するのに邪魔だからと繁華街に置いてきた自転車を取りにもと来た道を帰っていった。
本当に日本人に親切な国だ。
あとで歌舞伎舞の人達に聞くと、街を歩いていて僕のうちわを持っている少年を見つけ
びっくりしたそう。
少年達はうちわの写真を指さして「マイ・フレンド、マイ・フレンド」と自慢してたそう。
そう言えば彼らは僕を「ブラザー」と呼んでいた。
まだ少し夕食まで時間があるのでショッピングセンターに徒歩で行ってみる。
建物は立派だがなんか寂れた雰囲気で魅力はなく、すぐに外に出た。
ショッピングセンターの反対側にはマクドナルドがあった。
グレッグは肉好きで1週間に3度はハンバーガーを食べないといられないらしく、
この旅の間禁断症状が出ていた。
福矢はグレッグへの土産にとハンバーガーを買い込み、持って帰ると
夕食前なのにグレッグは大喜びでパクついていた。
夕食後、板東鼓登治さんらが街に飲みに行くというので、後から合流。
12時前にホテルに戻るが、連日の夜更かしで睡眠不足が溜まってきた頃なので、
今日は早寝した。

メルケズ・ジャミィの横で。青くて広い空にモスクが映える。

モスクの中では女性はスカーフ着用。内装もすごい。

マーケットを案内するエリクとエムレ(右の少年2人)

3月31日(水) シルクロードの終点

今日はコーランで目覚めなかった。
ぼちぼちコーランになれてきたのかも知れない。
今日は劇場側が設定してくれた観光日。
シリア国境付近の街アンタクヤに連れて行ってくれることになっている。
アンタクヤはシルクロードの終点で、中国から運ばれた物資が
ここから地中海沿岸に船で運ばれたとガイドブックにある。
10時半ロビー集合なのでそれまで小1時間ほど貧乏側(失礼)を散策する事にした。
カメラをポケットに入れ一人ホテルの前の商店街をまっすぐ進む。
水とビールを買ってる時、人だかりができた地帯だ。
物売りや市場の人に声を掛けると気軽に写真を撮らせてくれる。
本当に友好的な国。
10時過ぎにホテルに戻りカバンを部屋から取ってくる。
小ぶりの観光バスが来て一行15名がゾロゾロ乗り込む。
アダナからアンタクヤまで約2時間半だけど、途中で遺跡も見学するらしい。
果てしなくまっすぐのびた国道を走る。
一般道だけど信号が少なく高速道路なみにすいすい進む。
窓の外にはだだっ広い田園風景が広がり、天気もいいし空は青くて気持ちいい。
アダナから30分ほど走ったところでビザンツ帝国の城壁ユラン・カレ、別名「蛇の城」に到着。
こちらは遠目から眺めるだけですぐにまた出発。
もう一カ所似たような城壁をまた遠目から眺めてまたバスは走り出す。
走り出して3時間経っても目的地には到着せず、地中海が見える公園のカフェでトイレ休憩。
トイレの入り口に若い男が座っていて、トイレを使うとチップがいる。
基本的にはチップのいらない国だけど、こうした有料のトイレもあるよう。
しょうぼいトイレだけど出てきて100万トルコ・リラ渡すとおしぼりを出してくれて、
手にコロンをふってくれる。
軽くビールを飲んでアンタクヤへ。
かなり時間がかかったようで、アンタクヤに着いたときは3時過ぎだった。
観光場所はみな5時までなので、昼食を後回しにして、先に観光することになった。
モザイク博物館をそそくさと見て洞窟教会へ。
迫害を受けたキリスト教徒が洞窟に教会を造ったそうで、いくつも抜け穴があるらしい。
教会前に石や金属で作った置物を売っているおっさんがいたが、
他の土産物屋であまり見かけない物を売っていたので、みんなバンバン買う。
グレッグなどは、お前は商売でも始めるつもりかと聞きたくなるほどたくさん買っていた。
後で聞くとそのおやじは今日はもう商売はダメだ、4時半になったら帰ろうと思っていた矢先に
土産物好きの日本人の一団がやって来てごっそり買ってくれたとウハウハだったらしい。
5時頃に遅い昼食。
滝の見えるレストランでケバブを食べる。
その土地土地のケバブがあってここのもうまい。
トルコは本当にうまい料理が多い。
食事の後30分ほど買い物タイム。
商店街はしょぼいけど、スカーフなどを売ってる店に皆吸い込まれる。
絹の道シルクロードの終点の町。絹製品は是非ものの土産。
ここでも皆バンバン買い物して、店のおやじウハウハ。
帰りはきれいな高速道路を通って2時間ちょっとで帰ってきた。
なんや高速通ったら早かったんやんか。
遅い昼食のケバブが腹に残っていたので今日は夕食はパス。
ところが部屋に戻ってきたら鍵が開かない。
我々全員のカードキーが手違いで無効になってしまったよう。
フロントに連絡して新しいカードをもらってやっと部屋に入ることが出来るようになった。
明日帰国なので風喬の部屋に集まって残ったラクやビールを飲んでしまう。
隣近所から「お静かに」を食らわないよう気をつけながら
2時半頃までバカ話で盛り上がった。

地中海をバックに。

モザイク博物館。ローマ時代のモザイクとしては世界有数の規模。

聖ペテロの洞窟教会。この前の物売りが我々一行のおかげで大もうけ。

4月1・2日(木・金) さよならトルコ

トルコ最終日。今日も5時半のコーランで目覚めず7時前に目が覚めた。
いつものように風呂に入り、朝食を挟んで公演日記やメールの返事を書く。
11:30ロビー集合なので、荷造りをして10時頃最後の散策に一人街に出る。
デジカメであちこち小1時間ほど撮りながらホテルに戻りロビーへ。
トラックとワゴン車に我々の鳴り物とスーツケース、
歌舞伎舞一行の衣装・かつら・装置にスーツケースなどを積み込み、
マイクロバスにゾロゾロ乗り込みアダナ空港へ。
空港前で落語・歌舞伎両グループ集まって集合写真を撮る。
ここからイスタンブールまで1時間半かけて移動し、イスタンブールから成田へ。
イスタンブールでは2時間半ほどの待ち時間があって、
残ったトルコ・リラを使おうとしたが、300万TL(400円ちょっと)しかなく、
何も買える物がなかった。
12時間のフライトでお昼前成田着。
ここで歌舞伎の皆さんとはお別れ。
我々はここで伊丹便の出発まで6時間過ごさないといけない。
昼食後それぞれ時間を潰して7時過ぎ伊丹に時間通り帰ってきた。
今回の旅はイスタンブールもアダナも新しいホテルだったので電話回線が実に
スムーズに繋がり、メールのやり取りやホームページの更新に苦労する事がなかった。
原始的な音響カプラーも持って行ったが出番無し。
特にアダナ・ヒルトンは部屋の電話機にPCを繋ぎホテルのサーバーに接続すれば速度も速い。
今までホテルの部屋の電話が壁から直付けになってて、
ビジネスセンターに行かないとPCがつなげられなかったり、
ホテルの交換機とモデムの相性が悪かったりと、
すんなり繋がるところの方が少なかったので助かった。
国民の99%がイスラム教の国だと言うことで、「お玉牛」の夜這いや胸をまさぐる場面など
拒絶反応を起こされるかと心配したが取り越し苦労で、
みんな酒もガンガン飲むし、街中で平気で性器まで露出したポルノ雑誌が売られ、
ホテルのペイTVではモザイク無しのハード・コアのポルノ・ビデオが流れてて日本以上。
親日家の国とは聞いていたけど、どこに行っても日本人には親切でビックリする。
特にアダナはイスタンブールのような観光地ではないので(地中海沿岸最大の工業都市)
日本人は珍しかったかも知れないが、こんなに日本人に親切な国は初めて。
去年の東京独演会でゲスト出演してくださったタブラ奏者の逆瀬川健治さんが、
「エルトゥールル号」とイラン・イラク戦争時の日本とトルコの話をメールで伝えてくれた。
明治3年に和歌山沖で遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号の乗組員を漁民達が助け、
傷の手当てをし、残り少ない食料を分け与え死者を手厚く葬った。
その行為が明治天皇の耳に入り、医者や看護婦が派遣され、食料や衣類も送られ、
日本全国から遺族に寄付が集まった。
トルコではこのことが教科書に載って子供達に語り継がれ、日本に恩義を感じているらしい。
そして100年後のイラン・イラク戦争。
イラクにいる外国人に対し48時間以内に退去を命ずるフセイン。
48時間後には外国機は撃ち落とされる。
空港に殺到する外国人達。
各国は自国民救出のため特別機を出すが日本は対応が遅れ、外交官・商社の家族など
2百数十名が取り残されたが、
トルコ政府がトルコ航空機2機をイラクに送り日本人を成田に送り届けた。
邦人を乗せた飛行機がバクダッドを飛び立ったのは、タイムリミットの1時間30分前だったそうだ。
後日駐日トルコ大使がこのことを、100年前のエルトゥールル号の事は今もトルコ国民は忘れていません、
これは助けてくれた日本人への恩返しですと語ったそう。
去年行ったフィンランドも親日家の国だったが日露戦争で憎きロシアをやっつけてくれた
日本に対してやはり恩義を感じてるようで「東郷ビール」なんてのも売られてた。
一昨年のドイツではベルリンの日本大使館やケルンの日本文化センターは
イタリアの大使館・文化センターと並んで綺麗な公園脇の一等地に建っていた。
それは同盟国だったから。
日本人はいつまでもそんなことを恩義に感じたり仲間意識を外国に持ったりするだろうか。
外国を旅して現地の人の話を聞くといつも「ローマ軍が来てこの石畳を作った」とか、
「バイキングから財宝を守るために財宝を池に沈めた」とか、
自分たちの住む町の歴史的な話をみんな語る。
僕らは自分たちの街の歴史的な話を語れるだろか。
外国ではいいことも悪いことも語り継がれる。
日本人はあまりにも無頓着すぎるのではないか。
国際紛争は昔からの遺恨が根になっていることが多い。
日本人はそんな昔のことをいつまでと思うが、そのことが外国との意識のズレになっていまいか。
独自の歴史と文化を持ちながら日本人は日本のことをわかっていない。
日本に対して親切なトルコを旅して、日本人の歴史に対する鈍さを感じた、そんな旅だった。

4日間滞在したアダナ・ヒルトンSA。

アダナ空港前での集合写真。

トルコ航空でイスタンブールへ。ターミナルから飛行機までは徒歩。

ダイジェスト写真集 イスタンブール編

トルコ料理ドルマス。茄子やピーマンなどの野菜に米が詰まっている。

ホテルの部屋の引き出しには聖書ではなくコーランが常備されている。

早朝、テレビでもコーランが流れる。

イスタンブールのホテル・アルカディアから見た街。
右手のイスラム寺院スルタン・アフメット・ジャミィのうしろはボスポラス海峡。

スルタン・アフメット・ジャミィの天井。実に見事な装飾が施されている。

スルタン・アフメット・ジャミィ。何千人もが一度にお祈りできる。

チャイ売り。背負った大きなやかんからチャイを注ぐ。

オスマン朝の支配者の居城トプカプ宮殿。

ハレムのトイレ。蛇口が金!。

ハレムの内部も天井やステンドグラス、トルコタイルなど見応え十分。

アヤソフィア博物館をバックに。

ヴァレンス水道橋近くで休憩するグレッグ、マルコ、マイケル(左から)

ダイジェスト写真集 アダナ編

アダナ・ヒルトンSAから見た金持ち側。川岸に綺麗な公園が広がり整備されている。

ホテル正面の貧乏側(失礼)。朽ち果てた家などが多数見られる。
綺麗なホテルを道路一つ隔てると別世界が広がる。

ホテルの部屋。ベッドの上にはお祈り用の絨毯がある。

アダナの街並み。道路を渡るにはコツがいる。

ホテルから見えるメルケズ・ジャミィの内部。こちらの装飾も見事。

6,000人収容のメルケズ・ジャミィ。カーペットが敷き詰められている。

メルケズ・ジャミィのステンドグラスとタイル。実に細かな細工。

青空とメルケズ・ジャミィ。

ホテル前の商店街。トルコの人々の暮らしが垣間見られる。

いたる所でこんなパン屋が店を出している。

アダナの市場。新鮮な野菜や果物が並んでいる。

アダナ近郊の城壁跡。

アダナからアンタクヤに向かう車中から。広大な緑と青空が美しい。

アンタクヤの子供達とマルコ。みんな気軽に写真を撮らせてくれる。

年配の人は股下ダブダブのズボン。

街のいたる所で肉や鶏の表面を焼いてナイフでそぎ落とすケバブの店がある。

道ばたでタイプライターを置いて商売してる人がたくさんいる。トルコの代書屋か。

トルコの家は1階よりも2階の方が広い。

青空にたなびくトルコ国旗。いたる所で国旗が掲揚されている。

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