パリ・リヨン・コルマール公演

2006年5月11日~19日
5月12日(金)20:30 コルマール公演
出演 桂小春團治「お玉牛」「皿屋敷」(フランス語字幕)
場所 アルザス欧州日本学研究所 キーネル城
15日(月)①17:30 ②20:00 パリ公演
出演 桂小春團治「お玉牛」「皿屋敷」(フランス語字幕)
場所 在仏日本大使館広報文化部ホール
17日(水)18:00 リヨン公演
出演 桂小春團治「お玉牛」「皿屋敷」(フランス語字幕)
場所 リヨン第3大学アンドレ・マルロー講堂
協力 笹川日仏財団、在仏日本大使館広報文化部、在ストラスブール領事館、在リヨン出張駐在官事務所、
アルザス欧州日本学研究所、NEC
5月11日(木) 在ストラスブール総領事夕食会
今日からフランス公演。
今回はコルマール・パリ・リヨンと3カ所を回る。
ツアーメンバーはいつもの三味線のマルコ(花登益子)、太鼓・笛の桂福矢に笑福亭風喬。
プロデューサーのマイケル・ジャックソンというおなじみのメンバー。
今回で8回目の海外公演となる。
フランス語の字幕は5年前の英仏公演で「お玉牛」を、
4年前のベルギー公演で「皿屋敷」のフランス語バージョンを作ったので、
今回は手直しだけですむ。
一から翻訳するより比較的に作業は楽だが、
それでも手直しはパリやコルマールとメールをやりとりして直前までかかってしまった。
9時に関空に集合して11:15発のKLMオランダ航空で、
まずアムステルダムまで行くが、最近航空会社の重量規定が厳しく、5人で100kgまでしか積めない。
ところが僕の荷物は大太鼓に締太鼓、座布団に毛せん。
字幕用のノートPCにビデオプロジェクターと20mのコード。
衣装2組に着替えなども含めると総重量は65kgを超える。
みんなに極力荷物を減らすように指示していた。
みんな荷物を減らしたり機内持ち込みにしたりで何とか重量はクリアー。
アムステルダムまで約11時間のフライト。
そこからエールフランスに乗り換えてストラスブールへ。
ストラスブール空港には午後8時過ぎに到着。
空港には今回お世話になるアルザス欧州日本学研究所の中村朝美さんが待っていてくれた。
中村さんの運転するワゴン車に荷物を積み込み、総領事公邸へ。
今日は早速ストラスブールの総領事からご招待をいただいていた。
総領事公邸は各国公邸が集まる閑静な一角に建つ立派な建物。
長旅でラフなかっこをしている我々一行は公邸前でそそくさとジャケットを羽織って門をくぐった。
庄司総領事ご夫妻が玄関で迎えてくださり、メンバーを紹介する。
まずは応接室でシャンパンで乾杯。
しばらく歓談した後、別室で食事となる。
入り口で座席表を見せられ、自分の席へ。
僕は中央の総領事の向かいで隣は総領事夫人。
日本料理のおもてなし。
どれもすばらしいが、大きなフォアグラがフランスに来たと実感させる。
2時間ほど食事しながら歓談し、また応接室でコーヒーやブランデーを飲みながら談笑。
飾ってある三味線をマルコが調子を合わせ、
簡単な曲を弾いたりして和やかなムードで、
気さくな総領事夫妻と話してるうちに時間は瞬く間に過ぎ、12時前になっていた。
そそくさとおいとましてホテルへ。
それぞれの部屋割りして解散。
長い1日は終わった。

金色の菊の紋章がまぶしい在ストラスブール総領事公邸

公邸での夕食会

応接室で総領事の前で三味線を弾くマルコ
5月12日(金) コルマール公演
1時半頃に寝たのに3時過ぎに目が覚めた。
いつものように時差ぼけで早朝に目が覚める。
ベッドの中で眠ろうとするが、寝付けず起き出してPCに向かう。
回線をみると、古い小さなホテルなのでLANには対応していなくて、
電話のジャックだけがデスクの横にある。
5年前の英仏公演の時に買った旧式のフランス用電話ジャックを差し込んで、
メールを書いて送るが、うまく届くところと届かないところがある。
原因不明。
ホームページの公演日記を書き保存したが、ソフトの不具合でうまく保存できず、
2時間の労力は無駄となった。
あきらめてシャワーを浴び朝食をとりに2階へ。
朝食後部屋に戻って荷物を詰め、ロビーへ。
10時前に中村さんが迎えに来てコルマールへと向かう。
会場のキーネル城はお城と名が付いてるが昔の大豪邸といった感じ。
そこの別館にホールがある。
今回の公演でお世話になっている笹川日仏財団の伊藤朋子さんも
東京から駆けつけて来てくださっていた。
行くとすでにいすが並べられ、舞台も高座も照明もセッティングされていた。
事前にメールと電話で中村さんとやりとりしていたので舞台設営は完璧だった。
高座に毛せんを掛け、プロジェクターをセットしPCをつなぎ照明を調節する。
客席の照明やカーテンコールについて主催者側から質問が来る。
しかしカーテンコールは日本の古典芸能ではしないのでこれはなし。
客席照明もフランスの演劇公演にならって暗くした方がいいと言われたが、
噺家は客の顔が見えないとできないと、折衷案で薄暗くする程度になった。
11時頃から始めた設営は2時間ほどで終わった。
サンドイッチの昼食のあと、コルマールを少し観光。
コルマールはお菓子の家のような可愛らしい家が集まった、おとぎの国のような町だった。
町を歩いているとギャラリーのショーウインドウに僕の公演のチラシを発見。
よく見ると方々に貼ってある。
中村さんに聞くと予約でほぼ満席らしい。
観光の後また会場に戻って段取りを確認し字幕のタイミングなどもあるので、
一度通してリハをする。
落語の公演の場合、音響や照明のチェックはするが、
リハーサルなどと言うことはいっさいしないが、字幕のタイミングやしゃべる速度を確認するため
一度通してやってみた。
2時間ほどかけてリハと開演時の照明のタイミングを打ち合わせ、楽屋でスタンバイ。
開演時間は8:30。8時前にはお客さんがぞろぞろやってくる。
開演10分前には並べられた150席が満席になり、追加の補助席を出した。
10分ほど押していよいよ開演。
コルマール近辺には日本企業がたくさんあるらしく、
日本人もたくさんいると聞いていたので、客席は2割ぐらい日本人が埋めると思っていたが、
日本人率は非常に低く95%がフランス人。
アルザス地方の人はパリとは違ってシャイな人が多いので、
反応が心配と主催者は言っていたが、子供も行儀がいいしケラケラよく笑ってくれた。
満席の人と照明の熱で汗だくになりながら約2時間の公演は無事終了。
片づけをして車で打ち上げ会場へ移動。
アルザス料理とワインで初日を祝った。
今日の宿は主催者のアルザス欧州日本学研究所が持つ施設で、旧成城学園の女子寮。
成城学園は当地で全寮制の日本学校を開いていたそうだが、昨年廃校になったらしい。
寮の部屋へそれぞれ荷物を運ぶ。
福矢や風喬の部屋には寮らしく二段ベッドが置かれていたが、
僕の部屋は広くて一人部屋。衣装を持ってきた衣紋掛けに掛け、ベッドに潜り込んだ。
明日はパリへ移動する。

お菓子の家のような町並みのコルマール。
左から笹川日仏財団の伊藤さん、風喬、マイケル、福矢、僕、マルコ。

アルザス欧州日本学研究所キーネル城。会場はここの別館。

客席は95%がフランス人。
5月13日(土) パリ移動
今日も3時間ほどしか眠れなかった。
朝早くから起き出して公演日記を書き直し、いろいろソフトをいじって、
やっと送信できる状態になった。
9時に朝食をとってグラウンドに出てみる。
サッカーゴールが置かれたままのグラウンドは草が生い茂って、
コウノトリがミミズをついばんでた。
天気がよく山までよく見える。
このキーンツハイムの宿舎の周りはブドウ畑が多く、
遠くまで広がるブドウ畑が見渡せて気持ちがいい。
11時に宿舎を出てストラスブールへ。
今日の18:00の便でパリに移動するが、それまで少しストラスブールを散策することにする。
ストラスブール大学構内に車を停めておしゃれな形のトラムで市街地へ。
ここもコルマール同様可愛い家並みが並ぶ素敵な町。
昼を回ったのでまずは腹ごしらえにとイタリア料理店に入ってそれぞれメニューを注文したが、
料理が出てくるのが遅く店を出たのは2時過ぎだった。
4時半には空港へ向かわないといけないのであまり時間がない。
おまけに激しい雨が降り出した。
しばらく店の前のカフェテラスのテントで雨宿りして、小降りになったのを見計らって、
ストラスブール大聖堂へ。
僕が「高い尖塔やなあ」と聖堂を見上げながら言うと、
福矢が「え、風呂屋なんですか」と聞いてきた。
大聖堂に「ゆ」と書いたのれんが掛かってると思ってるらしい。
こいつは時々とんでもないことを言う。
6年前の英国公演の時、ロンドンで「大英博物館へ行こう」というと、
「あのスーパーの」と聞く。
中内功がイギリスで博物館やってると思ったらしい。
大聖堂を見学して、土産物屋で少し買い物して。またトラムに乗って大学へ。
そこから車で空港へ。
アルザス欧州日本学研究所の中村さんとはここで別れて、
笹川日仏財団の伊藤さんと共にパリへ。
時間通りエールフランス機はパリ・オルリー空港に到着。約1時間のフライト。
空港には大使館の迎えの方が来てくれていて、荷物を積み込みホテルへ。
パリの宿はHotel Stella。凱旋門から歩いて1分のこぢんまりしたホテル。
それぞれ部屋に荷物を置き、食事に出かける。
マイケルが凱旋門の中に夕陽が沈むところが見えるカフェがあるというので、
そこを目指す。
フランスは今の時期太陽は9時を過ぎないと沈まない。
シャンゼリゼ大通りの横断歩道を渡るとき、見事に凱旋門の中に沈む夕陽が見えた。
道路の真ん中でみんなバシバシ写真を撮る。
シャンゼリゼのカフェで食事してホテルに戻って、福矢の部屋でアムステルダム空港の
免税店で買ったサンブッカを軽く飲む。
トロリと甘みのある酒が消化を助てくれる。
12時過ぎに部屋に戻ってベッドに潜り込む。
明日は1日OFFなのでパリ観光。

僕らが泊まっていた宿舎。ぶどう畑に囲まれた元女子寮。

ストラスブールの町並みもすばらしい。

凱旋門の中に沈む夕陽。
5月15日(月) パリ公演
やっと時差ぼけも治ってきたようで、5時間ほど眠れた。
5時半頃に起き出して、メールを書いたり公演日記を書く。
それから地階で朝食をとってまた部屋に戻りシャワーの後身支度。
10時に大使館から迎えの車が来て荷物を積み込み、
今日の公演会場の日本大使館広報文化部のホールへ。
大使館の広報文化部は凱旋門に面した一等地に建っていて、
会場はこぢんまりしているがベルサイユ宮殿かと思うような見事な内装が施されている。
ナポレオン3世様式で建てられ、文化財に指定されているらしい。
設営の前に山田公使の部屋で談笑。
山田公使は落語が好きで、東京にいたときには寄席にもよく行ったそうで、
今日の公演をすごく楽しみにしてたそう。
30分ほど話をして設営にかかる。
高座やスクリーンなどの舞台設営はおおよそ済んでいたが、
屏風やいすを動かすのも、壁や床を傷つけないよう気を遣う。
大きなシャンデリアが下がっているため高座の位置が限られ、その分客席が狭くなってしまった。
このシャンデリアは大きさこそ違うが同じ物がルーブル美術館にもあるそう。
80人ほどしか入れないので、今日は17:30と20:00の2回公演。
2時間ほどで設営完了、近所のカフェで昼食の後少し自由時間をもうける。
それぞれホテルに戻って休んだり買い物したりして過ごす。
3時にまたホールに戻り簡単に段取りをチェックして本番。
おおよそ8割がフランス人。
パリもすごく熱心に聞いてくれるし、ツボでちゃんと笑いが返ってくる。
少しネタをとばしてしまって字幕があわてるところもあったけど、
後で聞くとお客さんはたいしたことはなかったと皆言ってくるのでそれほど影響はなかったよう。
2席目の「皿屋敷」が終わって袖に引っ込むが拍手が鳴りやまない。
演劇と同じようにカーテンコールがあると思っているよう。
どうしようかと迷っているうちに字幕が次に移り、拍手が収まったので結局出ずじまい。
ライトが近いのでひじょうに暑く、2席とも汗びっしょり。
2回目まで30分しか時間がないがいったん衣装を脱いで汗を引かす。
2回目も反応がよく「皿屋敷」の怪談部分の後もちゃんと笑いが返ってくる。
さすがに4席やると疲れた。
ふつうに4席やるのではなく、字幕とのタイミングも考えながらなので
通常の高座より神経を使い、疲労度も増す。
しかし終演後公使の部屋で招待客らとレセプションがあるので休憩してられない。
黒紋付き袴のままレセプション会場に向かい、シャンパンを飲みながらお客さんらと談笑。
フランスの方からの熱心な質問を日本人のお客さんが通訳してくれる。
そうかと思うとびっくりするぐらい流ちょうな日本語で話しかけてくるフランス人もいる。
昨日一緒に観光した徂徠君も来てくれて、レセプションに参加。
勉強したてのフランス語でフランス人と話すが、この人はしゃべれると
ブワーッとフランス語でしゃべられ、たじたじとなっていた。
レセプションの後、別室でスタッフの皆さんも交えお寿司で打ち上げ。
山田公使から落語のみならず構成からフランス語の訳まで含めてすばらしかったと、
大絶賛を受ける。
6年間、延べ12カ国で公演してきた経験が確実に財産となってるよう。
話が弾んで気がつくと12時を回っていた。
宿まで荷物を運んでもらい、また福矢の部屋でサンブッカで仕上げして1時頃ベッドに潜り込んだ。
明日はリヨンへ移動する。

パリ公演会場。凱旋門に面した立派な作りの日本大使館広報文化部。

パリの文化財での落語公演。

終演後のレセプション。質問の嵐と写真責め。
5月16日(火) リヨン移動
今日はリヨンに移動する。
フランスの新幹線TGVでの列車の旅。
10:00の列車だが渋滞が怖いので8:30に大使館の車に全荷物を積み込んで駅へ。
渋滞は心配するほどのこともなく、9時には駅に着いた。
リヨン行きのホームを確認しようとしたが、列車番号と時間は表示されてるが、
ホームは表示されてない。
しばらく駅のベンチで暇をつぶすが、30分前になってもまだ表示されてない。
結局ホームの番号が表示されたのは10分前。
僕らと同じ列車に乗る人々がゾロゾロ大移動。
TGVは全部2階建てで僕らの列車は17号車の2階。
荷物置き場を早い目に確保して太鼓類やスーツケースを置く。
向かい合わせの4人がけに僕と福矢、風喬、マルコが座り、マイケルは横の4人がけ。
列車が走り出しパリの街を出るとすぐに広大な田園風景が広がる。
6年前の英国公演の時にロンドンからエジンバラまで列車で旅したときのことを思い出す。
その時もそうだったが、外国の列車に乗って外の景色を眺めている間、
ずっと頭の中でテレビ番組「世界の車窓から」の音楽が流れている。
窓際に収納されたテーブルを出し、ノートPCを出して遅れている公演日記を書く。
リヨンまでの2時間はあっという間だった。
リヨンPerrache駅にはリヨン駐在官事務所の穴見さんが迎えに来てくれていた。
車に荷物を積み込むが全員乗り切らない。
2回に分けてホテルへ。
荷物を置いて外に食事に出る。町で中華料理屋を見つけ今日は中華のランチ。
何となく懐かしい味にみんなほっこりする。
今日は公演がないので午後からはリヨン観光。
リヨン第3大学で日本語を教えている山口先生がリヨンを案内してくれることになっている。
3時にホテルのロビーに山口先生がやってきて、領事館の車で観光に出かける。
サンテグジュペリ像のあるベルクール広場、世界遺産のリヨンの町並みが一望できる
フルヴィエールの丘、石畳の美しい旧市街などを回り、明日の公演会場リヨン第3大学を下見。
ある程度の段取りをたてる。
夜は地神領事主催の夕食会。
ホテルから歩いて10分ほどのレストラン「Bistrot de Lyon」へ。
マルコは知人がリヨンにいて会う約束をしてたので、
僕とマイケル、福矢、風喬、山口先生、そして地神領事の6人での食事。
リヨンはフランスで一番料理がうまいところらしい。
フランスで1番ということは世界で1番とのこと。
フォアグラのサラダや、リヨン名物のソーセージなどをいただく。
どこも食事の量が多く、フランスに来てついつい食べ過ぎてしまう。
みんな体重が増えたよう。
10時頃に領事、山口先生と別れ、ホテルへ戻る。
そしていつものように福矢の部屋でサンブッカを飲んで1日を終えた。

リヨンPerrache駅に着いたTGV。

世界遺産リヨンの旧市街、雨に濡れた石畳が美しい。

Bistrot de Lyonでの夕食会。風喬の後ろが地神領事。一番向こうが山口先生。
5月17日(水) リヨン公演
今日の公演の舞台設営は12時からなので午前中は自由時間。
睡眠不足や疲労が蓄積されてる頃なのでゆっくりできるのはありがたい。
それでも7時前に目が覚めて、朝からメールを書いたり公演日記を書いたり、
シャワーを浴びたりですぐ時間が経つ。
胃もくたびれているようで、今日は朝食パス。
11時45分に領事館の車が迎えに来て荷物を積み込みリヨン第3大学へ。
ここのアンドレ・マルロー講堂が今日の公演会場。
250席ぐらいの講堂で、
劇場のような座り心地のいい座席が並んでいる。
今回の公演で一番劇場らしいが、コルマールもパリも行くと専門のスタッフが
すでに高座やスクリーンの設営をしてくれていたので、我々の作業はかなり楽だったが、
ここは大学なのでそういうスタッフがいず、自分たちで一から設営しないといけない。
机の上にプラスティックのコンテナを並べ、駐在官事務所から持ってきた天板で高座を作り、
障子風の屏風を並べて舞台袖を作る。
スクリーンやプロジェクターを設置し字幕操作の場所を決め、
ケーブルを引き回し照明を調節しと、いつもの作業を黙々とこなす。
ある程度設営できたところで、遅い目の昼食。
近所のマクドナルドでハンバーガーを食べるが、少し日本と味が違うよう。
会場に戻って残りの作業を少しして、開演の6時まで休憩時間となる。
ここは日本語学科もあるが折り悪く試験中で学生はあまり来ないかもしれない。
もう一つタイミングが悪かったのはサッカーの欧州チャンピオンズリーグの決勝が今夜パリで行われること。
欧州はサッカーが盛んなので客足に影響が出ると思われる。
6時過ぎ、地神領事と山口先生の挨拶の後開演。
客席は70人ほどだけど、反応はいい。
今回のフランス公演用に足した、頭のルーブル美術館ネタから大きな笑いが起こり、
客席の3割は日本人だけどフランス人にもウケはいい。
終演後控え室に使っている隣の教室で着替えていると、グルノーブルのサッカーチーム、
グルノーブル・フット38のスタッフ、岸川さんが訪ねてきた。
実は、リヨンから100kmほど離れたグルノーブル・フット38でプレーする大黒選手を招待しようと、
チームのゼネラル・マネージャーにメールを送り、改めて大使館から招待状を送ってもらっていた。
岸川さんは落語が好きで落語を仏訳して芝居仕立てにしたものを当地で演じてたりするそう。
いろんな国で公演してると思わぬところで落語好きと遭遇する。
4年前のノルウェー、トロンハイム公演ではホテルで朝食中に、
早稲田大学で落語を勉強してるアンネ・ランデ・ペータスさんというノルウェー人に出会ったし。
大黒選手は15日にW杯日本代表に選ばれ、すでに帰国したそうで、
岸川さんは替わりに大黒選手のサイン入りユニフォームと帽子などを携えて車で1時間半かけて来てくださった。
てきぱき撤収してホテルに荷物を置きに帰り、駐在官事務所の穴見さんに取ってもらった
レストランRestaurant Le Nodeで我々だけのフランス打ち上げ。
ワインを飲みながらエスカルゴやラムを食べる。
11時過ぎにレストランからホテルまでぶらぶら歩いて帰った。
今日でフランスともお別れ。
今日は福矢の部屋でサンブッカを飲まず、そのまま眠った。

会場のリヨン第3大学。
元たばこ工場なので大学名の上にたばこの文字が残っている。

Restaurant Le Nodeでのフランス打ち上げ。世界一のリヨン料理でお腹一杯。

グルノーブル・フット38の岸川さんから頂いた大黒選手のサイン入りユニフォームと帽子・マフラータオル。
5月18・19日(木・金) さよならフランス
今日は8:45に領事官の車が迎えに来るので、6時に起き出して荷造り開始。
衣類・洗面用具だけでなくビデオ撮影機材、PC機材などがスーツケースの外に点在しているので、
荷造りだけで小1時間ほど掛かってしまう。
あらかたできたところでシャワーを浴び、朝食をとってロビーへ。
領事館のランドクルーザー(だいたい日本の公館の車は日本車)1台に
荷物を載せると全員乗れないので、マイケルとマルコは空港までリムジンバスで移動。
まず車でマイケル、マルコがバス乗り場まで送ってもらい、車は再びホテルに戻って僕と福矢、
風喬が荷物と共に空港に向かう。
リヨンの空港は当地出身のサンテグジュペリの名が冠されたサンテグジュペリ空港。
ここからまたアムステルダムへ向かい、そこから関空へと乗り継ぐが、KLMのカウンターに行くと、
コンピューターがダウンしていて係員がプリントアウトした紙を見ながら手続きしている。
おまけに搭乗券は手書きで、席も自由席。
こんな国際線初めて。
アムステルダムで関空行きに乗り換えると、乗客はほとんどが日本人になる。
飛行機に乗る度にセキュリティー・チェックで荷物を調べられるが、
どこに行っても一番丹念に調べられるのが三味線だった。
三味線は3分割されコンパクトになるため機内持ち込みをするが、X線の機械を通す度トランクを開けさせられ、
三味線の竿を袋から出して何度も機械を通し、細かなパーツまで執拗に調べられる。
三味線は竿の継ぎ目に金属が埋め込まれてるし、バチにはおもりが埋め込まれている。
これがいつも何か隠しているように思われる。
5年前の英仏公演ではロンドンからパリに移動する前日に9.11のテロが起こり、
機内には三味線が持ち込めなくて壊れ物扱いで預けたが、少し破損したし、
4年前の欧州公演の時もノルウェーの空港で厳しく調べられているときに係官が三味線のこまを破損した。
アメリカでの公演が多い林家和女もやはり三味線のチェックは厳しいと言っていたので、
どこも状況は同じよう。
バチや糸巻き部分は象牙でワシントン条約でとやかく言われそうやし。
セキュリティー・チェックは三味線弾きにとって鬼門のよう。
航空会社のコンピューターがダウンしていたので、ちゃんと荷物の乗り継ぎができたか心配だったけど、
19日午前9時15分に関空に着くと荷物は全部届いていた。
しかし、福矢のスーツケースが大きく割れていた。
早速カウンターでクレームをつける。
日本国内の作業員は丁寧だけど、海外では荷物はかなり手荒く扱われることを覚悟しないといけない。
航空会社のサイトを見ると空港作業員の労働条件改善のため荷物は32kg以内とまで書いてある。
僕も何度もスーツケースを壊された。
太鼓や機材の入ったスーツケースは厳重に梱包しているけど、
しつこく壊れ物扱いのステッカーがいろんな航空会社名でベタベタと貼られている。
最近は航空会社もまったく責任を取らないのでステッカーすら貼ってくれない。
今までのステッカーが気休め程度の主張となっているだけ。
でもそのお守りの御利益か、最近はあまりスーツケースの破損はない。
今回の公演も各地で大きな笑いが起こり、日本とまったく変わらずフランス人にも落語は楽しんでもらえた。
各地の主催者が一様に言うのは「小春團治さんの表現力と訳がすばらしい」ということ。
フランスも2度目でフランス語圏での公演は3度目。
いろんな人が翻訳に携わり、その都度手直しをされ、洗練されてきたのだと思う。
延べ12カ国、英・仏・独・露・ブルガリア・フィンランド・ベルギー・ノルウェー・韓国・トルコ。
いろんな言語の国で公演してきた経験が確実に身に付いているよう。
表現力も三味線や太鼓が物語の中に入る「はめもの」が細かな仕草の間を持たせてくれるので
外国人にもイメージが広がる。
「はめもの」が入るという上方落語特有のスタイルが、
外国でも効果的に作用していることは明らかだ。
各地のスタッフの皆さんもメールと電話のやりとりだけで、こちらの細かな注文に応えて高座やスクリーン、
照明の舞台設営をしてくださった。
今回字幕機材もNECからノートPCとプロジェクターを提供してもらった。
特にプロジェクターは大きな会場でも対応できて、
なおかつ海外にも持って行けるほどコンパクトな物。
明るい舞台でも文字が鮮明に見え、どこに置いても台形補正でひずみがない。
今までの苦労が一気に解消された夢のような代物だった。
たくさんの人たちに支えられての成功だと思う。
皆さんどうもありがとうございました。
ダイジェスト写真集 コルマール・ストラスブール編

在ストラスブール総領事公邸で。
後列右から上薗領事、庄司総領事、風喬、福矢。前列右から庄司総領事夫人、僕、マルコ、マイケル

夕食会のテーブルに置かれたネームプレート。日本政府の紋、五七の桐がまぶしい。

フォークにまで五七の桐が。

お菓子の家のような建物が並ぶコルマールの町並み。

町のどこをとってもいい雰囲気。

路地も趣がある。

雰囲気のいいカフェがいたるところにある。

我々に付きっきりで世話してくださったアルザス欧州日本学研究所の中村朝美・オロールさんとカフェで。
ドイツ国境近くなのでビールがうまい。

コルマールで一番有名な建物、顔の家。

こんな顔が一杯建物に付いている。

いろんな建物があって面白い。

面白い看板もいっぱい。看板だけでも見て回ると楽しい。

古いベスパが町にとけ込んでいる。

町のあちこちに僕の公演のポスターが。

コルマール初の落語公演。老若男女、よく笑ってくれた。
ダイジェスト写真集 パリ編

エッフェル塔が真正面に見えるシャイヨー宮で。

エッフェル塔からパリの街が一望できる。

日曜だったので蚤の市が開催されていた。ひやかしだけでも楽しい。

コンコルド広場

ルーブル美術館の入り口で。

ルノワールの絵の横で。

ノートルダム大聖堂

中ではミサが行われていた。

ナイトクルーズ。川岸の建物はきれいにライトアップされている。

夜空にビームを放つエッフェル塔。ライトアップもエッフェル塔が圧巻。

会場の在仏日本大使館広報文化部ホール。
ナポレオン3世様式で建てられ、文化財に指定されている。

ルーブル美術館にも同じシャンデリアがあるらしい。

バルコニーで一服する福矢。
凱旋門がすぐそこに見える。

フランス語字幕の「皿屋敷」。

終演後山田公使とシャンパンで乾杯。

お寿司とワインで大使館の皆さんと打ち上げ。
ダイジェスト写真集 リヨン編

パリからリヨンに向かうTGV車内で。

こんな田園風景が続く。
その間ずっと頭の中で「世界の車窓から」の音楽が・・・

リヨンで生まれたサンテグジュペリの銅像。
ベルクール広場で。

サンテグジュペリの生家。ここの4階で生まれたそう。

こちらの黄色い建物は遠藤周作が住んでいたアパート。

世界遺産リヨンの街を一望できるフルヴィエールの丘で。

丘の上にそびえるノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂。

ここの内装もすごい。

石畳の街並みが美しい。

どこを撮っても絵になる。

リヨン名物の抜け道を解説するリヨン第3大学の山口先生。
建物の細い通路を抜けると中庭になり、それがまた別の建物に通じている。

中庭にある階段塔。最上階は火の見やぐらになっている。

こんな井戸がひょいとあったりする。

リヨンは絹織物で有名。
製造直売のこの店でみんな大量にお買い物。

レストラン街。
左の店が地神領事にごちそうになったBistrot de Lyon

大学構内に張られた落語公演の案内板。

リヨン第3大学アンドレ・マルロー講堂での「お玉牛」。

リヨンの夜はライトアップされて美しい。
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