文化庁文化交流使としてアメリカでの活動報告

ニューヨーク・ピッツバーグ・ボストン・シアトル 2007年2月6日~3月10日
活動日程
2月8日(木)コロンビア大学(NY)ドナルド・キーン日本文化センター
2月10日(土)「高校生日本語スピーチコンクール」(ピッツバーグ)
2月12日(火)国連学校(NY)
2月20日(火)ハーバード大学(ボストン)
2月21日(水)ホフストラ大学(NY)
2月27日(火)エヴァレット・コミュニティー・カレッジ(シアトル)
2月28日(水)ワシントン大学(シアトル)
2月6日(火) NY到着
今日から文化庁文化交流使として1ヶ月におよぶNY生活が始まる。
伊丹から成田経由でNYのJFK空港へ。
空港にはchiyoda sushi N.Y.のスタッフ、村山さんが迎えに来てくれた。
今回はいつもの海外公演と違って、単独渡航で飛行機から宿泊先・公演先まで、
すべて自分で手配しないといけなかった。
そこでいろんな人に協力を求め、chiyoda sushi N.Yの伊藤社長が
マンハッタンのアパート探しなどいろいろ助けてくださった。
スーツケース2個とビデオ・プロジェクターをタクシーに積み込み、
村山さんとマンハッタンのミッドタウン・イーストにあるアパートに。
家具付きの部屋を1ヶ月借りるが、行くとそこの住人がまだいて、
荷造りの真っ最中。
家主は別にいるのだと思ったら、その住人が家主で、自分が出てしばらく部屋を僕に貸すよう。
Linda Fadroskiという家主はアメリカン・エアーの客室乗務員ということ。
自分の荷物をベッドルームのクローゼットに全部押し込んで、
そっくりそのまま部屋を僕に貸すという寸法。
部屋にある物はタオルやシーツ、食器やシャンプー、冷蔵庫の中の食べ物まで、
自由に使っていいと言う。
いろいろ説明して慌ただしく出かけていった。
村山さんも帰った後、体調が悪かったので少し眠った。
1時間半ほど眠って荷をほどき、グランド・セントラル駅近くの42丁目のchiyoda sushi へ。
アパートの最寄りの地下鉄86st駅で1ヶ月有効のメトロカードを買い、
グランド・セントラルへ。
グランド・セントラルのコンコースの天井に巨大な星条旗が掲げられ、
アメリカに来たんだと実感する。
伊藤さんとしばらく食事しながらしゃべった後、次の店へ。
日本人の女の子が働くクラブで飲んだ後タクシーでアパートに送ってもらった。
明日から早速活動が始まる。

アパートのリビング。ベッドルームは別にある。
家賃は大阪の3~4倍ぐらいか。

グランド・セントラル・ステーション。
天井には巨大な星条旗が。
2月7日(水) コロンビア大学下見
いつものように時差ボケで3時頃目が覚め、そのまま寝付けない。
仕方がないのでメールを書いたりパソコン向かっていろいろ作業。
朝方テレビを付けて天気予報を見ると17°Fとか出ている。
こっちは華氏表示だから計算がややこしい。
32引いて5/9掛ける。
-8℃ぐらい。
昼過ぎまで作業や買い物などしてたが、買い物の途中信号を待っていたら
道を尋ねられた。
昨日NYに着いたばかりなのに・・・
黒人の男が「この通りは何という通りか?」と聞くので、「Lexinton Av.」と答えると、
「3Av.はどっちだ?」と聞く。
東を指さすとそっちに歩いていった。
わかりやすい道でよかった。
夕方、明日講演するコロンビア大学の下見。
2時半にNY総領事館の高嶋領事と小野領事がアパートに迎えに来て、
官用車でコロンビア大学へ。
コロンビア大学はマンハッタンの北西あたりにあり、かなり名門校らしい。
明日の会場はコロンビア大学内のドナルド・キーン日本文化センター。
センター副所長、ウォルシュ・美穂さんやアカウントマネージャー青木さんらと、
高座やスクリーンの設営段取りを実際にプロジェクターを使って決めていく。
下見の後高嶋領事が僕のアパートへ来て字幕のリハーサル。
いつもの海外公演はプロデューサーのマイケル・ジャックソンが操作してるが、
今回は単独渡航なので、毎回誰かに字幕操作を頼まないといけない。
今回は高嶋さんに操作をお願いした。
リビングのソファーに二人座って噺に合わせて字幕を送っていく。
単純な作業といえば単純だが、タイミングが難しい。
タイミングが悪いと笑いが半減したりする。
一通りリハをして高嶋さんが帰った後、地下鉄でカーネギーホール近くへ。
今夜は現地で旅行代理店を経営してる中川さんとアポを取ってある。
中川さんと会食しながらいろいろ話を伺う。
帰りはまたアパート近くまでタクシーで送ってもらい、
近所の24時間営業のスーパーで明日の朝食など買い込んで帰宅した。

コロンビア大学構内で。

構内に貼られた僕のポスター。
2月8日(水) コロンビア大学講演
今日も変な時間に起き出してパソコンに向かって作業。
昼過ぎに近所のカフェで食事して59丁目のデパート、ブルーミングデールズへ。
ちょっと店内の様子や紳士服売り場を見て1階へ。
耳当てと手袋を購入。
どちらも日本から持ってきたが、使い勝手が悪かったり、
この寒さに対応しきれなかったりで新たに購入。
耳当てはヘッドフォンタイプで後頭部から掛ける形。
手袋はフリースの分厚いの。
明日行くピッツバーグはもっと寒いらしいので。
部屋に戻って衣装や字幕機材の準備。
4時半に領事館の高嶋さんが迎えに来てコロンビア大学へ。
本当は直前まで会場が授業で使えないと言うことだったけど、
休講になったようで、すぐに設営開始。
時間的には少し余裕があったはずだけど、すぐ開演時間の6時前になってしまった。
会場に当地で「紐育落語会」という同好会を主催する入浴家¢さんも来られてたけど、
バタバタしててあまり話す時間がなかった。
紐育落語会は200人ほどの会員さんがいて、
東西から噺家を招いて定期的に落語会をしてるそう。
開演時間が迫ったので別室で慌ただしく着替えをすませる。
聴衆は約70人。狭い教室のカーペットの床にびっしり座っている。
アメリカ人が70%ぐらいか。
でも日本人に見えても中国や韓国からの生徒もいるので、
比率はよくわからない。
まず立ったままで落語の歴史や寄席・弟子修行など字幕を使って解説し、
その後実演。
笑うところはここもすごく反応いいが、
三味線の皮が猫の皮だとか、「お玉牛」のつばの泡をなめるところ、
牛のおしりに指を入れる所などは声に出して「オー」とか「ウワォ」とか反応する。
こういうマイナスの反応も声に出して返ってくるのがやはりアメリカだ。
欧州では笑いや拍手などプラス反応は返ってくるが、
マイナス面でこれほどのリアクションは返ってこなかった。
いいことも悪いこともちゃんとリアクションするわかりやすい国民のよう。
その後質疑応答。
コロンビア大学大学院生のレネさんの通訳で聴衆からの質問に答えていく。
後で聞くとレネさんは総合格闘技の指導者で、時々自らもリングに上がるそう。
「東京と大阪の落語の違いは?」とか「どのようにして練習するのか?」、
「噺の数はどれぐらいあるのか?」など熱心な質問が続く。
落語の解説、実演、質疑応答と約1時間半の講演は無事終了。
片づけの後近所のインド料理屋さんで打ち上げ。
まずは1回目終了。
ホッとするまもなく明日はピッツバーグに移動する。

字幕を使って落語の歴史や寄席・修行について解説。
カーペットの床にびっしり座った聴衆は熱心に聞いてくれた。

コロンビア大学関係者らとインド料理で打ち上げ。
2月9日(金) ピッツバーグ移動
なかなか時差ボケが治らず、3時頃に目が覚める。
布団の中でなんとか眠ろうとするが、やはりだめ。
またまた起き出してPCの前に座ってメールを書いたりいろいろ作業。
明け方、シャワーを浴びたり朝食をとったり、荷造りして準備完了。
9時15分に領事館の高嶋さんが迎えに来て、ラガーディア空港へ。
NYに来るときはJFK空港だったけど、今度は国内線の多いラガーディア空港。
1時間半ほどのフライトでピッツバーグ到着。
明日はここで高校生日本語スピーチコンテストというのがあり、
そこのゲストとして落語をする。
空港には主催のペンシルバニア日米協会のエリスさんとメイシャ・和子さんが迎えに来てくれていた。
ベルトコンベアから荷物が出てきたが、スーツケースのキャスターが壊れていた。
4輪のうちの一つが壊れて無い。
聞くとアメリカではスーツケースを破損しても直してくれないという。
一応エリスさんに掛け合ってもらったが、
「不運だったな、それで・・・?」みたいな対応。
アメリカはスーツケースを破損してもごめんも言わなきゃ、修理もしない。
初めてエジンバラフェスに参加して、7年間13カ国を締太鼓を詰めて
一緒に旅して来た思い入れのある黄緑のスーツケース。
これでもかといろんな航空会社の「FRAJILE(取り扱い注意)」タグを
お守りのように貼って、使ってきたのに・・・。
キャスターがないとつらい。
NY市内の講演は荷物が少ないので、別のソフト・バッグでいけるが、
19日のボストン行きまでに新しいのを買わなければ。
昼食の後ホテルにチェックインし、会場となるピッツバーグ大学の講堂を下見して設営の段取り。
エリスさんが上着を脱いで下に着てるTシャツを見てびっくり。
僕の高座姿がシルエットになり、そこに日本語で「高校生日本語スピーチコンテスト」と書かれている。
会場にも僕の写真が入ったポスターが至る所に貼ってあるし。
夜は日米協会の皆さんと日本料理屋さんで夕食会。
9時頃にホテルに帰って床につく。

キャスターが壊れたスーツケース。
ずっと一緒に世界を旅してきたのに・・・・。

コンテスト会場のピッツバーグ大学講堂。

大学講堂に僕のポスターが貼ってあった。
2000年のエジンバラフェスの物をアレンジしたよう。

僕の高座姿がシルエットになったコンテストのTシャツ。
2月10日(土) 高校生日本語スピーチ・コンテスト
ただでさえ空気が乾燥してるところに、ホテルの暖房で喉が痛い。
何度も夜中に目が覚め、そのたびに水を飲み、部屋のカーペットに水をまき散らす。
9時過ぎに日米協会のメイシャさんが迎えに来て会場のピッツバーグ大学へ。
高嶋さんは開会式でスピーチするとかで、一足先に会場入りしていた。
開会式のあと高校生たちは各レベルごとの教室に別れて、スピーチを行うらしい。
開会式が終われば僕の講演まで設営時間はたっぷりある。
昨日設営の段取りはしてあるし。
立派な高座を舞台中央にしつらえ、プロジェクターをセット。
舞台後ろに備え付けられたスクリーンをそのまま使用する。
ネタはいつもの「お玉牛」ではなく「犬の目」。
実は高校生だけではなく子供連れのファミリーがたくさん来ると言うことなので、
ちょっとエッチなシーンのある「お玉牛」はどうか、ということになり、
来週の国連学校もあるので子供向けにと渡米2週間前に急遽「犬の目」にネタを変更した。
字幕用の台本を書いていつもの海外公演のプロデューサー、マイケル・ジャクソンに送り、
翻訳ができあがったのが渡米3日前。
字幕の入力は来るときの飛行機の中でという慌ただしさ。
NYのアパートで台本をプリントアウトして高嶋さんに渡した。
こういう事もあるので日本で中古のモバイルプリンターをネット・オークションで手に入れ、
持ってきていた。
実は「犬の目」は僕の持ちネタにはなかった。
このために急遽覚えた。
いわば今日がネタおろし。
噺家になって30年。
まさかピッツバーグで前座ネタの「犬の目」をネタおろしするとは思わなかった。
昼過ぎ、各会場の高校生たちのスピーチが終わった。
成績発表の前に僕の落語がある。
コロンビア大学と同じように字幕で落語の解説のあと「犬の目」
少しとばしてしまったところもあるが、何とか無事「犬の目」ネタおろしはおわった。
ここも反応はよく、質疑応答はピッツバーグ大学で日本語を学んでる生徒も来てたようで、
流ちょうな日本語で質問してくる。
講演終わりで成績発表となり、表彰式の後しばらくロビーでお客さんと交流。
夜は夕食会があるがそれまで時間があるからと、
メイシャさんが自宅に連れて行ってくれた。
ピッツバーグ郊外に住むメイシャさんの家は自分たちで造ったそうで、
よくぞこれだけの家を自分たちで建てたとものだと思うほど大きな素敵なおうちだった。
ロンドン留学するために乗ったシベリア鉄道で知り合ったビルさんと、
結婚後何年もかけて基礎のコンクリの流し込みから、大きな梁、壁の断熱材に至るまで
自分たちで作り上げた家に感心することしきり。
しばらくメイシャさん宅で談笑した後、ダウンタウンの打ち上げ会場へ。
レストランで日米協会関係者らと食事してホテルに戻った。

会場には日米老若男女約200人が集まった。

スピーチだけでなく日本文化研究の展示もある。

みんなそれぞれいろんな研究発表をしている。

メイシャさんの和室で。この部屋も自分たちで作った。

裏庭には野生の鹿が訪れる。

ペンシルバニア日米協会の皆さんとの夕食会。
2月11日(日) ピッツバーグ散策
今日は14:30便でNYに戻る。
それまで少し時間があるのでピッツバーグ観光。
あさビルさん夫婦がホテルに迎えに来て、高嶋さんと二人で車に乗り込む。
まずピッツバーグ大学に行ったが、
日曜で教室が閉まっていて見ることができなかった。
ここは世界の文化研究教室があって、その国ごとの意匠を凝らした部屋になっているとのことで、
廊下にあった教室の写真を見てびっくり、各教室ともとても教室と思えない
その国らしい内装。見られなくて残念。
それから野球のピッツバーグ・パイレーツ(桑田がここの2軍にいる)のフォーブス・フィールドや
フットボールのスティーラーズのスタジアム、ハインツ・フィールド(ケチャップ屋の名前が付いたスタジアム)を見に行った。
どちらもシーズンオフで閑散としてたけどきれいなスタジアム。
その後ケーブルカーでワシントン山へ。
ピッツバーグの街が一望できるナイス・スポット。
でも寒い。今日も-10度以下のよう。
そして地元の名士アンディー・ウォーホール美術館へ。
領事館の高嶋さんは前に見たとかで僕一人で美術鑑賞。
時間があまりなかったし、そんなに広くないし、ウォーホールの絵は大きくて見るべき物ととばしてもいいのがはっきりしてるから
30分ほどで鑑賞終了。
そして空港へ。
ほんとに午前中の短時間のピッツバーグ散策。
夕方にはNYに戻ってきた。
5時過ぎにアパートに戻り、荷物をほどいて初洗濯。
1階のランドリーで洗濯に挑戦。
コインランドリーかと思ったら、まずカードを購入しないといけないよう。
ICチップが付いているのでなくなるとリチャージできるよう。
洗濯機の説明書をよく読んで日本から持参の「トップ」を入れ、洗濯物を投入。
洗濯してる間部屋に戻ってまたいろいろ作業。
あんなにつながらなかったLANが今度はすぐつながった。
何やったんやろう。
ピッツバーグのホリデー・インでつないで、なんか詰まってた物がとれたような感じ。
これで高速環境が確立して、ストレスなく通信ができるけど、
やはり送信すると、サーバーに拒絶されるので前と同じようにややこしい方法でしかメールが送れない。
夕食は近所のピザ屋でピザ買って持ち帰ってウイスキー飲み飲み
テレビ見ながら食べた。

ピッツバーグ・パイレーツの本拠地フォーブス・フィールド。

可愛らしいケーブルカーでワシントン山へ。

ワシントン山からはピッツバーグの街が一望できる。
寒さで川も凍っている。

ちらはフットボールのスティーラーズの本拠地、ハインツ・フィールド。

アンディー・ウォーホール美術館でのセルフ・ポートレート。

NYのアパートに戻ってテレビをつけると、懐かしいエマニュエル坊やが出ていた。
2月12日(月) オペラ座の怪人
今日はいつもの海外公演のプロデューサー、マイケル・ジャクソンがNY入りする。
フロリダで友人の結婚式に出席し、フロリダにある両親の別荘で少し過ごしてNYに寄って日本に帰る。
マイケルの両親は英国人だけど毎年冬は寒い英国を抜け出してフロリダの別荘で過ごしているらしい。
昼前にうちのアパートに到着。
マイケルもNYは10年ぶりらしく、じゃあ今日はブロードウェーに芝居でも観に行こうとなった。
近所のダイナーで昼食をとった後、地下鉄でタイムズ・スクエアーのチケッツへ。
ここは安売りのチケット屋だけど、あまりいい芝居がないし、もうすでにいっぱい人が並んでる。
観光案内所でもディスカウントクーポンがあるはずとうろついていると、
ビルの1階にアカデミー賞のオスカー像が並んでいる。
入ってみると誰でも入れる展示のようで、ガラスケースにオスカーがずらりと並んでる。
どうやらアカデミー賞の前宣伝のブースらしい。
ふと見ると一角でオスカー像を手に写真を撮ってる人がいる。
誰でもオスカーと写真が撮れるよう。
僕らも並んでオスカーを手にパチり。
意外と重いのにびっくり。
結局ネットでチケットを押さえようと、もう一度アパートに戻って調べてみると、
月曜はほとんどの劇場が休演で、めぼしいのと言えば「オペラ座の怪人」しかない。
仕方がないのでそれを電話で押さえて、もう一度地下鉄で今度はグランド・ゼロへ。
9・11で崩壊したワールド・トレード・センターの跡地。
どれぐらい新しい建物ができてるかと思ったら、まだ基礎工事で、大きな穴ぼこがあるだけ。
そこからバッテリー・パークに出てみると、薄紅に川向こうに隣のニュージャージーのビル群や、
自由の女神が見える。
その後ロックフェラーセンターのスケートリンクなど見に行き、劇場へ。
まだ少し時間があるので近所のバーで少し飲んで時間を過ごした。
せりふはよくわからないが、ストーリーはだいたいわかってるし歌やセットもすばらしいが、
強烈な睡魔が波状攻撃で襲ってくる。
時差ボケのある日本人にはこの8時開演という時間帯はかなりつらい。
マイケルなどは半分ぐらい寝てたかも。
後で人に聞くとブロードウェーでは$111の子守歌が聴けるといわれてるそう。
芝居の後近所のアイリッシュ・バーで軽い食事(のつもりがすごい量出てくる)して部屋に戻った。
マイケルの寝床はリビングのソファーベッド。
ソファーを引き出すとベッドになる。
明日は国連学校でのデモンストレーション。

オスカー像は結構重い。
受賞するまでに腕を鍛えておかなければ・・・・(いつの話やねん!)

現在のグラウンド・ゼロ。まだ基礎工事の真っ最中。

ロックフェラー・センター。
NYの冬の風物詩スケートリンクで滑走する人々。

「オペラ座の怪人」を上演する劇場マジェスティックで。
オーケストラ席(1階)を確保。

派手なイルミネーションがこれでもかと瞬く夜のタイムズ・スクエア。
室内の暖房の強さといい、地球温暖化などこの国は考えてないよう。
2月13日(火) 国連学校
今日は午前中、アパートでマイケルと字幕のタイミングのリハや字幕の修正をした後、近所で食事。
その後買い物などしてる間に時間が迫った。
領事館の高嶋さんが3時に迎えに来る。
3時前に戻るとアパートの前にすでに高嶋さんが来られてて、
部屋に戻ってあわてて荷物を持って降りる。
国連学校は国連ビルの少し南、イースト・リバー沿いにある。
学校に入ると大きな国連マークが壁に描かれ、カウンターに警備員がいる。
警備に来意を告げるとIDを見せろと言う。
高嶋さんが僕らにパスポートとか持ってこられましたかと聞くが、
僕もマイケルも部屋に置いてきてしまった。
これから飛行機に乗るわけでもなく学校だと思ったから持ってきてない。
聞けば世界中の大使や領事の子女たちが通う学校なので、
今日の出演者でも学校に入るのに身分証明がいる。
事情を説明し、国連学校の今回の担当者津田先生に来てもらい、
身分を保障して「身請け」してもらった。
今日は国連学校の創立60周年のイベントの一環で、日本語教室の生徒の発表会がある。
国連学校は全校生徒1,554人、世界117カ国の生徒が集まり、
90の言語が飛び交う超国際学校。
いろんな言葉の教室があるそうで、今日は日本語クラスの発表会で
僕はその発表会のゲストらしい。
図書室の一角に高座を組みスクリーンを設置して準備完了。
窓から国連ビルや対岸のクイーンズも見える見晴らしのいい会場。
夕方、生徒や父兄が集まってきた。
日本語教室と聞いてたので生徒は日本人ばかりかと思っていたら、
いろんな国の子が日本語を学んでいた。
発表会はたどたどしい日本語ながらみんなで詩を朗読したり、歌を歌ったり
太鼓を叩いたりいくつか出し物があり、
最後に僕の出番。
字幕を使った落語解説の後「犬の目」。
コロンビア大学やピッツバーグでは、総領事館の高嶋さんに字幕操作をしてもらったが、
今日の字幕操作はマイケル。
低学年が多かったので落語の解説で退屈した子がゴソゴソしだしたが、
おおむね興味深そうに話を聞いている。
マクラで扇子をキセルに見立ててたばこを吸う仕草をしてると、
「たばこは身体に悪いんだよ」みたいなこと言う子がいる。
そこでまた笑いが起こる。
和やかな雰囲気で1時間ほどの講演は無事終了。
撤収してアパートに戻り、荷物を置いてマイケルと食事に出る。
近所に新しくできたジェロニモという店で食事して、外に出ると雪がちらついてる。
今夜は雪になりそう。

リラックスして落語を聞く国連学校の子供たち。
(リラックスしすぎやがな!)

帰りにもらった国連学校の記念品。国連マークがなにやらありがたい。
中に学校の説明や国連マーク入りのボールペン、
学校行事の写真がおさまったCDなどが入っている。
2月14日(水) 雪のNY
朝、それぞれシャワーを浴びたりメールチェックしたりして過ごし、
10時過ぎに地下鉄で59丁目で降り、60丁目のアリアンセ・フランセーズへ。
今回は三味線・太鼓を連れて来られなかったので、
学校中心にはめものなしのデモンストレーションという形でしかできない。
そこで改めて夏にちゃんとした公演をと企画している。
今日は劇場をいくつか下見するが、協力してくれるアクトベースNYの高橋さんと
劇場前で待ち合わせしてる。
夜中に降り続いた雪は10cmほど積もり、交通はかなり麻痺してるよう。
本当は10時半に劇場関係者と会うはずだったが、この雪で到着が遅れるので
11時にしてくれと連絡があった。
雪を踏みしめながら劇場前で高橋さんと合流し、
アリアンセ・フランセーズ内のフロレンス・グールド・ホールを見学し、
設備や料金などを聞いてタクシーで次のセント・ピーターズ教会へ。
ここは普段は教会だが劇場にもなる。
中華料理の昼食をとった後、エイリー・シティグループ劇場、
ニュー・ワールド・ステージズ、37アーツとタクシーやバスを乗り継いで視察した。
夜は初日に行ったchiyoda sushiで「週間NY生活」という地元のフリーペーパーのインタビューを受け、
伊藤社長にまたお寿司をごちそうになってアパートに戻った。
マイケルは明日の朝日本に帰るが、奥さんの志織さんがフロリダから来るからと、
市内にとったホテルに向かった。
志織さんの乗る予定のフロリダからの便は大幅に送れたそうで、
明日飛行機は雪の影響なく無事飛ぶだろうか。

雪に覆われたNY。
車が通っても雪は溶けず、とても歩きにくい。
2月15日(木) NYで誕生日
今日は午前中はいろいろ作業して、昼過ぎにグランド・セントラル・ステーションへ。
当地でスポーツ物のコーディネートをしている高木さんと夏のNY公演の宣伝打ち合わせ。
ついでにアイスホッケーの試合を見たいというと、チケット・サイトを教えてくれた。
夏なら野球があるが冬場はアイスホッケーかバスケしかない。
土曜のNYレンジャーズの試合をマディソン・スクエアガーデンに見に行こうと思う。
高木さんと別れた後、アメリカ自然史博物館に行こうと
地下鉄を乗り継ぐが各停に乗らないといけないのに急行に乗ってしまった。
どんどん駅をすっ飛ばし、自然史博物館のある81丁目も通り過ぎ、
次に着いたのは125丁目。
つまりハーレム。
電車に乗ったとき妙に黒人が多いと思ったらそういうことだった。
すぐに降りて反対側のホームに。
今度は各停を確認して81丁目の自然史博物館へ。
広大な博物館を2時間ほど見学して外へ出ると、もう暗くなりかかってる。
向かいにあるセントラル・パークに入って雪の公園を歩いてみようとしたが、
どんどん暗くなって人通りも少なくなってきたので引き返す。
いくらマンハッタンは安全になってきたとはいえ、夜の公園はやばい。
外に出てテクテク歩くが路肩の雪が凍ってて慎重に歩かないと危ない。
今夜は立命館大学NY校友会の会長、安久さんとの会食がある。
電車を乗り継いでイーストビレッジのイタリア料理屋さんへ。
安久さんと事務局長の三田さんと3人でおいしいイタリア料理に舌鼓。
実は今日は僕の誕生日。NYで誕生日を祝ってもらえるなんて幸せ。
帰りは車でアパートまで送ってもらった。

アメリカ自然史博物館。
広大な敷地に世界から集めた物が展示されている。

中に入ると恐竜の化石がお出迎え。
ここを舞台にした映画「ナイトミュージアム」がもうすぐ公開される。

セントラル・パークも雪で覆われている。

セントラル・パークのリス。
リスは冬眠しないのか?

立命館大学NY校友会会長の安久さん(左)と
事務局長の三田さん(右)。
2月16日(金) メトロポリタン美術館
午前中は一門新聞の落語会情報をメールで送ったり、いろいろ作業。
一門新聞の他にも、落語会の出番組みを時差を考え国際電話掛けてブッキングしたり、
ネタを聞いたり、こっちにいても結構日本の用事をこなさないといけない。
昼から当地のダンススクールのスタッフ森山さんに会いにユニオンスクエアへ。
NYはストリート番号が順番に付いてるのでわかりやすいので、
電話でだいたいの住所を聞けば地図で見つけやすい。
ダンス・スタジオで森山さんとしばらく話をして、近所で遅い昼食。
しばらくその辺を歩いてみる。
凱旋門のような門があるワシントン・スクエア、
薄っぺらいビルのフラット・アイアンビル・・・。
ついでにプリペイド携帯の電話料金をリチャージ。
Tモバイルのカウンターで電話機を渡して係の人がパソコンでちょいちょいと操作すると、
使える時間が増える。
カードを買って自分でもできるらしい。
このTモバイルという会社。どこにでもショップがある。
それとスターバックスはやたらとある。
1ブロックに1店はあるかもしれない。
今日は他にアポもないのでメトロポリタン美術館に行くことにする。
地下鉄でUP TOWN行きに乗り77丁目で降り美術館へ。
3時間ぐらいでめぼしいところは回れるだろうと思ったが甘かった。
メトロポリタン美術館をなめていた。
ちゃんと何を見るかという計画を立てて行かないといけなかった。
あまりの広さに現在位置を見失い、迷って同じ所を何度もぐるぐる回ってしまった。
昨年5月のフランス公演の時に立ち寄ったルーブル美術館も広かったけど、
中はもっとわかりやすい造り。
ここは複雑。でも作品はすごいコレクション。
ルノワールにセザンヌ、ゴッホにゴーギャンなどの印象派はもちろん、
ピカソにミロ、モジリアーニ・・・・
もう教科書に出てくるような絵がゴロゴロある。
めいっぱい堪能した。
8時頃に美術館を出て歩いて帰ることにした。
アパートまではだいたい15分ぐらいの距離。
途中近所の中華料理屋によって炒飯と青島ビールで夕食をすます。

雪のワシントンスクエア。天気はいいがひじょうに寒い。

薄っぺらいフラット・アイアンビル。

セントラルパークの中にあるメトロポリタン美術館。

ルノワールもひょいとある。
印象派やピカソの作品だけでもものすごい数。
しかも写真撮り放題。
2月17日(土) アイス・ホッケー観戦
今日はアイスホッケー観戦。
スポーツ物のコーディネーターの高木さんに教えてもらったサイトで
レンジャースのチケットを押さえようとしたが売り切れで、
また高木さんにメールを送ると、公式サイトからチケット市場にリンクがあった。
そこへ行くと、試合日と対戦相手、席のグレードと座席位置、売り・買いなど書かれている。
公式サイトからダフ屋につながってるようなもの。
確かに前の方の席だけど、土曜と言うこともあってか安い席でも$140以上。
仕方がないのでその席を押さえようと申し込みフォームでいろいろ書き込むが、
なんかアドレスがどうのと拒否される。
ニューヨークの住所がクレジットカードの住所と違うので拒否されるのかと、
日本の住所を入れるがこれもだめ。
何度かチャレンジしたけど結局だめだった。
3/6のブロードウェイ「ザ・プロデューサーズ」はネットで押さえられたのに・・・。
それで高木氏にまた電話して押さえてもらった。
当地でサルサの勉強をしている牧野さんと昼前、会場のマディソン・スクエア・ガーデン横の
ホテル・ペンシルバニアのロビーで合流して会場へ。
開場まで少し時間があったのでマディソン・スクエア・ガーデン下のペンシルバニア・ステーションを見に行く。
ここからアム・トラックが発着してる。
ホームに降りて停車しているアム・トラックの車内を窓からのぞき込む。
グリーン車とおぼしき車両、食堂車、寝台がコンパクトに設置されたコンパートメント・・・。
鉄道オタクでなくても見てるとおもしろい。
マディソン・スクエア・ガーデンの席は上の方だったけど、見やすかった。
アイス・ホッケーなんて冬季オリンピックの時に少し見たぐらいで、
生で見るなんて初めて。
ルールーも知らないし、もちろん選手は誰一人知らない。
今日はフィラデルフィア・フライヤーズ戦らしい。
シュート時のパックのスピードが早くて、ゴールが見えないほどだけど、
お約束らしい殴り合いもあるし、観客の様子を見ててもおもしろい。
やはり生のスポーツ観戦はいい。
その後観光らしいところへと、タクシーでブルックリン・ブリッジを渡り
橋のたもとのリバー・サイド・カフェへ。
ここからダウンタウンのビル群がよく見える。
カフェで少し飲んで、今度はイースト・ヴィレッジの蕎麦屋へ。
行くと土曜と言うこともあり行列ができてる。
予約を入れるが30分待ちという。
その間近所の日本食材が充実したスーパーに連れて行ってもらう。
このあたりは日本食の店が軒を連ねる「リトル・ジャパン」的な地帯のよう。
別に買う気はなかったが、見てるうちにかごにカップ麺やインスタント味噌汁など
いっぱい入れていた。
その後蕎麦屋の前のたこ焼き屋でたこ焼きを食べ蕎麦屋で居酒屋メニューで
日本酒を飲む。
仕上げの蕎麦を食べて、タクシーでアパートに帰る。

マディソン・スクエア・ガーデンで。

結局NY・レンジャーズはこの日の試合、
3-5でフィラデルフィア・フライヤーズに負けた。

ブルックリンからダウンタウンの摩天楼をバックに。
2月18日(日) とうとう風邪?
朝起きると頭が痛くてしんどい。
とうとう風邪をひいたのかもしれない。
こっちに来てから時差ボケもあるけど、空気が乾燥してるから
何度も喉の渇きで目が覚める。
そのたびに枕元に置いた水を飲んでまた眠るといった具合。
いったん朝方起き出すがまたしんどくなってベッドへ。
ここのところ寒さの中歩き回ってたし、連日の疲れが出たのかもしれない。
今日は当地で舞台の演出などをしている藤阪さんと合う約束がある。
昼過ぎまで寝るとだいぶ楽になった。
3時前に車で藤阪さんがアパートにやってきて、カフェで話もとなったが、
駐車できるところが無く、街をグルグル。
ちょっとした市内ドライブ。
昨日の蕎麦屋さんにスーパーで買ったカップ麺を忘れてきたと言うと、
ではその辺でと、アスター・プレイス近くのカフェへ。
忘れ物をとってきてカフェで1時間ほど話を聞く。
帰りもまた車で送ってもらい、あまり食欲がないので夜は買ってきたカップ麺ですます。
明日は朝早くに起きてボストン移動なので早寝した。
2月19日(月) ボストン移動
今日はボストンに移動する。
ピッツバーグはNY総領事館の高嶋さんと一緒だったが、今日は一人で行かないといけない。
ピッツバーグでスーツケースのキャスターを壊されたので、
新しいのを買おうかと思ったが、クローゼットに家主のリンダのキャリーがあった。
リンダはスッチーなのでよく使うのだろう。
部屋にある物は何でも使っていいと言うことなのでこのキャリーを拝借。
スーツケースをゴムロープでキャリーに結わえ付けて、プロジェクターを抱え
雪の残る道を大通りに向けてキャリーをゴロゴロ引きながら歩いていると、
タクシーに声を掛けられた。
ちょうどよかった。
荷物を積み込みラガーディア空港へ。
飛行機や宿は全部ボストンで手配してくれたけど、Eチケットなので手元に航空券がない。
ネットでプリントアウトした紙切れだけ。
日本ならEチケットでも航空券らしき物があるが、こちらはこれがふつうのよう。
ほんとにこんな紙切れで飛行機に乗れるのか、
半信半疑だったがカウンターでは紙切れも見せることなく、
クレジットカードだけで搭乗券を渡された。
ボストンまで約1時間のフライト。
東京・大阪間といった感じか。
ボストン空港には今回ハーバードの講演をコーディネートしてくれた、
アンネ・ランデ・ペータースさんが迎えに来てくれていた。
アンネさんとは5年前、ノルウェーのトロンハイムで行われた外務省の日本紹介イベント
「JAPAN 2002」で知り合った。
早稲田大学で落語を研究しているノルウェー人のアンネさんは、
三島由紀夫の芝居をノルウェー語に翻訳し、
芝居に同行してトロンハイムに来てたが落語の公演を知らなかったらしく、
ホテルで僕を捜して、これから日本に帰るので観られずとても残念だと伝えに来た。
(詳しくは「2002秋欧州公演日記10月1日」で)
その後何度か東京で会う機会があったが、昨年メールが来てボストンに引っ越したという。
それで今回のNYでの活動を話し、ボストンでも講演ができないかメールで聞くと、
もちろん喜んで!とハーバード大学での講演をコーディネートしてくれた。
空港にはアンネさんの他、夫のテオさんと長男オーラフ君に、11ヶ月の双子の子供、
家族5人で迎えに来てくれていた。
夫でオランダの外交官のテオさんは休暇がたまり、1年休暇を取って
念願のハーバードに留学中とのこと。
(1年も休暇があるなんてどんな国や!)
空港の外に出るとNYより寒い。
もう吐く息の長さが違う。息を吐くとゴジラのように白い息が長く伸びる。
マイナス13℃はありそう。
車の中でテオさんとアンネさん、オーラフ君の会話がすごかった。
オランダ語・ノルウェー語・英語・日本語が飛び交ってる。
本当は会場を下見したかったけど今日はプレジデント・デーで祭日。
みんな休みのため大学構内に入れない。
とりあえずボストンの総領事館に行き、関川さんと合流。
領事館も休みだけどリハーサル用に会議室を確保してくれていた。
そこで字幕のタイミングや、鳴り物解説のためのCDのきっかけなどリハして、
タクシーで川を渡りケンブリッジへ。
会場のライシャワー・インステュート近くのB&B、アービング・ハウスへチェック・イン。
宿にはハーバードの担当者の肥後・モンタナさんが待っていた。
今日は夜夕食会があるが、それまで時間があるのでモンタナさんがボストンを
案内してくれるという。
タクシーと地下鉄を乗り継いでプレデンシャル・タワーの展望室から街を眺めたり、
ボストン美術館を見学。
ここも広くて回っているうちに閉館時間となったが、そこは印象派の部屋だった。
やっとメインにたどり着いたのに・・・、
慌ててゴッホやモネやルノワールなどをそそくさと見て回る。
夜はケンブリッジのホテルのレストランで夕食会。
在ボストン日本総領事館主席領事高島氏、関川氏、ボストン日本協会理事長ピーター・グリーリ氏、
MIT(マサチューセッツ工科大学)のイアン・コンドリー氏、久保田氏、東芝の田中英一氏らと
食事しながら談笑。
グーリー氏、コンドリー氏らアメリカの方もみんなほとんど違和感なく日本語をしゃべるし、
すごい日本のことをよく知っている。
みんな明日のハーバードの講演は楽しみにしているという。
お開きの後、関川さんと近所のバーで当地のビール「サム・アダムス」を飲んで
宿に帰った。

ハーバード大学そばのB&B「アービング・ハウス」。
英国を公演で旅してたときはこんなB&Bによくお世話になった。

プレデンシャル・タワーからはボストンの街が一望できる。

対岸のケンブリッジにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)
手前の川は完全に凍結している。

こちらは今年松坂大輔がプレーする
レッド・ソックスの本拠地フェンウェイ・パーク。

通りにはボストン生まれでハーバード大学出身の
ケネディー元大統領の名前が付いている。

夕食会で。右手前から高島主席領事、アンネさん、僕、
MITの久保田さん、ボストン日本協会のグーリーさん、
MITのコンドリーさん、領事館の関川さん、東芝の田中さん。
2月20日(火) ハーバード大学
朝8時前、アンネさんが宿に迎えに来て今日の会場のハーバード大学
ライシャワー・インスチュートへ。
今日使う教室は本番前に授業があるので、設営の段取りは朝のうちにする。
すごく設備の行き届いた教室で、階段状に机が半円形に配置され、それぞれにマイクがつている、
なんか小さな国際会議場と言った雰囲気。
巨大なリア・プロジェクション・ビジョンがあるので、持参のプロジェクターではなく、
それを使ってみることにした。
階段状に客が見下ろす形なので、高座の高さはそれほど高くせずにすむ。
ただ一番下の席に座ると後ろの字幕の下の行が僕の頭で隠れてしまう。
長い行を探して少しずつ上にずらしていく。
ここはちゃんと技術スタッフも付いているし、ほとんど字幕に必要な機材は持ち込んでいるので、
段取りは早く済んだ。
設営したケーブル類はじゃまにならないが、まだ別の授業があるので、
高座は設営の段取りだけ確認して、一旦バラして教室を出る。
本番時間までまだ時間があるので、アンネさんにハーバードの中を案内してもらう。
まず学生食堂。
ところが普通の学食とわけが違う。外見は大きな教会のようで、
中に入るとハリー・ポッターのフォグワーツ魔法学校そのままの光景。
続いて図書館。
本当は学生以外立ち入り禁止だけど、ハーバードでは配偶者が生徒なら、
その夫や妻は自由にどの教室で授業を受けてもいいそうで、
アンネさんも配偶者のIDがある。
入り口には改札機があり警備員がいる。
アンネさんがIDを見せ、彼ははハーバードのゲストなので中を見せてあげてほしいと
頼むとすんなり入れてくれた。
学習室は広くて天井も高く、ずらり並んだ机にはコンセントやLANなどのジャックも装備している。
学生たちはラップトップを広げて静かに勉強してる。
この環境なら勉強もはかどりそう。
しばらく学内を散策して今度はハーバードグッズが買える街のショップへ。
ここでハーバードのTシャツなど大量にお買い物。
レジで学生証はあるかと聞かれたので無いと答える。
どうも学生はIDを見せると割引があるよう。
Tシャツを入れてくれた袋を見て納得。
「COOP」と書かれている。
見た目はただの服屋だけど。ここはハーバードとMITの生協らしい。
まだ少し時間があるので今度はレッド・ソックスグッズを買いにタクシーで
フェンウェイ・パークへ。
球場横のショップでまたTシャツ買って教室へ。
前の授業が終わったら30分で再設営しないといけない。
1時間半の授業時間で30分設営で、1時間解説と実演。
PCの接続と字幕ソフトを立ち上げて、教室の裏で着物に着替え。
教室の席には先生、生徒合わせて約50人ほどが集まった。
ハーバードは少数クラスが多く、はじめの予定では4人の生徒の前で3回、
みたいなことを言っていた。
それではあまりにも少ないし生徒だけではなく、一般の人も入れるようにと要望して
少し広い教室での公開講座となった。
見下ろしの観客が半円形に囲み、しかも偉い先生方が前の方に陣取っているので、
なんか裁判を受けてるような感じ。
アンネさんが字幕を操作し、領事館の関川さんが出囃子など音楽担当。
固い雰囲気ながらもちゃんとギャグの所では笑いが返ってくる。
短い時間だったけど質疑応答もすませ、何とか終えた。
片付けをすませて今度は昼食会。
ハーバードは街自体がキャンパスみたいなもので、至る所に大学施設があるが、
入ったところは古びたレストランのよう。
聞くと教員用のレストランとのこと。
ハーバード大学東アジア言語文明学科教授のヤコブセン先生、社会文化人類学教授
ベスター先生ら7人でビュフェスタイルの昼食をいただく。
ここもみんなびっくりするぐらい日本語が達者。
食事の後飛行機まで時間があったので、近くのハーバードの美術館へ。
大学に美術館まである。もちろん生徒はただ。
こぢんまりした美術館だけど、ここもちゃんと印象派一通りとピカソもある。
ハーバードの先生に絵を解説してもらいながら有名な作家の絵を鑑賞するなんて
とても贅沢な美術鑑賞。
4時に荷物が置いてあるライシャワー・インステュートに戻ると、
すでに領事館の人が来てた。
車に荷物を積み込み空港に送ってもらう。
また一人で飛行機乗ってNYのラガーディア空港へ。
そこからまたタクシーでアパートに戻ってきた。
1泊2日の駆け足でハーバードを往復したので少し疲れた。
夕食会や昼食会で胃も疲れたし、
夜は簡単にカップ麺で夕食をすます。

ハーバード大学の門の前で。

会場のライシャワー・インステュート。

ハーバード大学内の掲示板に貼られた僕のポスター。

偉い先生方に取り囲まれてちょっとやりにくい。

見た目は教会のようだが実はハーバードの学食。
小さな講堂もある。昔はここで卒業式などもしてたそう。

中はハリー・ポッターのホグワーツ魔法学校みたい。

立派なハーバードの図書館。

ハーバード大学創始者の像。
つま先を触ると賢くなるとかで、そこだけピカピカ。

ハーバードの先生方との昼食会。
ここも映画「ビューティフル・マインド」の教員用クラブのような佇まい。

球場横には松坂歓迎の巨大看板が。
2月21日(水) ホフストラ大学
今日はNY郊外のホフストラ大学での講演。
朝7時45分に領事館の高島さんが迎えに来て車でロング・アイランドへ。
今日はずいぶん暖かい。0度以上はありそう。
昨日のボストンもおとついの-13℃から一転して+5℃ぐらいになってたし。
こっちの天気は極端やなぁ。
天気もいいしちょっとしたドライブ気分。
道もそれほど混んでなかったようでマンハッタンから1時間ほどでホフストラ大学に到着。
会場は図書館の最上階、10階のコンベンション・スペースのような所。
この大学もボストンのアンネさんがコーディネートしてくれた。
会場で今日の担当者のパトリシア・ウエルチ先生と合流。
ウェルチ先生も時期は違うがアンネさんと同じように早稲田で落語を研究してたそう。
ウェルチ先生にアメリカでどのくらい落語を研究してる人がいるのですかと聞くと、
5~6人はいるそう。
会場はすでにいすが並べられ、高座になる台も置かれている。
台はこのために作られたようだけど、天板が黒く塗られているだけ。
これだけかと思ったら職人さんがやって来て、赤い布を巻いてきれいな高座ができあがった。
さすが落語の研究をしている先生、抜かりがない。
その後また別の二人が来て今度はプロジェクターとスクリーンをセット。
位置決めをした後手際よくケーブルなどをテープで床に固定していく。
先日食事に招待してくださった立命NY校友会の三田さんが、お友達2人を連れてきてくださった。
生徒・先生も含めて約40人ほど。生徒たちはノリもよくよく笑ってくれた。
終演後片付けをして昼食。
アメリカの学生がどんな物を食べているのか興味があったので高嶋さんと学食へ。
中は日本のファミレスみたいな造りで、結構うまいけど値段はそれほど安くない。
食事の後また車で1時間のドライブ。
外もコートなしで歩けるほどポカポカ陽気に、車内でウトウトする。
アパートに戻って着物を部屋につるし、洗濯タイム。
こっちはみんな週末に1週間分まとめて洗濯するようなので、
週末はランドリーが混む。
それでなるべく洗濯は平日の昼間にすることにしてる。
はじめ、週末に洗濯物をランドリーに持って行ったがどこも洗濯物が入っていて、
中国人のおばちゃんがせっせと洗濯機から乾燥機に衣類を入れ替えてた。
どうもアルバイトのよう。
こっちは洗濯物は外に干さないのでみんな乾燥機を使う。
乾燥は時間がかかるのでこういったバイトのおばちゃんに任せたりするらしい。
できあがるとたたんで部屋に届けてくれるとか。
洗濯の間部屋でいろいろ作業して、夜は近所のダイナー、スターゲートで
ワイン飲み飲みチキン・ポッド・パイを食べる。
チキンの入ったクリームスープをパイでふたしたもの。
日本なら少し大きめのマグカップぐらいの大きさだけど、
ここはアメリカ。
特大のグラタン皿にたっぷり入ってる。
ここの料理はおいしいけどいつも残してしまう。
部屋に戻ってまた水割り飲みながら日本から持ってきた
イギリスのコメディーDVDを夜中まで見て床につく。

図書館最上階から見たホフストラ大学。
広大な敷地に大学施設が点在する。

キャンパスの芝生の上にひょいと採点する先生のブロンズ像が。

会場にうまいこと障子風の屏風があったので借用。
アメリカとは思えない立派な高座ができあがった。

ちゃんと名ビラも作ってくれた。
アメリカのプリンターには日本語フォントが入っていないので、
普通につないでも漢字はプリントされないが、ウェルチ先生の研究室は別。

最前列は床に座って桟敷席。

パトリシア・ウェルチ先生と。
2月22日(木) NY大使公邸夕食会
今日は昼からまた劇場下見。
アクトベースNYの高橋さんとソーホーの劇場前で落ち合う。
今日は200席と250席の劇場二つを視察。
下見を終えて高橋さんと別れた後、
2軒目の劇場がアスター・プレイスのブルーマンの劇場に近かったので
土曜のチケットを直接劇場に買いに行くことにする。
ブルーマンは顔を青く塗った3人組のパフォーマンスで、オフ・ブロードウェーで
何年もロングラン興行し、何カ所かでまた別の班が公演してるらしい。
窓口で土曜のチケットがほしいというと、何時かと聞く。
7時と答えると何か言ってるがわからない。
わからないと言うと、何やら書いた物を見せる。
見ると日本語で「この席は後ろで舞台が見えにくいことがあります」と書かれている。
仕方がないので10時の回をと言うとまた何やら言う。
またわからないというと書いた物を見せる。
「前の席はレインコート席です」
どうやら何か飛び散るよう。
レインコート席の後ろの1席だけ空いた端の席を確保。
しばらくそのあたりを散策するが、雨が降り出した。
とりあえずアパートに帰ることにする。
86丁目の駅を出るとかなり降っている。
こっちに来てから雪は降ったが、雨は初めて。
雪以外は少し曇るか晴ればかりだった。
雪は降ってもサラサラなのでコートのフードをかぶって歩けば平気だが、
雨はそういうわけにはいかない。
少々の雨はみんな傘を差さないが、これだけ降るとさすがにそういうわけにもいかない。
駅の近所のスーパーで折りたたみ傘を買ってアパートまで帰る。
遅い昼食を部屋でとって、洗濯したり電話したり、PCに向かって作業。
夜はNY総領事館櫻井大使主催の夕食会。
僕のために夕食会を開いてくれる。
普通は大使は首都にある大使館にいて、総領事館の最高役職は総領事となるが、
NYはその重要性から総領事館でありながら総領事ではなく特別にNY大使となっているらしい。
6時45分に高嶋さんが迎えに来て車で大使公邸へ。
マンハッタンの中なので他の国の大使公邸のように庭があるわけでもなく、
高級そうな住宅街の一角にそれはあった。
他と違うのはポリスが前を警備してること。
タキシード姿の給仕に迎え入れられコートを脱いで記帳する。
外から見るより中はずっと広く、2階に上がると櫻井大使夫妻に迎えられる。
ここでもやはり応接で食前酒など飲みながら談笑。
その途中でもう一人のゲスト、ジャパン・ソサエティーの塩谷さん登場。
ダイニングに移動する。
今日は大使夫妻に僕と塩谷さん、そして総領事館の高嶋さんの
5人だけの夕食会。
モダンな日本料理をお箸でいただく。
文化を取り巻く状況の日米の違いなどを食事しながら語り合った。
塩谷さんは知識も豊富で、とても勉強になった。
話しに夢中で知らない間に10時過ぎになっていた。
おいとまして、またアパートに送ってもらい、ウイスキー飲み飲みメールチェック。
最近はやっと12時まで起きてられるようになった。
時差ボケもやっと治ってきたよう。

大使主催夕食会の招待状。
おなじみ金色に輝く外務省の五七の桐の紋が付いている。

夕食会の席で。
後列右が櫻井大使ご夫妻、左が総領事館の高嶋さん。
前列左がジャパン・ソサエティー芸術監督の塩谷さん。
2月23日(金) ニュージャージーで夕食
今日は午前中洗濯しながら作業して、昼からミッドタウンにある日本テレビNYへ。
日テレNYの林社長、長谷川さんと8月の公演についていろいろ相談。
その後3/6にネットで予約したミュージカル「ザ・プロデューサーズ」のチケットを取りに行くことにした。
クレジットカードで精算済みだけど、チケットが手元にないとなんか不安。
タイムズ・スクエアまで歩き途中の吉野屋で遅い昼食。
タイムズスクエアに吉野屋があると聞いていたので、
一度行ってみたかった。
店は日本のようにコの字に配されたカウンターではなく、
マクドナルドのように注文して自分で席に運んで食べるスタイル。
日本と味が少し違うという人もあるが、日本でもあまり食べたことがないのでよくわからない。
食事の後、劇場セント・ジェームスへ。
ところがボックス・オフィスでプリントアウトした予約番号を見せるが、
これはEチケットだからどうのこうのと、言って切符がもらえない。
どうやら別の何かが必要らしい。
ここへ電話して聞けと番号を書いてくれた。
部屋に戻って電話するが、Eメールで送ったとか言う。
送られてきた物はオーダー番号しか書いて無いねんけど、
しばらくわからないやりとりがあって、自動音声に切り替わった。
日本語の自動音声で留守番電話になっていた。
向こうからかけ直してくれるというので、電話番号を吹き込んで電話を切る。
改めて送られてきたメールをよく読んでみると、何かPDFファイルで送ってくるよう。
そんな添付メール来てなかったはずやけどなぁ。
夜はコニカ・ミノルタの仲川さん、石井さん、深沢さんらと食事。
6時半にわざわざ僕のアパートまで車で迎えん来てくれた。
仲川さんも日本の知り合いから紹介された。
こっちで毎日いろんな人に会ってるが、ほとんど初対面で、
知り合いの紹介の紹介みたいな人ばかり。
車でハドソン川を渡りお隣のニュージャージーへ。
聞くとマンハッタンの夜景がきれいに見えるレストランを予約してるそう。
二階の窓際に座ってマンハッタンの夜景を見ながらシーフードをいただく。
メニューに生牡蠣があって食べたいがノロ・ウイルスが怖い。
躊躇してると、こっちでは誰も気にせず生牡蠣を食べてるという。
日本では牡蠣の養殖業者が大打撃を受けてるというのに・・・・
狂牛病の時もアメリカ人は気にせず牛肉食べてたと言うし。
ならばと生牡蠣やカニなどビールやワインを飲みながらいただいた。
その後またマンハッタンに戻り、クラブに。
これで3回目だけどこっちのクラブはなんかひっそりと奥まったところにあり、
秘密クラブのよう。
中は健全なもので、おもしろい女の子が入れ替わり席に着き大いに盛り上がった。

吉野屋タイムズ・スクエア店の牛丼。
店で食べてもお持ち帰りのようなスチロールの器。

マンハッタンの夜景がきれいなニュージャージーのレストラン
「クラブ・ハウス」で。

風が強くて寒かったけど、景色は絶品。
2月24日(土) メトロポリタンできりたんぽ
今日はゆっくり起き出してメールチェックすると、「ザ・プロデューサーズ」のPDFファイルが送られてきてた。
開けるとバーコードが書かれている。
これをプリントアウトして直接劇場の入り口に持って行くと、
機械で読み取って中に入れるらしい。やれやれ・・・
昼過ぎにアパートを出る。
近所のホット・ドッグ屋「パパイヤ・キング」で朝昼兼用の食事。
ここはもとはジューススタンドだったがホット・ドッグも売り出し、人気となったという。
マンハッタンに何店舗かある。
ホットドッグとパパイヤやマンゴーなどのフルーツ・ジュースの奇妙な取り合わせが特徴。
そこから地下鉄に乗って59丁目へ。
今日はマンハッタン東にあるルーズベルト島に行ってみることにする。
地下鉄でも行けるらしいが、59丁目の駅から少し東に行ったところにロープウェーが出てて
ルーズベルト島に渡れるらしい。
対岸のクイーンズに架かるクイーンズボロ・ブリッジに平行して、ロープウェーが架かっていて、
街の真ん中からいきなりゴンドラが飛び出してくるような感じ。
メトロカードがそのまま使える。
約3分ぐらいの空中散歩。
ルーズベルト島の遊歩道を摩天楼の写真を撮りながらのんびり歩く。
今日は天気もいいし暖かく散歩日和。
またロープウェーでマンハッタンに戻りグランド・セントラル・ステーションから5th Ave.を通って、
セントラルパークへ。
セントラルパークをまた写真を撮りながら散策。
池はまだ氷が張ってるが、暖かくなったので散歩する人も多い。
そして5時半にメトロポリタン美術館へ。
実は昨日、日テレの長谷川さんから秋田県人会に誘われた。
NYの秋田出身者が集まり、メトロポリタン美術館の中で会合を開くという。
美術館入り口に迎えに来てくれた大場さんは、メトロポリタン美術館で
20数年東洋の美術作品の修復をされてるそうで、
大場さんが働く美術館の東洋美術修復ルームがその会場。
時間が来ると参加者がぞろぞろ集まってくる。
ライターに弁護士、ヨガ・太極拳のインストラクター、フラワー・アーティストに陶芸家・・・
いろんな仕事の人が集まって、自分たちが手作りした物を持ち寄って日本酒で宴会。
じゃこ天、なます、黒豆、いぶりがっこなど、こっちの日本料理屋でも
あまり無いようなメニューが並ぶ。
そして最後はきりたんぽ鍋。
奥の部屋に修復中の作品があるのに、こんな匂いさせて大丈夫かと心配したけど、
大場さんは「大丈夫、大丈夫」といっこうに意に介さない。
みんなでワイワイやってるうちに9時になってしまった。
この後オフ・ブロードウェーの「ブルーマン」を見に行く事になっている。
7時の回が取れなかったので10時の回。
そそくさとおいとましてタクシーで劇場へ。
2階席合わせて300人ぐらいのこぢんまりした劇場。
席に着くと太い紙テープのような物が配られ、それをみんなはち巻のように頭に巻く。
前の方の席はみんなビニールのポンチョを着ている。
やがて開演、顔と手だけ青く塗った黒ずくめの三人組がパーカッションを叩いたり
パフォーマンスをする。
言葉はいっさい発せず字幕が少し出る程度。
ほとんど表情だけで笑いを取る。
ノリはドリフターズ。
観客も巻き込んで1時間45分のショーは、「この後掃除大変やなぁ・・・」というような形で終わる。
子供に返って馬鹿騒ぎみたいなショー。
ところが劇場を出るとタクシーが捕まらない。
観劇帰りの客だけではなく、土曜の夜でタクシー争奪戦。
明日は朝早くにシアトルに移動するので早く帰って荷造りしないといけない。
地下鉄は24時間動いてるそうだけど、さすがに深夜に地下鉄に乗るのはどうかと、
場所を変えながら空いているタクシーを探す。
回送らしきタクシーを無理矢理捕まえて、何とかアパートまで帰ってきた。

ロープウエーでルーズベルト島へ。
車の上をゴンドラがかすめていくよう。

ゴンドラの中は意外と広い。

摩天楼を眺めながらの空中散歩。

カモメものんびり。
向こうに見えるのは国連ビル。

ここは桜並木なので春は絶好の花見スポット。

反対側はクイーンズ。

カー雑誌で見た時、冗談だと思ってたハマーのリムジン。
こっちはこんなのがゴロゴロ走ってる。

セントラルパークでスケートを楽しむ人々。

ストロベリー・フィールズのイマジンの碑。
花が絶えることがない。

大場さんの仕事場、メトロポリタン美術館東洋美術修復ルーム。

メトロポリタン美術館の中で酒盛り。

ブルーマン。終演後はロビーでお見送り。
2月25日(日) シアトル移動
朝5時に起きて荷造り。
6時にアパートを出てタクシーで空港へ。
今度の空港はニュージャージーにあるニューアーク空港。
これでNYにある空港三カ所すべて利用することになる。
またしてもEチケットで、カウンターに並んでもディスプレイを見ながら自分で操作しないといけない。
よくわからないのでモタモタしてると係員がいろいろ教えてくれて聞きながら操作。
それやったら最初から全部してくれたらええのに。
シアトルまでは約6時間のフライト。
アメリカ大陸を東の端から西の端まで完全に横断する。
時差も3時間ある。
飛行機の中で遅れているNY日記を書く。
時間はたっぷりとあるし缶詰状態なので仕事がはかどる。
現地時間の11時半に着く予定が30分ほど早く到着。
空港には藤村真理ちゃんが迎えに来てくれているはずだがまだ来てない。
真理ちゃんは20年ほど前に僕が出演していたMBSのテレビ番組「ワイドYOU」の
アシスタント・ディレクターだった。
僕と違う日に出演していたうちの奥さんとも親しく、
日本に戻ってきたらよく会ってたらしい。
日系人の旦那さんとシアトル郊外に住んでもう15年になるとのこと。
それでシアトルでの講演を手伝ってもらうことにした。
少し遅れて合流し中華料理屋で昼食をとり、ホテルにチェック・イン。
荷物と車をホテルに置いてまず近所のパイク・プレイス・マーケットへ。
海沿いのマーケットで魚屋や八百屋、土産物屋が軒を連ね、
地元の人も観光客も訪れる活気のある市場。
このあたりにはスター・バックスの1号店もある。
世界で1万店もあるスター・バックスは、このシアトルのパイク・プレイスから生まれた。
1号店という事で中は観光客でごった返している。
とりあえずカフェ・ラテを注文。
コーヒー飲み飲みマーケットへ。
魚屋は威勢のいい声を張り上げて、奥から店先に鮭を投げる。
店員がそれを受け取って陳列に並べる。
この鮭投げが名物らしい。
マーケットを見学した後、今度は車でシアトル・センターへ。
シアトルのシンボルとも言える展望塔、スペース・ニードルがそびえ立つ。
スタートレックのカーク船長の椅子などが展示されたサイエンス・フィクション・ミュージアムも
この一角にあるが時間が遅いようで閉まっていた。
そうこうしてる間に雨が降り出した。
シアトルはこの時期雨が多く、ほとんど毎日雨が降るとのこと。
ホテルまで送ってもらって、真理ちゃんはまたフェリーなど使って1時間半かけて帰っていった。
夜はホテルのレストランで一人で食事。
明日は講演する2カ所の会場を下見する。

パイク・プレイスにあるスター・バックス1号店。
看板はおなじみの緑色ではなく茶色。

店内は観光客でごった返している。
みんな写真やビデオ撮りまくり。

パイク・プレイス・マーケット。
八百屋や魚屋が軒を連ね活気がある。

マーケット入り口にいる真鍮の豚。
貯金箱になっている。

ダウンタウンのビル群を望む。

シアトルのシンボル、スペース・ニードル。
2月26日(月) シアトル会場下見
今日は明日、明後日と講演するエヴェレット・コミュニティー・カレッジと
ワシントン大学の下見。
ピッツバーグもハーバードもそうだけど、この時期雪とかで飛行機が飛ばない事を想定して
前日入りしてる。
おまけに3時間時差があるとはいえ6時間のフライトなので
前日入りしてると朝から行動できる。
11時に真理ちゃんと在シアトル総領事館の吉仲さん、武田さんが迎えに来る。
領事館の車でまずはワシントン大学へ。
日本古典文学助教授のポール・アトキンス先生の案内で会場へ。
100席ほどの劇場のようなシートのある教室。
少し低いが演台もある。
ここに机を置いて高座を造り、スクリーンを設置して、ここまでコードを引き回し、
ここにノートパソコンを置いて・・・と設営の段取りを進めていく。
今回の講演はほとんどが大学でいつも授業の合間なので、
下見も時間が限られる。
1時間ほどで段取りを確認し昼食タイム。
近所の日本料理屋さんでランチタイム。
僕は天ぷらうどんをいただく。
ほとんど日本と変わらない味にほっこり。
そこから車で約1時間のエヴェレット・コミュニティー・カレッジへ。
ここの日本ビジネス・インステュートが明日の会場。
大学の一角らしいが、きれいな日本庭園もある独立した施設。
ここでも机だけでは高座として低いのでいろいろ工夫してかさ上げし、
高座に上がるための階段もあちこちからいろんな物をかき集めて、
ディレクターのマユミ・スミスさんと段取り。
ここも授業の合間なので限られた時間内で下見しないといけない。
また1時間ほどかけてシアトルへ。
シアトルに帰ってくる頃にはすっかり夕方になっていた。
ホテルまでまた送ってもらい、近所のステーキレストランで食事してホテルに戻った。
明日から最終のシアトル講演。

2/28会場のワシントン大学コミュニティー・ビルディングの前で
ポール・アトキンス先生と。

ここも広大な敷地にきれいな芝生と煉瓦造りの校舎が並ぶ。

2/27講演のエヴェレット・コミュニティー・カレッジの
日本ビジネス・インステュート。
2月27日(火) エヴェレット・コミュニティー・カレッジ
ホテルの近所で朝食を済ませ、10時に真理ちゃんと領事館の吉仲・武田両氏がホテルに到着。
そこから車で1時間のエヴェレット・コミュニティー・カレッジへ。
今日も前後に授業があるので、設営は前の授業が終わって短時間でしないといけない。
授業にじゃまにならないからと、前日に組んだ高座はそのままだったし、
ケーブルも引き回したままだったので、後はスクリーンとプロジェクターの設置ぐらい。
スミス先生の挨拶の後開演。
日本人のお年寄りも早くから来てて、学生だけでなく小さな教室だけど補助席も出て
80人ほどで満席。
ここもやはりツボでちゃんと笑いが返ってくる。
字幕のタイミングもいいようで、日本人とアメリカ人の笑いがズレる事がなく、
ほぼ同時に起こる。
ここは時間がないので質疑応答はなし。
片づけの後記念撮影をみんなでして、昼食に出る。
車で少し離れた海の見えるレストランでシーフードをいただく。
スミス先生を学校まで送って我々はシアトルへ。
今日は夜、総領事主催の夕食会がある。
3時頃ホテルに戻ってきたが、それまで時間があるので、
モノレールでサイエンス・フィクション・ミュージアムへ行ってみる。
ところが行くと閉まってて看板をよく見ると冬は火曜休館と書いてある。
仕方がないので展望塔スペース・ニードルに昇ってみる。
街をぐるりと見渡して、また降りてきて土産物屋をのぞくが、
ここはパイク・プレイス・マーケットほどおもしろい物がない。
またモノレールで中心部に戻ってホテルに一旦帰った。
少し用事をして5時40分、ネクタイを締めロビーへ。
真理ちゃんも一緒に招待されたのでロビーで合流して二入で領事館の車へ。
総領事公邸はホテルから車で10分ほどの所にある住宅街の一角。
築100年ほどの落ち着いた邸宅。
コートを預け名札を付け地下へ。
初めは少人数での夕食会のはずだったけど、
参加希望者が増え30人ほどになってしまったので、
下のホールでビュッフェスタイルの食事会となった。
田中総領事夫妻に挨拶して席に着く。
総領事の挨拶の後僕のスピーチ、アメリカ人のお客さんのために
武田さんが通訳してくれる。
ギャグも交えながら3分ほどしゃべり、
最後に今回の機会を作ってくださった在シアトル総領事館のスタッフの皆様、
エヴェレット・コミュニティー・カレッジ、ワシントン大学の関係者の皆様に謝辞をのべ、
スピーチを終えた。
乾杯の後皆それぞれビュッフェテーブルから好きな物を取って、
それぞれのテーブルで談笑しながらいただく。
ここでもずいぶんたくさんの方と知り合えた。
2時間半ほどで食事会は終了。
総領事に挨拶して公邸を出る。
途中、吉仲さんが夜景のきれいなところがあると見晴らしのいい丘に寄ってくれた。
そこはスペース・ニードルとダウンタウンのビル群が正面に見える絶好の夜景スポットだった。
丘を降りスーパーに寄ってもらい、水と寝酒のワインを買う。
ホテルまで送ってもらって、真理ちゃんはまたそこから車で1時間半かけて帰っていき、
僕はワイン飲みながら遅れてるNY日記を書いて1日を終えた。

会場入り口に貼られたポスター。

会場の日本ビジネス・インステュートには、
こんなきれいな日本庭園がある。

茶室も立派。ここが僕の楽屋。
今までは先生の部屋や教室の一角で着替えてたけど、
やはり和室は着替えやすい。

補助席まで満席。バックには着物が飾られている。

日本庭園の門の前で。
右から領事館の吉仲さん、真理ちゃん、僕、
スミス先生、領事館の武田さん。

スペース・ニードルから見たシアトル市街。
相変わらず天気は悪い。

総領事公邸前で。
ここもおなじみ金色の菊の紋章が輝いている。

田中総領事ご夫妻と。

クィーンアン・ヒルから見たダウンタウンの夜景。
まるで未来都市のよう。
2月28日(水) ワシントン大学
今日の講演のワシントン大学は夜だし、それほど離れていないので、
ホテル出発は3時。
それまで時間があるので、朝シャワー浴びてPCで少し作業して、朝食に出る。
パイク・プレイスで食事して少しそのあたりを写真撮って、
今度こそサイエンス・フィクション・ミュージアムへ。
3度目の正直。
ガイドブックに朝10時オープンと書いてあるのでもう開いてる頃とモノレール乗り場に行くと、
モノレール乗り場が閉まってる。
あれれと思ってよく見てみると11時からとなっている。
ミュージアムが10時からなのにそこへ至る交通が11時からてどないやねん。
まぁバスはあるらしいけど、バスはややこしいので歩いていくことにする。
距離的には1.5kmぐらいの短い距離だし、モノレールのレールに沿って歩いていけば
道も間違わない。
テクテク歩いてミュージアムへ。
チケットを買って中へ。
「スタートレック」のカーク船長のキャプテン・シート、「エイリアン2」の女王エイリアン、
「禁断の惑星」や「ターミネーター」のロボットなどSF映画の撮影で実際に使われた物が
所狭しと展示されている。
またモノレールで中心部に戻ってきて、真理ちゃんに少し早く来てくれるように頼む。
実はシアトルにはブルース・リーの墓がある。
アメリカ人と結婚してシアトルに一時住み、カンフー道場もこの地で開き、
今日講演するワシントン大学にも通っていたそう。
ショッピングセンターのフードコートで昼食をとり、
真理ちゃんとホテルで合流し、車でレイクビュー墓地へ。
ガイドブックに墓の位置もイラストで記されているが、
敷地も広いしなかなかそれらしい墓が見つからない。
あちこち探してやっと写真で見た墓石を発見。
常にファンが訪れるようできれいな花がいくつか添えられている。
お参りしてすぐにまたホテルへ。
そそくさと支度して領事館の車でワシントン大学へ。
ここは枝雀師匠やかい枝くんも英語落語で来たそうだけど、
日本語の落語は初めてとのこと。
ここも先日設営段取りをすでにしていたのでテキパキとみんな作業して
設営完了。
劇場のようなシートのある教室で80人ほどで満席だが、
観客が予想以上に増え、
通路に2列に座って後ろも立ち見が出るほどの盛況。
アトキンス先生のスピーチの後本番。
落語解説の時のつたない英語のギャグも反応よく笑いが返ってくるし、
落語もよくウケる。
最後の質疑応答もアメリカ人学生、一般日本人など、
あちこちから熱心な質問が飛ぶ。
笑いも交えながらとてもアットホームな雰囲気で講演終了。
本当にいい最終日が迎えられた。
撤収後地元フリーペーパー「北米報知」の取材を受け、
また領事館の車でホテルに送ってもらい、
近所のエスニック料理屋で食事してホテルに戻った。
これですべてのスケジュール終了。
後はNYに戻って夏のNY公演の準備など雑用をこなしながら、
少しNY観光するつもり。

サイエンス・フィクション・ミュージアム。
建物の形もユニーク。真ん中をモノレールが通っている。

「スタートレック」カーク船長の椅子。

出演者サイン入りのエンタープライズ号。
すごいお宝。

「禁断の惑星」や「ターミネーター」、「アイ・ロボット」などの
ロボットたち。

「砂の惑星」のカチンコ。

各種銃器。右上は「エイリアン2」の海兵隊の装備。

「エイリアン2」の女王エイリアン。
すべて実物大の物が展示されている。

ブルース・リーの墓参り。
隣は息子のブランドン・リーの墓。

常にファンが訪れるようできれいな花やお供え物が
たくさん供えられていた。

通路までびっしりの聴衆。
熱心な質問や和やかな雰囲気、本当にいい楽日を迎えられた。
3月1日(木) シアトルからNYへ
朝5時に起きてバスで空港へ。
空港行きのバスが主要ホテルを循環して空港へ行くそうで、
うちのワーウィック・ホテルの横にもバスが着くそう。
始発の6:25に乗るつもりだが、ちゃんと外で待ってないと、客がいないと思って
通り過ぎるらしい。
6時ぐらいからスーツケースとプロジェクターを持って外で待機。
時間通りにバスが来て乗り込む。
始発なので客は数人。
25分ほどで空港到着。
またEチケットの機械でとまどい、係員に手伝ってもらいながらチェックインする。
セキュリティーはいつも大変。
パソコンをカバンから出し、コート、上着に靴まで脱いでトレーに入れ、
パソコン、プロジェクター、カバン、コート、ジャケット、靴と順にX線を通す。
乗客はみんな慣れたもので、セキュリティーの所に来ると、一斉にコートや背広、靴を脱ぎ、
ベルトをはずし、ポケットから携帯や小銭を出し・・・と、
まるでこれから風呂でも入るのかと言うぐらいの勢いで脱ぎ出す。
いつもプロジェクターはX線検査に引っかかる。
必ずカバンを開けて布で全体を拭き機械にかける。
どうも薬品や火薬の臭いを検知する機械のようで、
この検査をして異常なしとなると放免される。
2001年の英仏公演の時、ロンドンからパリに移動するときは大変だった。
ちょうど9.11のテロの次の日でセキュリティー・レベルが最高だったとみえて、
飛行機に乗るまでにX線2回、ボディーチェックも2回で、
パソコンもX線だけでなく臭い検知器でチェックされた。
そういえば昨年12月のカナダ公演の時にトロントのCNタワーに昇ったときも、
金属探知器と臭い探知機のゲートをくぐって中に入った。
どうもシンボル的建物はテロの標的になるようで、展望塔もセキュリティーは厳しい。
フライトはNYまで約6時間。
この間遅れているNY日記を書く。
時間はたっぷりあるし缶詰状態なので作業がはかどる。
またアメリカ大陸を西の端から東の端まで飛んで、ニューアーク空港へ。
タクシーの列に並ぼうとしたら係の物が行き先を聞くのでマンハッタンと言うと、
マンハッタンは向こうだという。
言われる方向に行くがそれらしい乗り場が見あたらない。
同じように列に並ぼうとしてたおばちゃんを連れてその男がこっちと案内して、
言われるまま付いていくと駐車場に入る。
あれれと思うまもなくスーツケースを素早くトランクに入れる。
見ると車はイエロー・キャブではなく黒塗りのリンカーン。
リモと呼ばれるリムジン・タクシーで、いわば白タク。
マンハッタンにはすごくたくさんこのリモが走っていて、
タクシーより少し高いぐらいだからと利用者も多い。
値段を聞くと$65という。
少し高いが疲れているのでそのまま乗り込む。
まずおばちゃんをホテルまで送って、それから僕のアパートへ。
結局高速代や州を越えての料金やチップなどで$100ほどボラれてしまった。
相乗りなのに・・・・。
JFKやラガーディアにはタクシー乗り場に係員がいて、
もし何かあったらここへ連絡をという紙を配っているので割と安心してタクシーに乗れる。
ニューアークもその係の人だと思ったら白タクのおっさんだった。
なまじJFKやラガーディアを経験してたのがあだとなって、警戒を怠ってしまった。
アパートに戻って荷をほどき夜は食事会。
落語好きの新谷啓子さんが仲間を集めて食事会を開いてくれた。
新谷さんは彦八まつりもわざわざNYから見に来るくぐらいの落語好き。
ミッドタウンのギリシャ料理屋に行くと参加者はほとんど女性。
約10名ほどでワインを飲みながら談笑。
みんな生の落語家とNYで会うことなんかないから、あちこちからいろんな質問がくる。
いろんな人の話を聞くのも面白く、「へ~」と思ったのは牛肉問題。
狂牛病で米国産牛肉の輸入を日本がストップした時、
アメリカも報復で日本の牛肉を輸入禁止にしたそう。
日本はアメリカに牛肉などあまり輸出してないからたいしたことではないと思ったら、
レトルトのカレーの肉もだめになり、
日本からはレトルトのカレーすら肉抜きだったらしい。
「飛行機の客室乗務員に頼んでレトルトカレーを日本から買ってきてもらったら?」と聞くと、
輸入禁止の物を持ち込むと密輸になる。客室乗務員が密輸するとクビになるからだめとのこと。
参加者に地元のフリー・ペーパー「アメリカン・ドリーム」の板越ジョージさんもいて、
取材の依頼を受ける。
では来週の月曜日にと約束してお開き。
その後数名でまたカフェでだべって車でアパートに送ってもらった。

ギリシャ料理屋さんで食事会。
不動産・弁護士・出版など、みんないろんな仕事をNYでしてる。

店の前で美女に囲まれて。
3月2日(金) 劇場下見
今日も夏の公演で使う劇場を下見する。
朝から雨が降り出している。
傘をさして外に出るとやはり少し暖かい。
さすがに3月ともなると暖かくなっていくよう。
アパートから2駅ぐらいの所にある劇場前で高橋さんと待ち合わせして中へ。
外から見た感じとはずいぶん違ってきれいで立派。
客席も200ちょっとと見やすく、おまけに小さいながらもオーケストラピットまである。
なかなかいい感じ。
そこからまた地下鉄に乗って別の劇場へ。
いくつかの劇場がある複合シアター。
ここも広さも雰囲気もなかなかいい。交通も便利やし。
3軒目と4軒目の劇場は夕方からしか見られないと言うことなので一旦解散。
一度アパートに戻っていろいろ作業してまた劇場前で待ち合わせ。
2軒下見して高橋さんと別れ、カーネギホール向かいの日本クラブのレストランへ。
こちらで保険会社などやっている門田さんと食事して、
車でアパートまで送ってもらった。

劇場スタッフにいろいろ質問する高橋さん。
落語しやすそうなこぢんまりした劇場がNYにはゴロゴロある。
3月3日(土) 暖かな1日
このところ急に暖かくなった。
さすがに3月に入ると寒さも緩むよう。
昼までいろいろ作業して、昼過ぎから街に出てみる。
今日は10数度あるようでコートなしで表を歩ける。
ジャケットだけ羽織って外に出る。
少しまだ早いかなと思うけど、全然寒くない。
ポカポカ陽気。
今日は土曜なのでフリーマーケットが出てるかもと思い、
ミッドタウンまで地下鉄で行ってみる。
電車を降りてトコトコ西へ歩く。
マンハッタンの地下鉄は南北は便利だが東西の移動はバスかタクシー。
少々の距離は歩くのが基本。
暖かいし、まだ通ったことない通りを街を眺めながら歩く。
フリーマーケット開催場所に着くが、
まだシーズンオフと言うこともあって店があまり出ていない。
それに4時を過ぎてたので店じまいしてるところもある。
いくつか露天を眺めるがめぼしい物はない。
またテクテク歩いて地下鉄の駅に向かい、
お馴染みの59丁目の百貨店ブルーミング・デールズへ。
ここで少し買い物して、歩いて56丁目の中華料理屋へ。
今日は商社の垣見さんと会うことになっている。
垣見さんも人づてに紹介され、
日本にいる時からメールで何度かやりとりしてる。
NYに来てから講演や何やらでいろいろ忙しく、
やっとお目に掛かることができる。
「ジョーズ上海」という飲茶のおいしいお店で中華料理を頂きながら、
夏のNY公演の相談。
いろいろとアドバイスをして頂く。
こっちに来てからかなりたくさんの人とお目に掛かって話をした。
日本にいる時に各方面にNY公演の協力者をメールで紹介してもらい、
1ヶ月の滞在期間中、仕事の合間を縫って精力的にアポを取って会うことにしてる。
やはり電話やメールでは話は進まない。
直接本人が出かけていってちゃんと顔を見て話すると、
みんな親身になって話を聞いてくれ、的確なアドバイスと協力者の紹介をしてくれる。
遠い異国の地で何という心強い事か。
NYで仕事してる人たちにたくさん会ってきたが、会社員や独立してる人を問わず、
みんなここではタフに生きているし、独立心がある。
そして会社関係なしに自分が面白いと感じたら協力を惜しまない。
今回のNY生活で一番の収穫はこのNYでの人間関係だと思う。
この財産を後はどう膨らませるか、これからが正念場。

地下鉄構内でのパフォーマンス。地下鉄のいたるところでストリート・ミュージシャンや
ダンサーがパフォーマンスしてて楽しい。

百貨店ブルーミング・デールズの売り場での人形ぶり。
長時間じっとしてるのでマネキンのよう。

こちらはボディーペインティング。
週末は百貨店に行くだけでもいろいろと楽しい。
3月4日(日) NYで写真撮影
今日も午前中家で作業。
通りに面した机に向かって仕事してると何やら外で鐘の音が聞こえる。
消防車かとも思ったがどうも音の間隔がのんびりしてる。
窓からのぞくと通りにバンが停まってて、運転席の横に付いた鐘をたたいてる。
車の天井にはナイフの絵と「SHARPEN KNIVES」の文字が。
どうやら包丁研ぎのよう。
日本でももうあまり見かけなくなった包丁研ぎが、マンハッタンでまだいるなんて少し驚き。
昼過ぎから独演会用の写真撮影をすることになっている。
この機会やからNYで独演会のチラシ用の写真を撮ることにした。
サルサの牧野さんにアマチュアカメラマンを紹介してもらい、
先日お目に掛かった演出家の藤枝さんに車の運転をお願いしている。
藤枝さんはこっちで剣道を教えててその稽古が2時まで。
3時頃にアパートに迎えに来てくれる。
先日食事した門田さんは実は藤枝さんの教え子だった。
まったく別のルートから出会ったけどすごい偶然。
2時半頃タンスから黒紋付きと袴を出してきて着換える。
本当は昨日撮影する予定だったけど天気予報では雨がぱらつきそうだったので
1日順延した。
でも昨日はまったく雨は降らず晴天で穏やかな天気だった。
3時頃に藤枝さんが来て車でルーズベルト島へ。
先日行ったルーズベルト島からマンハッタンをバックにまず撮る。
牧野さんとカメラの斎藤さんとはこのルーズベルト島で待ち合わせしている。
クイーンズボロ・ブリッジを渡ってまず、クイーンズまで行き、
別の橋で少し戻る形でルーズベルト島へ。
マンハッタンのすぐ東の小さな島だけどマンハッタンからは直接渡れない。
駅で合流して橋のたもとでミッドタウンの摩天楼をバックに写真撮影。
またマンハッタンに一度戻り、南下してブルックリン・ブリッジを渡って対岸のブルックリンへ。
ここも先日牧野さんに教えてもらったところ。
でもずいぶん寒い。
昨日までの暖かさはどこへやら、撮影の合間は着物の上からコートを着ておかないと
ぶるぶる震える。
写真を撮っていると、外国人と日本人のカップルが声をかけてきた。
聞くとロンドンに住む日本人の女性は誕生日でNYに彼と旅行に来たという。
それを聞いて牧野さんも「私も今日誕生日!」。
なんと今日誕生日の日本人二人がブルックリン・ブリッジで出会った。
何たる偶然。
そこでも何枚か写真を撮って陽が落ちてきたので、今度はタイムズスクエアへ。
暗くなった方がタイムズスクエアのネオンが映える。
タイムズスクエアの真ん中で紋付き袴で写真を撮っていると、
タクシーの運転手が「ヘイ、サムライ」などと声をかけていく。
でも寒い。
かなり気温は下がってきたよう。
この後リンカーン・センターにも行ってみたが、
暗くて写真はいまいち。
気温もかなり下がってきたので撮影を終了し、誕生パーティーのある牧野さんを下ろして、
一旦アパートへ。
すぐに着替えして今度はコリアン・タウンへ食事に出かける。
今日1日お世話になった斎藤さんと藤枝さんを焼き肉でお礼。
久しぶりの焼き肉で暖まった。
帰りはまたアパートまで車で送ってもらった。

マンハッタンの包丁研ぎ。
こんな大都会でこういう商売が残ってるとなんかほっとする。

マンハッタンをバックに誕生日の美女二人と。

一番賑やかなタイムズスクエアの真ん中で。
3月5日(月) ウッディー・アレン
今日も午前中はなんやかや作業して昼からフリー・ペーパー「アメリカン・ドリーム」のインタビュー。
先日のギリシャ料理屋さんでの食事会でお目にかかった板越ジョージさんのオフィス兼自宅へ。
オフィスは別にあるらしいが僕のアパートに近いしこっちの方がゆっくり話できるからと、
地下鉄で2駅の68丁目へ。
ドアマンが二人もいるような大きな立派なアパート。
そこで1時間ちょっとインタビューを受け、掲載する写真は昨日撮った
NYでの紋付き姿を使うことになった。
デジタル一眼で撮ってもらったが、データはまだもらってない。
後日メールで送ることにする。
帰ってきてまた家で作業して、夜はカフェ・カーライルへ。
ウッディー・アレンが毎週月曜カフェ・カーライルに出演してるとネットで見つけた。
でもNY在住のジャズファンも、アレンはもう出てないでしょうと言う。
カフェ・カーライルのサイトを見つけて見てみるとやはり1月から6月まで毎週月曜出演と書かれている。
古い情報が放置されてるのかも知れない。
でも本当に出演しているのなら是非見てみたい。
9日にはNYを発って帰国するので、この日が最後のチャンス。
先週の土曜日カフェに電話を入れて聞いてみた。
「ウッディー・アレン氏は毎週月曜出演していますか?」
と聞くと「イエス」と言う答え。
「来週月曜日予約できますか」と聞くと、どうやら無理なよう。
レストラン席とバーカウンターの席とあると誰かが言っていたので、
バーの方は?と聞くと何やら言って「6:30」という。
「6:30」以外はよくわからなかったので、「6:30に行けばいいのですか?」と聞くと
そうだという。
本当にアレンが出演しているのか、そうだとしても6:30に行けばちゃんと入れるのか、
半信半疑のままカフェへ。
カフェ・カーライルはホテル・カーライルの一角にある。
このホテルは故ジョン・F・ケネディー大統領もプライベートで利用し、
マリリン・モンローとの密会もここだったらしい。
うちのアパートから1駅地下鉄に乗って76丁目のカフェへ。
6:25ぐらいに行くとすでに先客が6人ほど並んでる。
6:30、時間通り開場。
コートをクロークに預けて店内へ。
支配人らしいタキシードのおやじに予約してない旨を伝えるとバーカウンターへ案内された。
先客が奥から順番にカウンターに座っていく。
並んでた客は全員カウンター席の客で、テーブル席はまだ誰もいない。
メニューが配られ見てみると、確かに毎月曜ウッディー・アレンと書かれている。
しかし僕の席の前に大きな柱があってステージがほとんど見えない。
ライブが始まったら席を立ってどこかに陣取らないといけない。
ライブは8:30から。
それまでビールを飲みながらチキン料理を食べ、
サラダを食し、ジン・トニックを注文し・・・・と
2時間ねばる。
7時半過ぎになるとテーブル席の客もボチボチ来だして席が埋まり、
8時頃になると立ち見の客等も増え出す。
バーテンがカウンターの客にもっとこっちに寄ってと促し、
僕の席からも柱の影からステージが半分ぐらい見えるようになった。
そして8:30。
ウッディー・アレンが現れた。
本物や!
そして僕のすぐ前のテーブルに座ってクラリネットを組み立てだした。
そこのテーブルだけ空いてたので、まだ客が来てないのだと思っていたら、
アレンの席だった。
ほんの1mちょっとの距離に本物のウッディー・アレンがいる。
ちゃんと動いてる。(当たり前や!)
お馴染みの度の強い黒縁の眼鏡を掛け、
知り合いのおやじと何やら話しながらクラリネットを組み立てる。
そしてステージへ。
ステージと言っても別に壇があるわけでもなく、客席と同じフロアのスツールに座って演奏する。
他のメンバーはピアノ・ベース・ドラム・トランペット・トロンボーン・バンジョーの6人。
柱の影から何とかアレンは見えるものの、2人ほどメンバーが見えない。
隣の人にもたれるように寄って何とかアレンだけでも見えるようにする。
バンドはデキシーランド・ジャズ。
でもアレンはへたくそだった。
枯れた味と言えば味なのだが、へたくそなのにびっくり。
昔、自身のアカデミー賞の授賞式に、この日はクラリネットを吹きに行く日だからと休み、
何十年もマンハッタンのクラブで演奏してきたアレンがこんなにヘタだったとは・・・。
まぁほかのメンバーもたいしてうまくないけど、みんな楽しんで演奏してるよう。
100人も入るといっぱいのこのクラブで、マイクなど使わずまったくの生音での演奏。
アレンは自分のパートが終わって演奏しない時は床を見つめて、
まったく観客と目を合わそうとしない。
とても神経質でシャイな人のよう。
約1時間でライブは終了。
最後はステージでクラリネットを片付けながら、子供みたいな歌をぼそぼそ歌う。
これもご愛敬。彼なりのサービスなのだろう。
そしてテーブルの間を縫って、客に愛想もふらず、何事もなかったかのように消えていった。
料金を払いクロークへ。
クロークでチップがいるのかと回りを見渡すと後ろのおばちゃんが紙幣を握りしめてる。
慌ててチップの用意。
いくら渡せばいいのか?コートの引き替え券を渡して係がコートを持ってくる間に中を見ると
$1札がたくさん置かれてた。
では$1。
トイレはホテル内にある。
そこに行って用を足すと、白衣のボーイが蛇口をひねり、ハンドソープをかけ、
タオルを渡してくれる。
ここもやはりチップがいるようで、$1渡して外へ出る。
おしっこするのにも120円ほどかかる。
帰りは一駅なので地下鉄に乗らず、寒いけど余韻を楽しみながら歩いて帰った。
-1024x768.jpg)
カフェ・カーライルで演奏するウッディー・アレン。
-1024x768.jpg)
演奏しない時も観客と目を合わせず、ずっと床を見つめている。
紹介記事

2006年7月21日 日刊スポーツ
-1024x987.jpg)
2006年8月1日 朝日新聞夕刊
a.jpg)
2007年1月30日 スポニチ

在NY総領事館

在NY総領事館
a.jpg)
2007年2月15日 Harvard University Gazette
a-342x1000.jpg)
2007年3月7日 The North American Post
-1024x857.jpg)
2007年2月21日 北米報知
-800x1000.jpg)
2007年2月24日 週間NY生活
-1-1024x698.jpg)
2007年3月7日 北米報知
合成.jpg)
2007年4月 アメリカンドリーム
#落語 #英語 #字幕 #小春団治 #アメリカ #文化交流使 #文化庁 #ニューヨーク #コロンビア大学 #ピッツバーグ大学 #高校生日本語スピーチコンクール #国連学校 #ハーバード大学 #ホフストラ大学 #エヴァレット・コミュニティー・カレッジ #ワシントン大学 #ピッツバーグ #ボストン #シアトル