2010年 NY国連本部・カーネギーホール公演日記 |

2010年2月16日(火)~2月24日(水)
2010年2月19日
国連本部第3会議室
出演 桂小春團治「お玉牛」「皿屋敷」(英・仏・西・中字幕)
2月20日(昼夜2回公演)
ワイル・リサイタルホール(カーネギーホール内)
出演 桂小春團治「ちりとてちん」「さわやか侍」「冷蔵庫哀詩」
桂福矢「牛ほめ」、笑福亭喬若「七度狐」、桂ひろば「動物園」 (日本語のみ)
主催 NPO法人国際落語振興会
助成 文化庁
後援 在ニューヨーク日本国総領事館、松竹芸能株式会社
協賛 JAL、コニカミノルタ、モロゾフ株式会社、伊藤園、レストラン日本、サッポロビール
制作 ライブアクトインターナショナル
2月16日(火) 日本出発
今日からニューヨーク公演。
海外公演は2年半前のオフ・ブロード公演以来。
午前中ワッハ上方で今日一緒に行く桂福矢・桂ひろば・花登益子(三味線)らと、
小学生の落語鑑賞会やって、昼食後すぐに帰って残りの荷造り。
4時半に関空再集合。笑福亭喬若、字幕担当のティム・カーンらも時間通り集まってきた。
この10年いつも海外公演を共にしてる英国人のマイケル・ジャックソンは病気療養中で、
替わりに30年来の友人のカナダ人ティム・カーンに協力を頼んだ。
ティムは国際日本文化研究センターと言う国の機関で教えているが、
春休みだからと娘の沙里奈ちゃんと参加してくれた。
関空からサンフランシスコ経由でNYへ。
ずいぶん前からNYへの直行便は関空からないのでいつも不便。
ユナイテッドにチェックインしたがユナイテッドはエコノミー・プラスと言う席があって、
座席幅が少し広く前の席との間も39%広いという。
39%がどの程度かわからないけど、座ってみると確かに少しゆったりしている。
18:30関空発。サンフランシスコまで約10時間のフライト。
サンフランシスコで3時間ほど時間あったけど、入国審査や荷物の受け渡しなどで、
結局NY便のゲートでは1時間ほどの待ち。
サンフランシスコからNYまでまた5時間のフライト。時差も3時間ある。
こちらもエコノミー・プラスだったけど、こちらは国内線なので座席が少し狭い。
やはり国際線のエコノミー・プラスは普通のエコノミーに比べてだいぶん楽だった。
NYは昼間すごい雪だったそうで、ちゃんと着けるか心配したがほぼ時間通り23時頃着陸。
迎えのワゴン車に全員の荷物と鳴り物や字幕機材を積み込みマンハッタンへ。
ホテルは前回のNY公演と同じ定宿のパークセントラル。
ホテルにはプロデューサーの武部さんが待っていて、チェックイン後近所のダイナーで一杯飲みながら食事して
簡単な打ち合わせ。
帰りにデリでビールと水を買ってホテルに戻ってきた頃には夜中の3時になっていた。
2月17日(水)NY2日目
8時半頃目覚めたが、ネット接続がうまくできない。
このホテルはLANも無線LANもあって、前回はちゃんと繋がってたのに、今回はいくらしても繋がらない。
毎回海外ではいつもネット接続は悪戦苦闘で、数年前までは原始的な音響カプラーまで持って行ってた。
(2003韓国公演日記参照)
結局繋がらず、仕方がないので10時頃ブランチを食べに近所のカフェへ。
12月の下見の時にも来たカーネギーホール横のカフェ。
今日は予備日で予定がない。
雪など悪天候で飛行機が着かなかったことを想定して1日予備日を設けてた。
荷物も行方不明になるおそれもあったし。
海外ではいろんな事を想定しておかないといけない。
昨日は昼間吹雪だったものの、夜には天候も回復したし、荷物もちゃんと着いたので完全にオフになった。
他のメンバーにも時差などに各自慣れ、長旅で疲れた体調を整えるため自由行動にさせた。
僕は夜にはちゃんと寝るため、いつものように昼間はなるべく動き回って疲れさせる作戦。
地下鉄でホイットニー美術館へ行き、その後徒歩でグッゲンハイム美術館へ。
美術館2軒はしごしてメトロポリタン美術館へ。
ここは3年前、文化庁から派遣されて1ヶ月文化交流使として滞在していたときに訪れているので
ショップだけのぞいた。
メトロポリタン前からバスで5AV.へ。
東京に出店した5AV.のアバクロをのぞきにいくと、
店の前に行列ができている。ここもすごい人気。
3階建ての店内をのぞいていると、僕の後援会会長で今回の公演もイタリア視察の後、
直接駆けつけてくれたモロゾフの川喜多社長とバッタリ出会った。
何の打ち合わせもしてないのに、5AV.のアバクロのごった返した店内で出会うとはなんたる偶然。
川喜多社長も話題のアバクロを見ておこうと来たらしい。
少し店内で立ち話をして視察で買い込んだゴディバのミントチョコをいただいて、
川喜多社長と別れタイムズスクエアへ。
ミュージカルの安売りチケットセンターのチケッツに並んで今夜の「ストンプ」のチケットを目指す。
「ストンプ」は映画館の予告編の後、ドルビーサウンドのCMに出てくるモップやドラム缶で
パーカッションやダンスをするパフォーマンスグループ。
みんなお目当ての芝居を安くゲットしようとチケッツ前は寒いのに長蛇の列。
並んでると目の前で男が警官に逮捕され、映画のように後ろ手に手錠をかけられて連行されて行った。
何をしたのか知らないけど、世界一の繁華街タイムズスクエアの真ん中で手錠をかけるなんて・・・
でも周りもそれほど驚いていない。えらい所やなぁ。
結局「ストンプ」は売り切れ。電光掲示板にはそんなこと書いてなかったのに。
仕方がないのでオフ・ブロードウェイの「アベニューQ」にした。
セサミストリートのスタッフが作った大人の人形劇。
一旦ホテルに戻って荷物を置いて6時にロビー集合。現地スタッフの高橋さんも合流して
近所の中華屋で食事。
前回も打ち上げを含めて何度か使ったが、ここは店先にいつも僕の公演のポスターを貼ってくれる。
今回も入ってすぐの正面にフライヤーを拡大した物が貼られてる。
2階奥の個室を確保してくれていて、これで出演者・主要スタッフ総勢10人全員そろった。
円卓を囲んで食事して僕だけ抜けて「アベニューQ」のニュー・ワールド劇場へ徒歩で向かう。
この劇場は3年前の文化交流使で滞在してたとき、夏の公演のための劇場探しで訪れた劇場だった。
あのときは雪の中現地スタッフの高橋さんと、フロリダで友達の結婚式に出た後、
NYに寄ってくれたマイケルとで何軒も劇場を見て回った。
席は400人ほど入る劇場の一番うしろの端。
芝居はセサミストリートのような街のセットで、人形を持った役者が操りながら芝居する。
人形のキャラはほとんどセサミストリートのような感じだが内容は完全に大人向けで、
人形同士がセックスするし、ゲイも出てくる。
セサミストリートのパロディーも満載。
かなりセリフが多くて、2割程度しか理解できなかった。
どうりで観客にほとんど日本人がいないはずや。
ブロードウェイで何度かミュージカルは観たが、「オペラ座の怪人」「ザ・プロデューサーズ」「シカゴ」と、
映画を観てたのでストーリーがわかってたし、「ブルーマン」はセリフほとんどなかったから良かったけど、
今回は難しかった。
でもオリジナリティのある舞台は勉強になった。
徒歩で帰ってきてまた近所のデリでビール買ってシャワーを浴び床に付く。

カタツムリのような形をしたグッゲンハイム美術館。
3年前は工事してて外壁がやぐらで覆われていた。

5AV.のアバクロには行列ができている。
こんなたくさん人がいるところで偶然モロゾフの社長と出会うとは・・・

オフ・ブロードウエイ「アベニューQ」の舞台装置。
セサミ・ストリートみたい。
2月18日(木) 国連高座搬入
今日も3時間ぐらいで目が覚め、4時過ぎから眠れず悶々とした時間を過ごす。
完全に時差ボケ。
いつも海外公演で眠れないときは、起き出してPCに向かって公演日記など書いて作業する。
またカーネギー横のカフェでブランチして地下鉄でブルックリンへ。
ブルックリンから対岸のマンハッタン、ブルックリンブリッジやマンハッタンブリッジなどを写真に撮る。
ホームページの表紙にも使っているボードウォークに行ってみると、雪がたくさん残ってて一面真っ白。
「ワンス・アポンナ・タイム・イン・アメリカ」のポスターでおなじみの古い建物の間から
マンハッタンブリッジの橋桁が見えるスポットを探し出し、そこでも一枚。
その後またマンハッタンに戻ってウォール街のトリニティー教会へ。
毎週木曜は1時からコンサートがあるとガイドブックに書いてあったので行ってみた。
行くと確かにコンサートの案内は出てるが、料金が違う。
ガイドブックには$2と書かれていたが、表示は$5。
3年前のNY滞在時に買ったガイドブックなのでその後値上げしてたよう。
美術館の料金も地下鉄の1日券もみんな値上げになってる。
3年の間にこんなに軒並み値上げされてるとは・・・
ピアノとフルートの伴奏でソプラノ歌手が小一時間ほど歌ってコンサート終了。
献金箱に$5入れて、近所のグランド・ゼロへ。
同時多発テロで崩壊したワールドトレードセンターの跡地。
3年前は何もなかったが、今は新しい建物の建設がやっと始まったよう。
向かいの「センチュリー21」と言う不動産屋みたいな名前の安売りショップで少し買い物してホテルに戻って、
字幕班のカーンと娘の沙里奈ちゃんとで僕の部屋でリハ。
テーブルが小さいのでベッドの上にパソコン2台並べて二人が落語に合わせて字幕を送ってく。
細かなタイミングを確認し一通り終わったところで、僕はプロデューサーの武部さんと国連へ。
明日使う第3会議室は僕らのために一日空けてくれたようで、今夜の内に高座などが設営できるようになった。
現地スタッフの高橋さんと、国連代表部のスタッフが待っていてくれて国連の本部ビルへ。
12月の下見の時にも来たが国連の金属探知器は感度が高い。
テロの目標であるアメリカの航空会社は保安検査の金属探知器のレベルが高く設定されてるが、
ベルトまで引っかかったことがない。ところがここはいつもベルトをはずさないとピーピー鳴る。
第3会議室に入ると会議が終わったところのようで、まだ何人かが話してる。
少し待ってチェアマン席の前あたりで設営の段取り。
待ってると国連イベント担当スタッフのフェルナンドさんもやってきた。
12月の下見の時にフェルナンドさんと古い方の会議室で、高座設営の段取りとかを打ち合わせていた。
実は国連ビルはアスベスト問題で大改修に入っていて、今回別棟に建てられた新しい会議室での公演となってた。
下見の12月はまだ新しい会議室ができてなくて見ることができなかった。
古い会議室は議長席を中心に半円形に机が配置されていたが、
新しい会議室はまっすぐ一列に机がレイアウトされている。
そしてニュースなどでおなじみの、机にそれぞれ通訳用のヘッドフォンとマイクがセットされている。
鳴り物を隠す舞台袖を作るためのパーテーションが運ばれ、舞台業者が高座を運び込む。
国連は会議の場なので公演に必要な物はほとんど持ち込まないといけない。
高座は鉄骨のやぐらを組んでその上に天板を乗せて階段を付けると言うもの。
ところが業者が天板の寸法を間違えて別の物を持ってきてしまった。
これからマンハッタンから川を渡ってロングアイランドまで取りに戻るという。
他のメンバーは先に夕食に行ってて、設営終わりで合流する予定だった。
待っていると遅くなりそうなので、電話をかけ食事の後ミュージカルを見に行くという喬若らを行かせて、
高橋さんを残して武部さんと他のメンバーと合流した。
わざわざ国連まで行って高座設営を立ち会ってたのに、行った意味がない。
舞台業者には30数万円払ってるらしい。
日本では高座は折りたたみの会議机やビールケースなどでも組めるが、こちらで机を並べて高座をと言うと、
安全面が確保できないから
セキュリティー担当が許さないと言う。
現に高座にも保険がかけられていて、落ちて怪我したりすると最大100万ドル出るらしい。
初めの打ち合わせでは1.5mの高さの高座に座ってと言うと、国連からも落ちると危険だから
高座に手すりを付けろと言われた。
手すりで囲われた高座なんて聞いたことがない。
絶対に落ちないし、もしも落ちて怪我しても一切の責任はこちらで負うからと交渉した。
人件費に運搬費、保険で30数万にもなってるよう。
こんなに値段の高い高座なんて初めて。
日本なら30万あったら高座どころか、ちょっとしたホールごと借りられる。
夕食の後、また近所のデリでビールを買って部屋で仕上げ。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のポスターと同じ構図でマンハッタンブリッジを撮る。

ウォール街のトリニティー教会と墓地。
道は除雪されているが、本当はこれぐらい積もってる。

国連第3会議室に運び込まれた高座のフレーム。
こんな鉄骨組んだだけの高座に30数万円かかった。
2月19日(金) 国連公演
今日は国連での公演。
9時半にホテルのロビーに集合し、タクシー3台にそれぞれ荷物を積み込み国連本部ビルへ。
国連前は見学ツアーの観光客ですでに行列ができている。
プロデューサーの武部さんが全員に今回の公演用IDパスを配布し、首からぶら下げる。
別の入り口から中に入ろうとすると、警備からそこに全部の荷物を置いて待てと言う。
ひとかたまりに荷物を置いて待っていると、別の警備員が犬を連れて登場して、
僕らの荷物を犬がくんくん嗅いでいく。
非常にセキュリティーが厳しい。
観光客とは違う入り口に案内され、そこからまたX線検査や金属探知器をくぐって館内へ。
一旦本部ビルの本館に入って、隣の新館へ。
ここは観光客も入って来ない関係者エリア。
現地スタッフの高橋さん、前回のNY公演も手伝ってもらったNYで俳優をしている鈴木さんとも合流して、
公演会場の第3会議室へ。
約400人ぐらい入れる所だけど、横広で変なところに柱もあって字幕が見にくいので、
3ブロックに別れている真ん中のエリアだけに客を入れて使うことにする。
高座も昨夜の内にちゃんと設営されていた。
鳴り物班に持参した毛せんを高座にかけさせ、僕と武部、字幕班はプロジェクターとコンピューターの位置決め。
最前列の席をスタッフ用として、机にプロジェクター2台とコンピューター2台をそれぞれ設置していく。
向かって左側が英語とフランス語の字幕、右側がスペイン語と中国語の字幕。
実はこの第3会議室は正面に2枚の大きなスクリーンとプロジェクターが初めから設置されているが、
それを使うと高座と字幕が離れすぎて目線の移動が大きく忙しいので、
チェアマン席の後の白壁に直接字幕を映す事にした。
それでプロジェクターも2台日本から持ち込んでる。
いつもの海外公演より機材が多い。
ノートパソコン2台、プロジェクター2台、ケーブル類、
もしもの時に供えてプロジェクターの交換ランプまで。
このプロジェクターの交換ランプは5~6万円もするが、
プロジェクターが使えないと字幕が出せないので大切な機材。
こちらの設営はあらかた終わったが国連側のスタッフが分業制で、音響スタッフが来ては設営し、
また別の時間に照明スタッフが来てと作業が分断されてはかどらない。
おまけに12時になると1時間完全に昼休みになるし。
我々も届けられた弁当を食べに2階のカフェテラスへ。
他の会議室からも会議が終わって、ぞろぞろカフェに人が集まってくる。
昼食後今度は控え室のしつらえ。
2組の着物を吊す所がないので、明日使うめくり立てを壁のコーナーの出っ張りに乗せて、
壁にガムテープではっつけた。
新築の国連ビルでこんなこと勝手にやってええねやろか。
字幕の微調整をしてると国連イベント担当のフェルナンドさんが来て、
字幕のスペイン語のおかしな所をチェックしてくれた。
ほんとに気さくなええおやじさん。
客席後部にも、字幕の位置に合わせ、こちら側が英語とフランス語、
こちら側がスペイン語と中国語席と貼り紙も貼っていく。
音響、照明などの設営が完全に終わったのは3時を回っていた。
字幕のタイミングや段取りなどを確認するため、もう一度リハをするつもりだったのに遅くなってしまった。
とりあえず頭から通しでやってみる。
一通り終えて、細かなところをチェックし終わったときにはもう5時半になっていた。
6時半から開演なので客入れは6時から。
向かいの控え室に移動して準備。
国連は誰でもひょいと入れる所ではないので、日本総領事館から各国の領事館へ、
また国連日本代表部から各国の代表部、国連職員へ招待状が送られてるが、出席の返事は80ほどらしい。
会議が何時に終わるか読めないので返事を出さずに当日来る人もいるので100人ぐらいだろうと言うことだったが、
ふたを開けると倍の200人近くが来ていた。
開演して高座から客席を見ると、最前列に国連、総領事館両方の3人の日本の大使も座ってるし、
いろんな国の人たちがマイクの突き出た机を前に座ってるので完全に国際会議の様相だけど、
反対側から見ると国連旗の間に英・仏・西・中、いろんな言葉の字幕が出てて、
その真ん中に赤い台の上に着物着た男が座ってると言う変な光景だっただろう。
演目はいつもの「お玉牛」と「皿屋敷」。
字幕のタイミングもいいようで、ちゃんとツボで笑いが返ってくるし反応も上々。
終演後、会議室前のロビーでレセプション。
紋付き袴のまま行くと、ロビーに観客がごった返してる。
今回のこのレセプションにはNYの老舗日本料理店「レストラン日本」や、サッポロビール、
伊藤園、モロゾフなど有名企業からも協賛をいただいてて、オードブルなどの評判もいい。
ロビーでいろんな国の方に声をかけられ、一緒に写真を撮り、プログラムにサインをする。
今までの海外公演はその国の人達が相手だったが、こんなにいろんな国の人達が混在した公演は初めて。
言葉や文化や肌の色が違っても同じ落語で笑い合うことができる。
海外公演を始めて10年の節目に、国連という最高の舞台でそれが証明された。
レセプションの途中で会議室に戻り、今度は囲み取材。
テレビカメラや新聞記者らに囲まれインタビュー。
日本から来たおなじみの新聞記者もいる。
インタビューの後、またレセプションに戻っていろんな国の外交官達とカーンの通訳で話をして無事終了。
着替えて荷物をまたタクシー3台に乗せてホテルへ。
一旦荷物をそれぞれの部屋に置いて、近所の日本料理屋へ。
今日は金曜の夜なので店はどこも一杯で、何とか一軒の日本料理屋に全員入ることができたが、
メニューはもうラーメンと餃子しかできないという。
ビール飲みながらそれぞれラーメンすすってお疲れ様。
帰りにまた近所のデリでビール買って部屋に戻った。

国連前に勢揃いした一行。

英・仏・スペイン・中国語、4カ国字幕の皿屋敷。
字幕の両サイドに国連旗が立っている。

レセプションの後、会場でプレスに取り囲まれて合同インタビュー。
その日の内にNHKと日テレの全国ニュースで流れたらしい。
2月20日(土) カーネギー公演
今日はカーネギーホールでの日本人向けの公演。
僕が3席と鳴り物でいつも同行してる福矢・喬若・ひろばらもそれぞれ1席の計6席。
9時45分にホテルロビーに集合してカーネギーへ。
ホテルはカーネギーとは道路隔てた斜め向かいなので徒歩でガラガラ荷物を引いていく。
楽屋に入って、カーネギーでは何度も公演しているプロデューサーの武部氏から諸注意。
NYは非常にユニオンが強く、特にカーネギーはうるさいので、勝手に舞台にある物、
マイクスタンド一本動かしてはいけない。
スタッフの許可無く舞台や客席に入ることもだめ。
自由にしていいのは楽屋だけらしい。
カーネギーホールは3つのホールからなり、僕らの会場は小ホールに当たるワイル・リサイタルホール。
2階席も含めると260席ほどのこぢんまりしたホールだけど、
天井から豪華なシャンデリアが下がる雰囲気のいいコンサートホール。
3つの楽屋を部屋割りしてスタンバイしていると、スタッフが来て舞台に置いたピアノを動かしだした。
高橋さんから聞くと、カーネギーではまずピアノを動かすことから仕事が始まるらしい。
つまり舞台上にグランドピアノと椅子だけが置かれている状態が、基本の舞台設定らしい。
ピアノを動かした後、僕と武部、高橋の3人だけが舞台に入る許可をもらって舞台へ。
まずは高座の設営。
舞台のチーフがスタッフに台を持ってくるように指示。
このチーフは日本円で年収5,000万の高給取りで、ユニオンの偉いさんでもあるらしい。
スタッフが台を運んできて舞台の中央へ。
実はカーネギーでの公演はこの高座が一番のネックだった。
カーネギーホールは舞台上に置けるのは楽器と譜面立てと椅子だけ。
それ以外は一切置くことを認めないという。
12月に下見に来たとき、舞台の高さが50cmほどしかないので、
フロア・マネージャーに高座を置かせて欲しいと言うと、だめだと頑として認めない。
低いので何とか台をと懇願するとハープの台ならいいと言う。
大ホール裏に置かれたハープの台を見に行くと、2台並べると広さ的にはOKだが20cmちょっとしかなく、
おまけに椅子がずり落ちないように止めるため半分だけ縁が付いている。
これでは低いのでこのハープの台を2段重ねにと言うと、ここでもまた安全上それは認められないと言う。
では平台と箱馬はと日本の舞台ならどこでもある道具を聞くと、それもないと言う。
大ホールとかでオペラなどするときはどうするのと武部さんに聞くと、
舞台装置など組むような公演はカーネギーでは一切してないと言うこと。
今のままでは客席から見ると演者の顔しか見えないが、ハープの台で妥協するしかなかった。
しかしもう一度ダメもとでチーフに、これでは低いのでもう一段ハープの台を重ねられないかと聞いてみると、
『ハープの台は2台しかないが、じゃあチェロの台を』とあっさり向こうから言ったのにびっくり。
あれだけ交渉してだめだった物をあっさり許可するとは・・・。
そのことをチーフに高橋さんが言うと、『ハウス・マネージャーがそう言ったかもしれんが、
わしがOKならOKだ』と。
さすが年収5,000万の親方。心強い。
チェロの台が2台運ばれてきてハープの台の上に乗せる。
チェロの台の方が少し小さいので、2段なのがよくわかるが仕方がない。
チーフの許可を得て客席に降りて椅子に座って見てみる。
これなら腰から上が何とか見ることができる。
名だたる演奏家が使ったチェロとハープの台を高座にするなんて、カーネギーらしいなぁ。
30数万円かけた国連の高座といい、カーネギーの高座といい、今回のNYは高座に思い出が残る公演となった。
福矢・喬若・ひろばも舞台に入ることが許され、毛せんを自分たちでかける許可を得て
(いちいち許可を得ないといけなくてじゃまくさい)高座設営。
めくり立てはお寺の落語会などで使ってる照明用のビデオライトのスタンド。
完全なコンサートホールなので舞台袖がなく、
囃子場は舞台の後ろのピアノを出し入れするドアを薄めに開けて裏で演奏する。
音がこもりそうだし、客席からドアの隙間が見えて鳴り物が見切れてしまうかもしれないけど仕方がない。
高座のマイクを設定し、裏のお囃子を演奏してみると、
ドアの隙間からしか音が出ないのに三味線も太鼓も音がこもらず生音でもクリアに聞こえる。
一旦用意した鳴り物用のマイク類も撤収して生音で演奏することにする。
改めて高座用のマイクレベルを鳴り物を演奏してレベルを微調整する。
上方落語は噺の中に“はめもの”と言われる効果音やBGMが三味線や太鼓で入るので、
サウンドチェックも必要な仕事。
昼前には準備は完了し、お弁当をと言う話もあったが、今日は昼夜2回公演で楽屋で弁当を食べると
一日室内で過ごしてしまうので、気晴らしにいつもの中華屋に昼食をとりに行くことにした。
食事の後また気のいい親父はポスターやフライヤーを持ってこい、店のあちこちに貼ってやるからと、
しきりに言ってくれた。
もうすでに玄関正面に大きく僕のポスター貼ってるのに。
開演1時間前に楽屋に戻り準備。
30分前に開場するとお客さんがぞろぞろ入ってくる。
ほんとなら開場の時に一番太鼓を叩くが、へたに音出しすると開演と見なされ
料金のカウントが始まるおそれがある。
カーネギーは昼夜2回公演の時間押さえているが、パフォーマンスの時間は1回で3時間という契約になっている。
3時間を1分でも過ぎるともう1回分の料金がチャージされるらしい。
ハウスマネージャーの部屋に音に反応する録音機が置かれ、音出しと同時に時間のカウントが始まる。
公演時間は約2時間30分。少し押しても2時間45分で終える予定だから、
開演30分も前から音を出してそこからカウントされると、もう1回分チャージされてしまう。
それで2番太鼓から始めることにした。
客席は2階席で少し確保してる席が空いている程度で満席。
トップのひろばから大きな笑いが返ってくる。
ひろば「動物園」、小春團治「ちりとてちん」、喬若「七度狐」、小春團治「さわやか侍」、
中入り、福矢「牛ほめ」、小春團治「冷蔵庫哀詩」、古典・新作・はめもの入りとたっぷり6席。
夫婦、家族連れ、大使、着物姿・・・、昼夜ともたくさんのお客さんが訪れ、笑い声が気持ちよく返ってくる。
三味線・太鼓の音の良さだけでなく笑い声の返りも気持ちいい。
カーネギーホールという世界有数の音楽ホールは、落語にもすばらしいホールであることがわかった。
2回目の終演は午後10時過ぎ。今日だけで6席しゃべったことになる。
昨日もリハを含めて4席。
2日間で10席は少しハードだったけど、何とか喉ももった。
ホテルの部屋は空気も乾燥してるので声の調子を心配してたけど、寝るときにバスタブにお湯を張り、
カーペットに水をまき散らし、その上なおマスクまでして乾燥から喉を守った甲斐があった。
10席何とか務めることができた。
撤収してホテルに荷物を置きに帰り近所のレストランで打ち上げをと歩いていると、
大阪からわざわざ取材しに来てくれた馴染みの記者とばったり。一緒に打ち上げ。
今回手伝ってくれたカーンの娘紗理奈ちゃんが12時に誕生日を迎えるので、
こっそり店に頼んでケーキとろうそくを用意してもらってみんなで祝った。
食事の後武部氏に近所のアイリッシュパブでと誘うと、みんなもゾロゾロ付いて来て、全員でもう一杯。
結局ホテルに戻ってきたのは朝の5時頃だった。

カーネギーホールの前で。
記録写真は撮ったが、出演者が自身のホームページに掲載する物でさえ、内部の写真は一切公開禁止にされている。
内部はこんな感じ→https://www.carnegiehall.org/About/Building-Overview/Weill-Recital-Hall

ホールの前には僕のポスターが貼られている。

カーネギー公演のチケット。
関係者用に確保した席なので料金は$0。
2月21日(日) オフ日
朝10時前に起き出して近所のカフェでブランチ後、ソーホーに行ってみる。
今までNYには文化交流使や公演、下見、観光も含めて5度ほど来てて、
通算滞在日数は60日ほどになるけどちゃんとソーホーに行ったことがない。
地下鉄でプリンス・ストリートまで出て、表通りから裏通りに入っていろいろ店をのぞいて回る。
今日は天気もすばらしく良く、暖かい。
ちょっと買い物して、一旦ホテルに荷物を置きに帰って徒歩でタイムズスクエアへ。
実は3日前に「ライオンキング」のチケットを買っておいた。
「ライオンキング」はチケッツに出ないので、劇場窓口で定価で買った。$128のオーケストラ席(1階)。
開演10分前に劇場に入り、プログラムを買って席に付く。
通路横の見やすい席でよかった。
昨夜はあまり寝ていないし、まだ時差ボケも残っているので、
睡魔が波状攻撃で襲ってきたが、ミントなめなめ何とか踏ん張った。
ダンスや歌だけでなく、衣装や装置もすばらしく、日曜日と言うこともあって子供連れも多く、
大人から子供まで楽しめるショーだった。
またタイムズスクエアからホテルまで歩いて帰り、部屋でちょっと休憩して6時45分ロビー集合。
今日は正式な公演打ち上げ。
ホテルから徒歩15分ほどの日本食のレストラン「そば日本」。
国連公演のレセプションでケータリングを協賛していただいた「レストラン日本」の姉妹店。
「レストラン日本」は日曜で休みと言うことでここになった。
昨夜の公演も来てくださったが、社長ご夫妻が日曜なのに
わざわざお店にも来てくださって改めてご挨拶。
「レストラン日本」はNYで一番古い日本レストランで、ここの食材もカナダでそばや
大豆を自家栽培してて豆腐や湯葉まで自家製。
湯葉、すき焼き、おでん、そばに名物松井カレーをいただく。
松井選手がヤンキースにいた頃常連で、松井選手の母親のレシピを再現したカレーだそう。
少し辛いけど深みのあるおいしいカレーだった。
打ち上げの後はまた近所のデリで買い物して部屋に戻った。

ソーホーの街並み。
古い建物がたくさん並んでる。

「ライオンキング」のミンスコフ劇場。
3年前と劇場変わってる。

NYを訪れる文化・芸能人らがほとんど訪れるという「レストラン日本」の倉岡社長夫妻と。
右端はプロデューサーの武部氏。
2月22日(月) 大使公邸夕食会
また4時頃目が覚め、パソコン開いて公演日記を書く。
時差ボケで眠れないときはいつもこう。
いつもの海外公演なら現地からホームページにアクセスして公演日記を更新するが、
今回はネットが全く繋がらないので、書きためて帰国してからまとめてアップすることにする。
日記を書いてるうちに、朝方眠くなってきて布団に潜り込む。
目が覚めたときは9時頃。
それから支度して携帯でパソコンメールチェックして、忘れてた一門新聞の原稿を書く。
今日締め切りでだが僕のパソコンからは送れない。
そこでワードで書いた文章をUSBメモリーに入れ、武部さんから一門新聞編集長の梅団治に送ってもらう手はず。
近所のカフェでブランチの後、武部さんの部屋から無事送信。
それからカーネギー見学ツアーに参加することにした。
小ホールは1日いたけど大ホールも見ておきたい。
喬若・ひろば・カーン父娘らとカーネギーのロビーへ。料金は$10。
ボランティアのおばあさんが10人ずつぐらい引率して丁寧に各所で説明してくれる。
2800人収容の大ホールはとてもエレガントで豪華。でも写真撮影は禁止。残念。
ショップでカーネギーグッズを買って、オイスターバーに行くというひろばとカーンと別れて、
喬若とタクシーで国連へ。
ショップで買い物のため。先日と同じようにセキュリティーチェックを受けて本部ビルの中へ、
時間があったら見学ツアーも参加してみようと思ったけど、3時からの回しか残ってない。
そこでショップだけ行ってお土産買って、
少し離れてるけどセントラルパーク下のおもちゃ屋さんまで歩いて行った。
今日も暖かくて歩くと気持ちいい。
おもちゃ屋で喬若と別れて、ホテルに一旦戻る。
武部・高橋さんとロビーで待ち合わせして今回の公演でお世話になった所への挨拶回り。
商工会議所、国連日本代表部と回って、最後はユニセフ。
実は地震で被災したハイチの子供達にユニセフを通じて寄付しようと、
国連・カーネギー両会場に募金箱を置いてた。
国連近所のユニセフの受付で来意を告げると募金担当者の部屋を教えてくれて、
エレベーターで上まで上がって貯金箱2つを担当者に渡した。
それからまたタクシーでホテルに戻って地元紙のインタビュー。
3年前の公演でも取材を受けてるし、
その前の文化交流使で滞在してたときにも会ってるおなじみさん。
取材の後部屋に戻って着物に着替え、武部さんらと総領事館大使公邸へ。
本来ならば大使は首都であるワシントンの日本大使館だけにしかいなくて、
NYは総領事館だから総領事となるところ、NYの重要性からNYの総領事は大使も兼ねている。
国連・カーネギー両公演とも来てくれた西宮大使が僕のために公邸で食事会を開いてくださる。
7時にタクシーで公邸へ。
3年前に文化交流使で来てたときも、
大使に公邸で食事会を開いてもらったので、ここは2度目。
でも、後でわかったが前回も同じ2月22日だった。
丸3年後の同じ日に大使公邸に招かれるなんてすごい偶然。
今回は20数人の立食形式で、ジャパンソサエティー、日本の補習学校関係者、大学の先生、
国連関係などいろんな人が集まってて、食事しながらあちこちの人達と話しできておもしろかった。
国連公演でお世話になったフェルナンドさんも来てたので、
お礼に僕の紋と千社札をあしらったクリアファイル・ハンカチタオルに
今回の国連・カーネギー記念手拭いなどの詰め合わせをプレゼント。
大使夫妻も気さくで2時間ほどしか経ってないと思ったら3時間もいた。
帰り際に芳名帳に記帳してタクシーでまたホテルに戻って荷造り。
明日朝NYを発つ。

我々が公演したカーネギーホール内ワイルリサイタルホールの入り口で。
公演当日は正面入り口に行くことがなかった。

ユニセフの本部まで行き担当者に各会場の募金を手渡した。

大使公邸で西宮大使と。
2月23・24日(火・水) さよならNY
朝7時にロビーに集合してチェックアウト。
高橋さんも見送りに来て、7時半予定通り車が迎えに来て、
来たときと同じようにワゴン車に8人分の荷物と公演道具を詰め込み、
今度は隣のニュージャージーにあるニューアーク空港へ。
ニューアークからワシントンのダレス空港を経由して成田、
そして伊丹と2回乗り継ぎをする。
ニューアーク空港でチェックインの後、
昨夜「レストラン日本」から届けられたお弁当で朝食。
本当に今回は国連レセプションのケータリングだけではなく、
時差ボケで夜中にお腹が空くだろうと何度もおにぎりや巻きずしなど届けてくださった。
ありがたい。
ワシントンまでは1時間半ほどのフライト。
ダレス空港の広い広い空港内をトラムや徒歩、
ムービングウォークを使って成田行きのゲートまで移動。
ところが出国のゲートがない。全くパスポートも見せないまま出国。
この国は入ってくる人間には指紋やカメラやとうるさいが、
出て行く人間には極端に寛容。成田に着くと喬若の荷物だけが出てこない。
おまけにカーンの伊丹行きのチケットが発券されてないことも発覚。
カーンのチケットはEチケットだからカウンターに行けば何とかなるだろうけど、
荷物はどこに行ったのか。
係があちこちトランシーバーで連絡したがわからず、
結局発見次第自宅に届けると言う事になった。
帰って来てからもなんじゃかんじゃある。
伊丹行きのゲートに向かってるときに喬若の携帯に荷物が見つかったと知らせがあった。
ファーストクラスの荷物に紛れてたらしい。
よかったよかった。
カーンのチケットも無事発券されたし。
午後7時過ぎ伊丹到着。
弟子の治門が車で迎えに来てるが、1台では荷物が積みきれないので、
僕は別の荷物とタクシーで帰ることに。
8時過ぎに無事帰宅した。
今回は今まで経験したことのない4カ国字幕で、
いろんな国の人たちが混在した国連公演、
世界で一番敷居の高いカーネギーホールでの独演会と、
かなりハードルの高い公演の連続だった。
後で聞くと今までNYの日本総領事館と国連日本代表部は同じNYにいながら
一緒に何かする機会が無く、お互いあまり知らなかったらしい。
今回の国連での落語公演で初めて協力したのではないかと言う事だった。
国連とカーネギーへの交渉と準備に2年かかった。
前回の落語家初のオフ・ブロードウェー公演を成功させたプロデューサーの武部氏、
現地スタッフの高橋さんと僕。
この3人がそれぞれの役割をこなし、チームワークで乗り切ったが、
資金集めのチャリティーパーティーに参加して下さった皆さん、
落語をスペイン語や中国語に翻訳して下さった人達と、
この公演を支えて下さったたくさんの人達のおかげで、
最高の舞台で最高のパフォーマンスができたと思う。
この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
2010年 NY国連・カーネギー公演 ダイジェスト写真集

道路はほとんど除雪されているが、セントラルパーク横は
除雪されていなくて歩きにくい。犬の糞とかもあるし。

タイムズスクエアも夏に比べると人が少ない。

マンハッタン対岸のブルックリンから。
ホームページの表紙で使ってる写真は3年前ここで撮った。

ブルックリンブリッジとマンハッタン。
除雪していないところは雪がいっぱい。

グランド・ゼロ(ワールドトレードセンター跡)。
3年前はまだ手つかずだったが、やっと建設が始まったよう。

国連本部ビル前で福矢と。
10年前のエジンバラフェスティバルから海外公演を共にしてる福矢の
「ここまで来るのに10年かかりましたね」と言う言葉にしみじみ。

国連前は見学の観光客で列ができている。

セキュリティー・ドッグが我々の荷物を調べる。
この後X線検査、金属探知機とセキュリティーが厳しい。

国連ビルはアスベスト問題で改修中なので、
会議室は隣に建てられたこの建物に集まっている。

チェアマン席の前に高座を組んだ。
毛せんも座布団も日本から持参。

我々のIDパス。国連のマークが入っている。
記念に持って帰ろうと思ったのに、終演後ちゃんと回収された。

客席最前列に陣取って、カーン父娘が英・仏とスペイン・中国語と
2カ国語ずつ字幕を操作する。

チェアマン席の横をパーテーションで囲って下座のスペースを作った。

昨日の会議の書類が放置されていたので、設営の合間に国際会議ごっこをして遊ぶ。
プレートはたまたまあったホンジュラスのもの。

予想の倍以上の観客が集まった。

字幕のタイミングも良く、ちゃんとツボで笑いが返ってくる。

終演後のレセプション。
会議室前ロビーは各国外交官でごった返している。

いろんな国の人から声を掛けられ

いろんな国の人にサインをし

いろんな国の人とカメラに収まった。
海外公演で定番のお菊の幽霊ポーズで1枚。

カーネギーホール前の公演スケジュールには、
ちゃんと我々の公演も。

カーネギーホール入り口に張られた僕のポスターの前で
モロゾフの川喜多社長と。

カーネギーでの記録写真も決められた人間だけがこのパスを胸に張って撮影。
ハウスマネージャーのサイン入り。1回目と2回目の公演ではまた違うパスが発行される。
しかしあくまでも記録用なのでホームページなどでその写真を公開できない。
いっぱい撮ったのに見せられへんの残念やなぁ。

終演後の打ち上げ。
今回字幕操作で頑張ってくれた沙里奈ちゃんが21回目の誕生日をNYで迎えた。
そう言えば3年前、文化交流使で1ヶ月のNY滞在中、僕も49回目の誕生日をNYで迎えた。

大使公邸前。警官が一人立ってるだけで、住宅街にひっそりとある。
ちゃんと着物のコートも持ってきた。

招待客を前に簡単にスピーチ。

西宮大使夫人はヴィトンの雪駄に大喜び。

右からNYで孤軍奮闘してくれた現地スタッフの高橋さん、
国連と様々な交渉をしてくれた国連日本代表部のジェーンさん、
我々の要求を親切にかなえてくれた国連イベント担当のフェルナンドさん、
史上初の国連での落語公演を熱心に進めて下さった国連日本代表部の村川さん。

国連日本代表部と二人三脚でこの公演を支えてくれた
在ニューヨーク日本総領事館の鈴木さんと。

いつもNY公演ではスタッフとして働いてくれた俳優の鈴木さんと。
皆さん本当にありがとうございました。
2010国連本部公演ニュース映像
2010年 ニューヨーク公演記事

2010.3.10 読売新聞

2010.3.18 毎日新聞

2010.3.18 日本経済新聞



